さて、実は相当前からAIやロボット(自ら設計し、実体物を生成する)に想いを巡らす事が多くて
ちょっとそれらについての講釈論をスレチだけどやってみる。

これらは、近い将来、働き方や人間の立ち位置を大きく変えると思っています。
極端な話、現在人間が認知して行っているものは、全てこれらに置き換わり、
人間の役割はこれらの保守運用と、監視が主な仕事になる可能性すらあります。
とは言え、それらに必要な人的リソースは多くは要らないと思われます。

そして、これらAIやロボットが全人類の共有の資産、仕組みとして扱われれば、
高度に統合・管理され・エコで無駄のない全人類規模の計画経済の構築も夢ではありません。
地球環境の問題も恐らく目先の解決には至ると思われます。
人間の多くは、限りなく本来の自然環境に寄り添い、文化的な生活が可能となります。

一方で、これらAIを一部の個人、団体が所有し資産とし運用した場合は、
過去に類をみないほどの持つ者と持たない者の格差を生む恐れがあります。

実は、ちょっと前に書いた
覇権争い
とはこの点を言っています。

現在は、AI等の資産の所有者は個人や団体がほとんどです。
そして運用上の問題があるのは事実ですが、これまでの画像生成AIや音声生成AIの時以上に
chat GPTがなぜ問題視されるかと言うと、
実はこの開発に遅れたAI企業や、発表を躊躇した企業の対抗策の意味も含まれるからです。
現在支配的な力を持つIT企業も、見過ごせない段階に入ったって事です。

そして、恐らく上記した全人類規模の計画経済の構築と言うのは夢物語で、
持つ者と持たざる者の格差の上に成り立つ社会の将来像が現実的だと僕は思っています。

ま、いつものように斜めからみた講釈論ですが、こう言う視点で今のAIに対する議論の本質や
裏を想像する事は、必要な事じゃないでしょうか?