>>313
中野 昌宏 @nakano0316
生長の家と勝共連合のオーバーラッピング。これも岸信介の仲介。あと玉置和郎。赤旗社会部『仮面のKCIA』より。
https://www.trendsmap.com/twitter/tweet/1557184475309932545
https://pbs.twimg.com/media/FZw7Bt1agAA1jLL.jpg

>>376
日本財団の研究 1 笹川良一の宗教人脈と統一教会の世界戦略
https://note.com/ishtarist/n/n1b4ae5bc15b1
日本財団の研究 3 統一教会、誰が個人崇拝と軍事のキメラへと変質させたのか
https://note.com/ishtarist/n/n46229765558e

>>399
>144>254 >>323司直>>392亀井
9/19
右翼・民族派が旧統一教会をぶった斬る!「反日カルト教団を許すな」(1)「共産主義はサタン」
https://www.asagei.com/excerpt/227372
...
 故・野村秋介氏の筆頭門下生・二十一世紀書院の蜷川正大氏はこう述懐する。
「かつて民族派が旧統一教会と共闘していた時期があった。60年代後半から70年代初頭、当時は左翼運動が全盛の時代で、
少数派だった民族派は『国際勝共連合』と一緒に共産主義という共通の敵に対抗し戦ったのです」
 74年公開の映画「樺太1945年夏氷雪の門」(東映洋画)は、終戦間際にロシア軍が攻め込んできたことで集団自決した樺太の女性電話交換手たちの
悲劇を描いた作品だった。しかし、封切前から大きな話題を呼んだものの、ソ連からのクレームなどにより、映画は公開間もなく上映中止に追い込まれる。
「そこで民族派が集まり、上映会を行うことにしたのです。そのフィルムを持っていたのが勝共連合の議員だった。...

 これに同調するのが、八千矛社・犬塚博英代表だ。大学時代に学生運動に身を投じ、
その後、新右翼団体「一水会」の創設に加わった戦後民族派運動の数少ない生き証人だ。
「70年安保闘争以前、日本には確実に共産主義の脅威が迫っていた。私は68年に長崎大学に入学したが、自治会運営を巡り左翼に立ち向かう時、
連携したのが原理研(旧統一教会の学生組織)だった。『共産主義はサタン』とし、どんな乱闘になっても逃げない戦闘能力の高さは頼もしいものだった」
 敵の敵は味方、少なくとも、70年代前半までは「反共」で右翼・民族派と肩を並べる同志でもあったのだ。

右翼・民族派が旧統一教会をぶった斬る!「反日カルト教団を許すな」(2)国辱の教義を内部告発
https://www.asagei.com/excerpt/227366
 政治の世界でも同様の役目を果たしたのが統一教会だった。
「当時、自民党が大きな集会を開くなど動員をかける必要がある時には、生長の家で500人、神道連盟で500人、そして勝共連合で500人といった具合に
あうんの呼吸で集められていた。石原慎太郎氏など若手議員が73年に旗揚げした保守政策集団『青嵐会』だって、そのスタッフはほとんど勝共連合の連中だったよ」(蜷川氏)
 70年代後半になり、ようやく「霊感商法」が社会問題化し、その本性を現した統一教会だが、その前史ではあくまで反共の皮を被り、保守政権を陰ながら支えるパートナーを務めていたのだ。
 しかし、80年代半ば、衝撃的な事件が発生する。「世界日報」の元編集長・副島嘉和氏が自宅前で何者かの襲撃を受けてメッタ刺しにされ、重傷となる事件が発生したのだ。
 この事件の直前、副島氏は総合誌「文藝春秋」に衝撃の手記を寄せる。その記事によれば、教団の教義とする「原理講論」の中で、
日本は朝鮮半島における残虐行為の償いをしなければならない、と書かれているというのだ。...
 この事件を機に、当時、一水会の鈴木邦男氏は、「国際勝共連合は民族主義運動の敵である」と猛批判を開始する。