懐かしのソープ嬢 その23©bbspink.com
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
だいたいどこでもマットは断ってたわ
なんか決まりきった作業っぽくてエロい気分になれないんだ 普通はマットといえば9山だけど、個室・洗い場が狭いと7山、8山の小さいのを置く店がたまにある。
池袋のバニーガールとか。あれは気分が萎える。
池袋といえば、マットはないけど、個室が三角形というか台形で端が尖った小さな部屋の店が昔からある。
メープルシロップ(現ひとづまヘブンクラブ)。受付のオバさんが呼び込みもやる変な店だった。 >>891
>ミンクにはマットがないから足が遠のいた
自分が通ってた時はマットあって、いつもやって貰ってたけど。
と言っても、15年くらい前だからなぁ、その後に置かなくなっちゃったんだね。
系列店の6花は当時からマットは無かったらしいが。
その6花は、嬢がウエディングドレス着用で、
ご案内の時例のウェディング・マーチが店内に流れたらしいが、
メンデルスゾーンの方かね? ワグナーの方かね? 察するに前者だったんだろうなぁ。
でも、自分がもし客だったら、こっ恥ずかしいから、
店員さんに「曲流さないでいいです」と頼んだだろうなw
その2店も今はもう無くなっちゃったんだね。 懐かしいな。吉原も廃業で跡地にマンションや駐車場になり、虫食い状態の所もある。
今、合計で何軒あるんだろう? 長らく150軒台が続いたと思うんだけど。
昔話といえば、吉原や川崎のソープ街の近くに、遣手婆がいる赤線みたいな所があった記憶がある。
ポン引きが客を捕まえると悪質ソープやマンションに連れて行ったが、そういう類かな?
今は強引な客引きが禁止され、そんな所もないと思う。嬢の話でなくてスマソ m(_ _)m >>895
川崎堀ノ内には、ちょんの間は10年くらい?前まで堂々とあったね。
吉原には、あんな目立つものはなかったと思うけど。 吉原のちょんの間もどきは30年近く前の話。古すぎて失礼。
懐かしい嬢の話、と言っても店名も源氏名も思い出せないけれど、格安店に金髪の外国人女性がいた。
裏を返そうと思ったら辞めちゃって2度と入れなかったが。 >>897
30年前ならオレも知らないとは言わないけどw
吉原、どのあたりにありました? >>898
ソープ街から少し外れた所。千束ではなく、竜泉の方だったと思う。当時、近くにタバコ屋があった。
ポン引きと組んでいたのかな? >>899
三ノ輪寄りってことね。
ロック座でストリップ見てからwとか、昔よく浅草側からは歩いて行ってたけど、三ノ輪側からはあまり行かなかったからなあ。 送迎やタクシーの利用ばかりで吉原界隈を(or吉原まで)歩くことが本当なかったし、
土地勘も方向感覚もないから、地理的な話はよくわからないな。皆さん、お詳しい!
吉原の帰り、さくら鍋で有名な日本堤の店に寄ろうとして正反対の方向に行った程w
スレチで恐縮だけど、吉原帰りに寄った飲食店も閉店したところが多くて寂しい。
鶯谷の利用が多かったが、ラーメン屋の哲学堂、串天ぷらの秀吉、スッポンの店など。
もつ焼き屋の隣にあった歴史ありげなグランドキャバレー(未入店)も姿を消した。 ジョッキークラブ→G1クラブ→スタジオVの夢子さんが懐かしい。
今どうしているのかなぁ…
キスは本指名からOKの古風な嬢だった。
画像保存している方いたらUP願います。 >>902
瞳が大きくて髪を染めた巨乳の女性かな?
CityPressの写真・情報を見てG1クラブ時代に入った。
その後の移籍先がわからず、お会いできなかった。
残念ながら画像の保存をしておらず、申し訳ない。 ポン引きは会ったこと無いが、遅い時間に村の中を歩ってると
電気の消えたチョンの間風や民家風の窓から
「お兄さん。いい娘居るから遊んでいきな」て声掛けられたな >>904
そうです。
髪を染めていたのは店名がスタジオVになる少し前位だった様な気がします。
週刊誌の記事を読んで入ったのですが、サバサバした感じで記事から連想したイメージとは違い、逆にそれが新鮮でした。
丁度、日焼けサロンがブームでタンニングされた小麦色のボディもエロティックだったなぁ…
マットでの足コキ、逆反りハメ、執拗なアナルドリル舐め…
大衆店での濃い〜サービスは最高でした。 振替店になる前のサテンドールのジュリアンさん
スレンダー美乳美脚で新潟出身の色白もち肌
上品な雪女wって感じでサービスはあっさり目だったけど、それが逆にエロかった >>906
やはりそうでしたか。可愛いけどグラマーで仕事ができ、高級店でも十分行けた筈。でも、そういう面には拘らない性格でしたね。確かに日焼けしていました。
残念ながら、スタジオVというお店は未入店です。 >>908
いやいや、店名がジョッキークラブ→G1クラブ→スタジオVと変わっていったのです。
夢子さんはこの店に長く在籍していました。
躍動感溢れるデザイン文字でStudioVとカッティングシートが貼られた初代イプサムが送迎車に使われていました。
確か社長だか会長だかが自伝を出版して待合室に置いてあったと思います。
『〇〇〇〇…20歳(ハタチ)』とかいう題名だったかと。
〇〇〇〇の部分は忘れてしまいました。
あの頃に戻りたいです。
あの時代の昼下がりの吉原が懐かしい。 >>909
失礼しました。店名の変更や女性の移籍はなかなかキャッチアップできなくて。そうした中、夢子さんが移籍しなかったのは店との相性が余程よかったのかな?
