【政治】私がなぜ国葬欠席を表明したのか 自民党衆院議員・村上誠一郎氏 「政治家が国を憂えなくなったらおしまい」[09/27]
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0001逢いみての… ★2022/09/27(火) 00:44:17.57ID:CAP_USER
―― 安倍晋三元首相の国葬をめぐって世論が割れています。村上さんは国葬に反対していると聞きましたが、理由をお聞かせください。

村上誠一郎氏(以下、村上) 非常にお気の毒な亡くなり方をされたので私としても心情的には分からなくもないですが、それでも国葬に同意できない理由はいくつかあります。第一に、過去の例に照らした妥当性です。歴代の総理を振り返ると、たとえば吉田茂総理はサンフランシスコ平和条約を締結して日本の独立を回復し、軽装備・経済重視路線で日本の再建に取り組みました。また、鳩山一郎総理は日ソ共同宣言に署名し、岸信介総理は日米安保条約を改定しています。佐藤栄作総理は沖縄返還を実現し、田中角栄総理は日中国交正常化、中曽根康弘総理は国鉄民営化、竹下登総理は消費税を導入して財政再建に取り組んでいます。みな確かな実績を残していますが、それでも国葬が実施されたのは吉田総理だけです。

 それでは、安倍元首相の実績とは何か。安倍政権の看板政策だったアベノミクスは反面、財政規律の劣化ももたらしました。物価上昇を抑えるために金融緩和をやめようと思っても、それによって金利が上がれば公債費の負担が増えるため、やめるにやめられません。集団的自衛権の解釈変更も、台湾をめぐる米中対立に巻き込まれる危険性を高めた面もあります。このように、安倍元首相の実績の歴史的評価は未だ定まっていないのではないでしょうか。

 第二に、安倍政権が森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会問題など様々な不祥事を抱えていたことです。森友問題では近畿財務局職員の赤木俊夫氏が自死しています。こうした点に対する国民の不信は未だ払拭できたとは言えません。

 第三は、安倍元首相が、祖父の岸信介元総理から父の安倍晋太郎氏と親子三代にわたって統一教会とつながりがあったことは、マスコミに報道されているとおりです。統一教会は総選挙や参院選挙において清和会の候補者の選挙を大変応援していました。よく知られているように、統一教会は霊感商法等によってお金を集めていました。日本人から収奪したお金で総選挙や参院選挙を応援させることは言語道断です。

 統一教会問題に関する国民の関心は非常に高く、メディアでは連日のように新しい事実が暴露されています。仮に国葬を強行したあと、万一これまで以上の不都合な事実が露見したらどうなるのか。国民の多くが反対している国葬が歴史の汚点になってしまう可能性があります。

 第四に、国葬決定の過程が不透明だということです。これが最大の問題です。岸田首相が拙速に決めてしまったから、確かな法的根拠や判断の基準がないのです。これでは時の政権による恣意的なやり方だと批判されても仕方ありません。

 岸田首相は「聞く力」を掲げています。そうであれば、国葬に反対する世論にも耳を傾けるべきです。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」。いまからでも遅くありません。国葬をやめて自民党葬に切り替えるべきです。

―― 昔の自民党なら国民の声に耳を傾け、国葬反対を唱える議員がたくさんいたと思います。なぜ自民党は変質してしまったのですか。

 私が初当選したころの自民党には三角大福中(三木武夫・田中角栄・大平正芳・福田赳夫・中曽根康弘)や安竹宮(安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一)、さらに私の師匠である河本敏夫先生や梶山静六氏、山中貞則氏、後藤田正晴氏、その他にも前尾繁三郎氏や灘尾弘吉氏、古井喜実氏など、「なるほど、政治家とはこういうものか」と圧倒されるような人がたくさんいました。また、とりわけ派閥のトップの皆さんは深い見識がありました。

 私は河本敏夫先生率いる河本派に属していましたが、臨時党大会で宇野宗佑氏を総裁にしようとした時に、私は賛成できないと河本先生のところに行ったところ、「自分の信念の通りやれ」と言われました。我々は臨時党大会で宇野宗佑総裁に反対しました。批判を恐れず、自由闊達な議論ができたのです。

続く

以下ソース
https://nikkan-spa.jp/1860842

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0002逢いみての… ★2022/09/27(火) 00:44:46.12ID:CAP_USER
 しかし、小選挙区制度が導入され、一つの選挙区で公認される候補者が一人になると、自民党の公認が得られるか得られないかで当落が決まってしまう。その結果、たとえ時の権力者が間違ったことをしており、それに対して反論したくても、みんな公認を外されたり比例の順位を落とされることを恐れ、口をつぐむようになってしまいました。

 私は幸い党幹部等の応援がなくとも当選することができたので、自分の思うことを発言することができましたが、そういう議員は少数派です。しかも、選挙に強くない議員は宗教団体等に頼りがちです。それが統一教会との癒着を生んだ原因の一つだと思います。

 また、かつての自民党には旧制高校出身者がたくさんいました。旧制高校の学生は難解な哲学書を読みながら、毎晩寮で喧々諤々の議論を繰り広げていました。そうやって「公の精神」や「青年の矜持」を身につけ、人間形成を行ってきたのです。旧制高校出身者たちは政党や派閥を超えてつながっており、何か困った時は阿吽の呼吸で助け合うこともありました。旧制第五高校の同級生だった池田勇人総理と佐藤栄作総理がまさにそうでした。

