そもそも個人の貧困とは、

知能の貧困×行動力の貧困 → 富の貧困

という図式で起こるわけで、

貧困の連中は、第一に世の中のシステムを理解する知能がないため、
システムを支配する側の捨て駒でしかなく、
行政がその場しのぎの手当てをしたところで、貧困のまま生涯を終える。

学びに対する行動力がないから知能が低いのか、
知能がないから適切な行動力が身につかないのか、
これは車の両輪のようなものであるが、
ともかく知能の貧困、行動力の貧困が経済的な貧困をまねく。

貧困、単にカネがないだけの貧困であれば何度でも復活は可能で、
会社を破綻させた経営者が、数年後に再び年商数億円を叩き出したりなどは、
珍しい例ではない。

繰り返すが、貧困とはカネがないことではない。
詰めれば知能、行動力がないことをいうのだ。

そもそもカネはさして大事なものではない。
地べたまで落ちれば生活保護という救済制度がある。
しかし、健康で文化的な最低限度の知能と行動力を保障してくれる制度は、ない。
現状を変えようと自ら行動しなければ、生活保護という名の新たな貧困が続くだけだ。

その意味で言えば、政治はあなたを一切助けてくれはしない。
自民党はあなたを助けないし、立憲民主党もあなたを助けないし、
共産党でさえも助けてはくれない。