それにしても、吉原は今ソープが何軒あるんだろう? >>905
吉原にもあったね。それ以外にも非ソープでは、ホテトル、マントル、デートクラブ、デートサークルとか。
僕自身は出張の際、吉原を引退し郷里に帰った女性と地元のホテルで逢った経験がある。
自分を含め、連絡が取れる吉原時代の馴染み客に個人営業。やがて携帯が通じなくなって音信不通になったが。 吉原随一と言っても過言でない程のシャネラー・高瀬さんが懐かしい。熟女だけどスリムで綺麗だった。
ただ、在籍店と下の名前がなかなか思い出せない。
下の名前は「ひろみ」だったかな? 化粧をすれば・・・
体型は素晴らしかった。もう少し肉がついていてもいいくらい。
金津園から移籍の篠ひろこさんも美魔女(当時はそんな言葉は中亜たけど)系。
金津園から来た南野陽子さんは結構肉付きが良かった。伊藤かずえさんは未体験。 3行目、誤入力。「なかった」が「中亜た」になってしまった。スマソ! >>912
「シャネル」だよ。ひろみ。AV
渡辺由美も在籍
系列「クレージュ」には南野陽子
「ロベルタ」には中山、滝裕子
なかなかのメンツですな 昔のソープを比喩的に表現すると、搾乳器をつけられた乳牛の如く、出るだけ搾り取られてヘトヘトになって上がり部屋に通されるというのが普通だったと思います。
皆様はどう思われますか?
待合室に通された時に搾乳器ならぬ搾精器がセットされ、御案内でスイッチが入れられ、上がりのコールを入れる時にようやくスイッチが切られる。
上がり部屋でヘトヘトになっているところで搾精器を外され、全てが終了。
こんな時代が懐かしいです。
あの時代にナンバーを張っていた嬢が多数在籍する店に行っても、今はお客を見て仕事の匙加減を変えるという有様です。
こちらが望まなくとも時間一杯攻め続けられ、勃たされては抜かれ、勃たされては抜かれのアノ仕事を再び味わいたいのですが、もう無理なのでしょうか?
50の大台にのりましたが、体力及び精力の衰えは少なく、去年末は池袋の某店で70分3回射精をこなしました。 >>917
若いときはオレもそうでした、90分で3発、4発はアタリマエw
姫様たちも、それに応えて、これでもかとばかり、B→M→Bと攻め立ててくれたね。
ただ、オレの場合、50台前半で突然急に衰えがきたよwいまや一回戦が精一杯。 >>916
どうもありがとう。シャネル、クレージュ、ロベルタはAVの方を始め、錚々たるメンバーが揃っていたね。
シャネルの渡辺由美さん、ロベルタの中山さん、クレージュの島津靖子(後藤沙貴)さんは懐かしい。
高瀬ひろみさんは物静かな女性だけど、シャネルのバニティやバッグ等見せてくれる時は目が輝いていた。 >>914
伊藤かずえさんは何度も体験
90年代前半は金津園からの移動組が吉原を席捲
綺麗どころが多かった! >>920
金津園から3人が吉原に移ったのはバブルの影響かな?
