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TENGA・松本光一代表

2005年に生まれたマスターベーションアイテム「TENGA」。すべての始まりはひとりの男がアダルトショップで覚えたある違和感だったという。

「人間の根源的な性の話題を"裏通り"ではなく"表通り"に出せる社会にしたい」

TENGAを生み出した松本光一氏に20年の歩みについて尋ねた。


■世界進出したTENGA
若者と外国人観光客が行き交う街、原宿。表参道と明治通りが交差する角に立つ東急プラザ原宿・ハラカドの2階に、2024年「愛と自由のワンダーランド TENGA LAND」がオープンした。


開放的で明るいディスプレーにTENGAだけでなく、Tシャツやフェムテック関連、ヘルスケア商品も並ぶ。そこには昭和にあった「アダルトグッズ」の暗さは皆無だ。

「マスターベーションは人間の『根源的な欲求』。性をもっとポジティブに自由に語れる社会にしたい」という、松本光一代表の思いから始まった株式会社TENGAは、今年で20周年を迎えた。

今や世界73の国と地域で販売され、アイテムの累計出荷数は約1億6000万個になった。女性向けのブランド「iroha」やヘルスケア、障害者の就労支援施設の運営など、事業の幅も広がっている。

日本ばかりか世界を驚かせたTENGAはどのように生まれ、何を目指しているのか。松本代表に話を聞いた。

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TENGA発売後、多くの人に明るく性を楽しんでもらうために全国展開を目指して歩み続けた。大阪で撮影

――TENGA誕生の経緯をあらためて教えてください。

松本光一(以下、松本) 物作りが大好きで、子供の頃から職人や技術者になりたかったんです。祖父はコロタイプ印刷の会社を経営していて、両親もそこで働いていたので、技術への憧れが強かったですね。「自分も何か新しいものを作り出すんだ」と、強く思っていたのを覚えています。

小学生の頃にスーパーカーブームがあって、イベントで実際にクルマを見たときは、すごい衝撃を受けました。将来はクルマに関連する仕事に就きたいと思って、高校から専門学校へ進んで国家資格を取って、卒業後はフェラーリやランボルギーニなどのスーパーカーを扱う修理販売会社に就職し、その数年後にやりたかったクラシックカーを扱う仕事に就きました。

――やりたいことが明快で、迷いがないですね。

松本 仕事はレストアといって、車を部品の段階までバラバラにしてから、お客さまの要望を基に組み立て直すんです。通常の修理とは異なり、大変だけれど、世界に一台だけのクルマが生まれるので、やりがいはありました。何よりお客さまがとても喜んでくれたんです。

ただ、会社の経営状態が良くなくて、後半は給料をほとんどもらえなかった。家賃を半年払えなかったりしながら、必死で仕事をしていました。社長から「あいつは給料を払わなくても働く」と言われていたそうですが「自分が頑張って良い仕事をすれば、会社の経営も良くなる」と信じていたんです。

でもポケットにいつも100円しかなくて、使える食費は月に3000〜4000円。毎月、電気が止まるようになると、人は追い込まれていくんですね。その頃「人間にとって食と性は根源的で大事なものだ」と、深い部分で気づきました。

もうひとつ、追い詰められた生活では他人への思いやりも持てなくなるとわかった。それって自分としての半分を失うようなものなんです。二度とそのようにはなりたくないと思いました。その頃の経験はつらかったけれど、後にブランドの理念になるものがはっきりしました。

1番目は誠実な物作りでお客さまに喜んでもらうこと。2番目に人間の根源欲求である性を大切にすること。3番目に思いやりを持って、人に接すること。これは今でも変わっていません。

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ガラケーから着想を得た、本体がパカッと開くTENGA FLIP(フリップ)のラフスケッチ

ソース元:https://news.livedoor.com/article/detail/29158019/