0001逢いみての… ★
2022/08/02(火) 23:31:19.97ID:CAP_USER慰安婦問題の報道を巡る記事の取り消しや、その検証記事を批判したジャーナリスト・池上彰氏のコラム不掲載問題、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡るスクープから一転、謝罪へと追い込まれた「吉田調書問題」など、新聞というメディアの凋落(ちょうらく)が指摘されるなかで朝日新聞はなぜ失敗を繰り返したのか?
朝日新聞の記者として27年勤め、吉田調書問題では当事末(てんまつ)を綴(つづ)ったのが『朝日新聞政治部』(講談社)だ。著者の鮫島 浩氏に聞いた。
* * *
――鮫島さんが、これほど辛辣(しんらつ)な朝日新聞批判の本を書こうと思われたきっかけは?
鮫島 そのひとつは昨年、朝日新聞社を退社して、自分のウェブサイトである『SAMEJIMA TIMES』を立ち上げたことです。
私は退社するまで、政治部や調査報道を行なう特別報道部などに主に所属し、新聞協会賞を受賞するなど、政治記者としてそれなりに知られた存在だという自負もあったのですが、福島第一原発事故を巡る「吉田調書問題」では、担当デスクとして責任の一端を負わされることになりました。
その際、会社はまるで臭い物にふたでもするように記事を「誤報」と認めて謝罪し、その責任を私だけでなく現場の記者に押しつけ、処分しました。会社上層部のトカゲの尻尾切りのような問題処理のやり方に強い不満を抱き抵抗したのですが、結局は負けてしまいました。
そのときに気づいたのが、「朝日」という看板を背負って働いてきた自分が実はまったく無力なひとりの人間でしかないという現実で、自分自身がメディアとしての発信力を持たなければダメだと痛感しました。
――ご自身のメディアを立ち上げた今、古巣を自由に批判できる環境が整った、と。
鮫島 もうひとつは、自分が勤めてきた朝日新聞や「新聞」というメディアに対する自分なりの決別宣言です。最近は、朝日新聞をはじめ新聞全体への批判を多く目にしますが、その中にはただ遠くから見ただけの批判や、新聞社という組織全体をきちんとわかっていないと感じるものも少なくありません。
その点、私は朝日新聞の中枢に近い場所にいたので、自分がこうして本の形で書き残すことが、凋落した新聞やジャーナリズム......というか、正直、新聞という媒体の未来はもう暗いと思っているのですが、少なくともジャーナリズムを復権させるひとつの材料になればという思いもありました。
――本書を読むと、新聞記者、特に政治部の記者が社内の権力闘争に明け暮れ、自分たちの出世や保身ばかり考えている様子に愕然(がくぜん)とさせられます。
鮫島 新聞業界を知らない読者の方からは同じように「本当にこんな人たちが新聞を作っているの?」という感想や驚きの声が寄せられるのに対して、業界をよく知る記者仲間たちからは「読んだけど、あまり目新しいことはないね」という感想が多いです。おそらく、このギャップこそが新聞凋落の真実を物語っているのだと思います。
現在のように、デジタル化が進む以前のマスコミは、ある意味「一方通行」でした。事実上、大手新聞やテレビ局などのメディアは「何を伝えるか」という取捨選択の権利を独占できていたんです。
また、情報へのアクセスも「記者クラブ制度」や「政治家との個人的なコネクション」といった大手メディアだけが持つ特権に支えられ、私自身もそうした特権を享受していた最後の世代で、政治の側もメディアとのつながりを道具として利用してきました。
続く
以下ソース
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2022/08/02/116952/
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