高級店が増えたし、経済的にも長期デフレや銀行破綻なんて考えられなかったから。
懐かしい女性の名前が多くて往時を思い出す。俺も3発屋だったw
当時活躍された女性は皆さん元気かな? 篠ひろ子は金津園ではいったなあ
恵里亜だったっけ? 英国屋ですね。
ここは人材豊富でした。
恵里亜からはケイが有名でした。 >B→M→B で3回
自分が通ってた頃の吉原は、同じ3回でも C(椅子)→M→B の3回が規定だったけどな。
時代的には最初からB(ベッド)はその後だろうね、多分。
即即とか言って、即B(ベッド)って川崎から持ち込まれたプレーだったとか。
吉原で嬢の誰かが川崎のソレを真似して始めたら、結構客に好評だったので、
吉原でも即ベッドが段々流行っていったらしい。
その影響で最初にC(椅子)でのプレーが吉原でもどんどん廃れていったとか。
一部のテクニックに乏しい嬢にとっては、
ある意味B(ベッド)の方がC(椅子)より体力的にも楽だろうからね。
椅子の下を無理な姿勢で潜ったり、中腰で背後から接触プレーしたりとね。
まあ、嬢が得意な椅子プレー披露したくても、客の方がそれより即ベッドだと望めば
嬢も客商売だからそれに応えなきゃならないからね。
そうやって伝来のソープの技も徐々に受け継がれなくなっていったんだろうね。
ある意味、嬢のテクニック・プロ意識を育てる育てないも客次第だと思うわ。 >>924
おっしゃるとおりCがあった。
オレのデビューは千葉栄町だったので、技のあるお姉さんにコッテリ抜かれる日々だった。
オレは、一度決まったら同じ子に長く入るタイプ。
流れも固定化するんだけど、思い出せば、例えばB→C→M→Bで4発だったかもw
テクニックの廃れのことも、そのとおりだね。
特に吉原などで、若けりゃ、テクニック不在、それこそMは全くなしでも一部の高級店でどんどん雇ってた。
そんな子でもよく売れていたのが原因だと思ってるよ。 >>924
>>925
私が通い始めた頃はバブル経済真っ盛りの頃だったのですが、ワンツー全盛期を経てバブル景気で高級店が乱立し、サービス合戦の時代でした。
高級店から中級店は即尺・即ベッド→椅子プレイ→マットプレイ→ベッドの4回抜きが基本になっていましたね。
上がり部屋では根掘り葉掘り取調べの様なアンケートが実施されていました。
40代から50代前半位までの客が110又は120分でしっかり4回抜かれる時代でしたね。
20から30代の客は5回抜き、6回抜きもありました。
客から“もう1回いい?”なんて挑む時代ではなかったですよね。
こちらがもう少しお話ししようなんてことを言っても、時間無くなっちゃうからと口を塞がれて嬢の攻撃が始まり、あれよという間に勃ち、抜かれる…
こんな時代でしたよね。 の高級から中級店はリアル20代の綺麗な嬢とノースキン中出しができるというだけでハードなサービスの提供はなく、高級というより高額なだけだと感じています。
経験タップリの熟女に達した嬢は嬢で客を見てサービス変えたりとアノ時代のサービスを受けたくとも受けられないのが苦しいです。
決まった料金を支払えば客は平等に店が取り決めたバイオレンスサービスの提供を享受できたアノ時代が懐かしい…
シャトペト、プレジデントで軽く見られて手抜きサービスされたら他に行く店ないですよね。
50半ばか、それ以上の嬢に当時と同じ額払いたいとは感じないので必然的にスタンダード(シングル)になるからなのかもしれませんが… 927のレスですが、文頭は“今”が抜けています。
申し訳ありません。
正しくは“今の高級から…”です。
訂正させて頂きます。 >>927
当初はS着店なんてなかったけど、S着とNSに分かれた頃から、超面食いだからなのか、S着姫にしかほとんど縁がなくなってしまった。
良かったような、悪かったような。
数年前、ナゼか名器姫に会いたいと思い立ったんだけど、いまさらNSを開拓する元気もなく、果たせないままになってる >>929
神戸福原AIDSパニック(実態は福原で働いていた元嬢がギリシャ人船員と交際し、感染したというものでソープ勤務時はギリシャ人船員との交際は無く、交際から感染はソープ勤務とは関係がなかった)でスキン着用が拡がりましたよね。
あまり知られていないですが、神戸福原AIDSパニックとは別にソープ嬢と客という関係でAIDS(HIV感染)が最初に出たのは川崎の堀ノ内です。
堀ノ内の特浴協会が神戸福原AIDSパニックで完全スキン着用を申し合わせたのはこういった経緯があったと聞いています。
ここからススキノも完全スキン着用になりました。 >>930
前段、後段とも初めて聞いた話だ。
特に後段は全く知らなかった。
その頃は、まだワンツー店が主流だった吉原で6万の超高級店の麗人姫にハマっていて、騒動の煽りでNSからS着になった代わりに5万に値下げされた覚えがある。 僕も>>930 の話は初耳。今回のコロナもそうだけど事実無根の風説は流布されやすいな。
ソープに行き出した頃は風俗情報誌が一般的でなく、夕刊紙や週刊誌が情報源だったよ。
有名嬢に会いたい一心で竹千代さんに入った。当時は週刊誌で普通に胸とか出していた。
その後も何回か入ったけど、整形と本人の努力が凄いのか、あまり変わらないんだよね。
いまだに現役で驚き。クラブ華だっけ? 結構、転々としているね。今は何歳なのかな? >>932
竹千代さんのテレカを今も持ってるよ
いまだに現役なのはすごいけど懐かしい話だね >>931
>>932
お若い方でしょうか?
