―[酔いどれスナック珍怪記]―

 深夜二十二時、スマートフォンが鳴って画面を確認すると、珍しく故郷の母親からだった。

 もしもし、と応答するや否や、母は早口で言った。

「アンタ、水商売の仕事はしばらく休みなさいよ?」
「喘息持ちで喫煙者のアンタなんか、真っ先に死ぬからね?」

 いきなり何だと反発したくもなったが、深刻そうな声のトーンで、母の言いたいことも充分すぎるくらいわかった。

「大丈夫。さすがに行ってないよ」

 わたしはそう嘘を付いて逃げるように電話を切った。

 その通りだ。実家の蔵の掃除をしただけで発作を起こすポンコツのわたしにとって、今は死がすぐ側にある状況なのだと考えているぐらいの方が良いのだろう。

 前々回の記事ではだいぶ能天気なことを書いていたけど、いくら知能の低いわたしでもそんなこと言ってられない状況になってきたってのもわかる。

 ここ数週間営業していて、コロナ騒ぎによる多少の影響は感じられるものの、ノーゲストということはまずない。平日はまったりしているものの、週末となればいつも通りのてんやわんやの大騒ぎだし、カラオケはだいたい朝まで鳴り響いているし、都知事が夜間の外出、というか中高年のバーやナイトクラブという曖昧に表現される場所への出入りを控えるよう呼び掛けた直後だって、会社帰りのサラリーマンは集団でやってきてマイクに口を付けるほどカラオケを熱唱するし、肩組んで抱き合うし、泥酔するほど呑んでわざわざ自らの免疫を下げる。

 正直、なんだか全然面白くない。いつもだったら笑えることが笑えない。そんなの、こっちがいくらマスクだ手洗いだアルコール消毒だと気を付けていても、来るものを拒めない立場にいる限り、意味がない。

「ちょっと怖いなぁ」

 ふいにわたしがそう漏らした時、「気にし過ぎだよ」と一蹴された。

「俺は鬱陶しいマスクなんて着けねぇし、消毒もいらねぇ!」

 誇らしげに放たれた言葉を聞きながら、わたしはぼんやりと頭の中で2011年の東日本大震災の直後のことを思い出していた――。

 私の地元である福島県では、皆様がご存じの通り震災に伴って原発事故が起こった。福島第一原発はメルトダウンし、多量の放射性物質が県内に放出される結果となった。

 農産物からは基準値を超える放射性セシウムが検出され、出荷制限のかかった農業従事者は途方に暮れていたが、当の県民たちがそれほど過敏に気にかけていたかと言われれば首を傾げざるを得ない。

「これ、あそこの山で採ってきたキノコと猪、食わっし」

 玄関先で近所の男性が差し出した袋を前に、わたしと母は顔を強張らせた。

 森林の土壌に蓄積するセシウムの影響で、山菜をはじめとした山の恵みは、わたしたちにとって避けるべき対象へと変わっていた。しかし、まったく気に掛けない、むしろ進んで食べるという人々も一定数はいるのである。

「俺は全然気にしねぇで食うわい!」

 その言い方は、まるで自分が「強い人間である」ということを誇示するかのように聞こえて、率直に言って馬鹿みたいだなって思った。だってスーパーに行けば県外産のキノコだって豚肉だって牛肉だって鶏肉だって手に入るのに、わざわざ山の猪食う必要性ってどこにあるのか? 何故避けられるべきものをわざわざ避けないのか? 何故それが「強さ」に繋がるのか?

 事故直後、わたしの母は県外から野菜を取り寄せていたが、その行動は田舎の狭いコミュニティでは多かれ少なかれ奇異の視線を注がれていた。

「そんなこと気にして」
「都会ぶって弱っちい」

 嘲笑気味にそんな言葉さえも投げかけられる。商売柄地元を離れられない母にとって、せめて回避可能な食品の危険を回避しようという行為は、白い目を向けられるほどの行為だったのだろうか。

続く

以下ソース
https://nikkan-spa.jp/1656958

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