 しかし、戦後はこうした教育は失われ、「公の精神」も「青年の矜持」も消え去ってしまいました。その結果、永田町が非常に劣化してしまいました。

 もう一点指摘すると、かつての自民党には戦争経験者がたくさんいました。最近、ロシアのウクライナ侵攻が起こると、すぐに「防衛予算を2倍にしろ」などという声が上がりますが、昔の自民党なら考えられません。戦争の恐ろしさを知らない人たちがゲーム感覚で議論しているとしか思えません。

 これほど財政状況が厳しい中で防衛予算を捻出するなら、教育費や社会保障費を削らなければなりません。それができないなら赤字国債です。これではますます財政破綻の可能性が高まります。また、防衛費を増やしても公務員法の制限があるので自衛隊員はそう簡単には増やせません。そうなると、武器は潤沢にあるが、それを使う隊員はいないという状況が生まれてしまいます。これほど合理性に欠けることはないと思います。

―― 佐藤栄作元総理の国葬が議論された際は、内閣法制局が「法的根拠が明確でない」と主張したことが一因となり、国葬は断念されたと言われています。いまの官界にはこうした官僚は見当たりません。

村上 昔の官僚の皆さんは相手が大臣であろうと総理であろうと、自分の守備範囲に関しては全責任を持って是は是、非は非と唱えていました。私の地元の愛媛県には檜垣徳太郎氏という農林省事務次官を務めたのちに参議院議員になった方がいました。檜垣氏は課長時代、誰もが恐れる河野一郎農林大臣に対して臆することなく物申すことで知られていました。

 また、私の伯父で大蔵省事務次官を務めた村上孝太郎は主計局長のころ、「日本の財政をこのまま放置すると大変なことになる」と財政硬直化キャンペーンを行い、時の佐藤栄作総理に直訴しています。私がもっと驚いたのは、予算委員会での立ち居振る舞いです。通常、総理が予算委員会で答弁する時、官僚はそばにかがみ込み、ペーパーを使って答弁のポイントを説明します。ところが、伯父は佐藤総理のそばに突っ立たまま、自分がかけていた眼鏡の柄を使ってペーパーを指し示しながら説明していたのです。

 政治家たちは官僚たちを受け入れ、官僚の主張にきちんと耳を傾けていたのです。政治家は官僚が毎晩1時2時まで働いているのを知っているので、彼らに対し尊敬の念を持っていました。官僚もまた政治家が選挙で大変な苦労をしていることを知っていたから、やはり尊敬の念を持っていました。お互いリスペクトしていたのです。

 この関係を破壊してしまったのが内閣人事局です。これが一番の問題です。私は肉親や先輩、後輩に役人がいるからよくわかるのですが、官僚は人事で押さえつけられると、正論も本音も言えなくなってしまいます。一度でも出世コースから外れてしまうと、二度とそのラインに戻れないからです。だから内心では政治家の言うことに承服できないと思っていても、今後の仕事のことを考えて妥協せざるを得なくなるわけです。これでは官僚が正論も本音も言えなくなるのは無理もありません。

 しかも、いまの官僚は一生懸命働いているのに給料は安く、退職後は天下りもなく、何かあるとすぐに政治家やマスコミなどからバッシングされます。こんな仕事に誰が就こうと思うでしょうか。かつては東大から官僚になる人がたくさんいましたが、最近は外資系企業への志望者が増えています。霞が関にも優秀な人材が集まらなくなっているということです。このままいけば、私たちの世代がいなくなったころ、永田町も霞が関も完全に機能不全に陥っている可能性があります。

続く
0003逢いみての… ★2022/09/27(火) 00:45:00.58ID:CAP_USER
―― 自民党には多くの問題がありますが、野党にも期待はできません。どうすれば現状を打開できますか。

 与党も野党も人材が枯渇していることは間違いありません。公認をもらってポストを獲得し、政治資金を確保すれば政治を行っていると考えている議員が多いと思います。政治家が国を憂えなくなればおしまいです。

 私は最近、三島由紀夫氏の先見性を再認識しています。三島氏は1969年に東大駒場キャンパスで全共闘と公開討論を行っています。東大生たちは若さもあって言いたい放題ですが、それに対して三島氏は一つ一つ丁寧に対応しています。単刀直入に言えば、三島氏と学生たちの議論のほうが、いま国会で行われている論議よりも真摯な議論だと思います。

 また、三島氏は自死する前に「果たし得ていない約束」(昭和45年7月7日 サンケイ新聞夕刊)というエッセイを書き、このままでは日本がなくなってしまうと警告を発した上で、最後に「それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」と記しています。私も同様です。

 とはいえ、日本がこのまま衰退していくことを、何もせず黙って見ているわけにはいきません。私のところには与野党の議員たちから「若手を集めるので勉強会を開いてくれないか」という申し入れがきています。国会議員の中には国を憂いている人はいるはずです。そこで、私は与野党や左右党派を超えて議員の皆さんに声をかけ、勉強会を開こうと考えています。それを通して「公の精神」や「青年の矜持」を次の世代に伝えていきたいと思います。この取り組みは次の世代、日本のために役立つと信じています。 
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