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2022/07/28 辺真一
「統一教会」の「後方支援」を受けた金大中政権  経済再建と南北統一で連携!
https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20220728-00307635
 旧「統一教会」(現「世界平和統一家庭連合」)は韓国では「統一グループ」としての経済基盤だけでなく、それなりの政治基盤も
確立しているようだ。その一助を担ったのがおそらく金大中(キム・デジュン)元大統領であろう。

 今から33年前の1989年10月12日、ベルリンの壁崩壊約1か月前、韓国の新羅ホテルのダイナスティホールで「統一教会」
の故文鮮明(ムン・ソンミョン)教祖が自ら「中国パンダ自動車工場都市造成説明会」を開いたが、この場に後に大統領になった金大中・平民党総裁がVIPとして招かれていた。まだ盧泰愚(ノ・テウ)軍事政権の時である。 ...

 それから9年後、金大中氏が4回目の挑戦で大統領の座を射止め、大統領に就任(1998年2月25日)すると、
文鮮明氏は早速、翌日(26日)政界の表舞台に出てきた。与党の「国民会議」と野党第1党の「ハンナラ党」の本部を相次いで訪れ、
党3役と会談し、10日後の3月6日にも金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相が結成した第2野党の「自由民主連合(自民連)」
を訪れ、浦項製鉄の設立者から大統領選に出馬するため政治家に転じた朴泰俊(パク・テジュン)総裁と会談した。
 軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕(パク・チョンヒ)政権以来、文鮮明氏が直接与野党本部を訪れたのは異例のことであった。
この文鮮明氏の政党訪問には先頃、記者会見を開いて、教団批判をした郭錠煥(クァク・ジョンファン)世界日報社長(当時)や黄善祚(ファン・ソンジョ)世界平和統一家庭連合韓国会長(当時)など「統一教会」幹部5人が同行していた。
 与野党訪問の目的は2点あって、一つは「統一教会」が北朝鮮で築いたコネクションを使って金大中大統領の対北「太陽政策」を側面支援することにあった。 ...
 もう一つの目的は、IMF(国際通貨基金)通貨危機をもろに受け、金泳三(キム・ヨンサム)前政権下で破綻した経済を立て直すことに必死だった金大中政権の経済再生政策への支援にあった。
... 文鮮明氏は与野党の指導者らに対して「世界185国に張り巡らされている教会宣教師ら2万5千人を民間外交官として活用する必要がある」と述べていたと伝えられていた。 ...
... 世界中の「統一教会」の組織網を総動員し、「救国献金令」を展開し、3月までに1億ドルを集めたとされている。 ...
 「多国籍経営基盤」の拠点は主に米国、韓国及び日本の3カ国だが、「統一教会」はすでに1980年初めには中南米にも活動エリアを広げていた。
 文鮮明氏が1982年に米国で脱税で有罪判決を受け、またフランスでも警察当局の手入れを受けるなど活動が制限されたことも
あって中南米に活動の拠点を移し、中でもウルグアイではホテル及び新聞社を買収し、当時ウルグアイの第3の大手銀行であった「クレジットバンク』の経営権も握っていた。
 現地の週刊誌「コレオス・デロス・ビエルネス」(1983年3月11日号)によれば、「統一教会」は全国29カ所の支店を持ち、
600人の従業員を雇用していた銀行の株をほぼ独占し、経営権を掌握していた。また、最大のホテル「ビクトリア・プラザー・ホテル」を1600万ドルで買収していたと当地の新聞に書かれていた。 ...
... 1981年9月にラテン・アメリカ人権協会のジュアン・フェレイラ―事務局長(当時)が米下院外交委員会の中南米問題に関する公聴会に出席し、 ...
当時大統領だったグレゴリオ・アルブァレンズ将軍が文教祖の反共理念に共鳴し、「統一教会」の商業活動を庇護していると証言していた。
... 1996年にはブラジルへの進出を企図し、信徒が皆無だったブラジルに1億ドル規模の教団を建設し、
世界各国からの信徒らの巡礼地にする構想を抱き、ウルグアイの国境近くの未開拓地に1万6千ヘクタールの農耕地を購入していた。 ...
 現地のキリスト教や福音主義の宗派からは領域が侵されるとして反対運動が起き、ブラジル政府に対して文鮮明氏の入国を認めない
よう申し入れ、また農民の間では「統一教会」が進出すれば、子供らが教会に勧誘されると心配する声が上がっていたのは言うまでもない。 ...