神戸福原AIDSパニックの件も川崎堀ノ内HIV感染者の件も事実です。
神戸福原AIDSパニックの実情はニュース、新聞でも報じられました。
全国的にAIDSパニックが発生してから1、2年経過した頃だったと思います。
当時はソープ利用客が思い込み自殺をしたり、ソープのフロントにコンドームを山積みにして安全アピールをしたり(この矛盾は笑えました)…
タイ・フィリピン・台北等へのアジア買春ツアーが盛んな時代でもあり、買春ツアー利用客にも思い込み自殺者が出ていました。 神戸福原AIDSパニックを契機にそれまでノースキンが当たり前だった全国区のソープでスキン着用が導入されていったのです。
いち早く踏み切ったのが川崎堀ノ内でした。
神戸福原AIDSパニックから1年経つか経たないかのことだったと思います。
特浴協会加盟店全店スキン着用を義務化したのです。
それに追従したのが札幌のススキノでした。
堀ノ内、ススキノ以外のソープ街ではスキン着用店、ノースキン店、スキン着用・ノースキン混合店とに分かれ始めた時代でした。
川崎堀ノ内でHIV感染者が出た(出ていた)という件は神戸福原AIDSパニック発生後、数年経過してから“実は…”的に世間に知らされたのです。
この時はAIDSパニックは既に沈静化し、ソープに活気が戻っていた時代でした。
スキン着用義務化を短期に決定した裏には堀ノ内でHIV感染者が出ていた事実が明るみに出る前に堀ノ内は完全スキン着用であるという大義名分を打ち出したかったからではないでしょうか。 ttps://www.sankei.com/west/news/170117/wst1701170075-n1.html ギリシャ人船員と交際していた事実は後から発表され、死亡した女性が福原に在籍していた事実が最初に公表されたので大パニックが起きたのだと思います。
後の調査でギリシャ人船員との交際は風俗勤務を辞めてからと判明しました。
保健所は感染源をギリシャ人船員と推測していたと思います。
もっと詳細に説明したサイトがあったのですが、閉鎖されてしまった様子で見つけられませんでした。
吉原でも『O』からHIV感染者が出たと騒ぎになった時がありましたね。
今から18年位前でしょうか。 1985年 おニャン子クラブ
1987年 福原でAIDSの第一号
1987年以降 吉原でもスキン着用が増える & 素人ソープ嬢出始める
吉原(ナカ)も社会(ソト)と無縁ではいられない、シンクロしている。
芸能の世界に「素人」を売りにするおニャン子クラブがデビュー
1987年に福原でAIDSの第一号が発生、日本中がパニック状態に。
吉原でも半年位閑古鳥が鳴き、徐々にスキン着用の嬢・店が増え始める。 (続き)
80年代後半・90年代前半の頃から
水商売・風俗の世界でも、現役の女子大生などが客の相手をする「素人」を売りにする店が出始めた。
キャバレーやクラブなど、客の横で女子大生が座ってるだけで商売になる。
スキン着用によって、水商売や風俗の世界に入るハードルが下がり
現役のOLや女子大生などがソープの吉原にも参入し始めた。
「素人」が売りだから、当然のことながらソープのテクニックは重視されない。
客も「素人とヤレル」ことをありがたがり、テクニックに優れた嬢の相対的な地位が低下してゆく。
それに伴ってソープ伝来のテクニックがどんどん廃れていった。
なんか「ソープの社会学」みたいなレスになってしまった、すまんw >>934
福原パニックはリアルタイムで知ってる世代だよ、おそらく貴方とほぼ同世代かと。
ただ、福原のその後の話とか堀ノ内の話は、初耳でした。 >>920
伊藤かずえ
石原千尋として迎賓館早朝に在籍してるよね。
初吉原(20年くらい前)が彼女だったなぁ〜
今でも年に数回入るけど、顔も肌もしっかりメンテしてるから
綺麗ではあるよね。
仕事もキッチリだし 堀ノ内の件が即座に公表・報道されていたら、この業界はどうなったんだろう?
今、コロナショックで都内も人通りがまばらだったが、改正風営法施行、昭和天皇崩御の時もそうだった。
でも、今回のコロナは恐怖感や切迫感という点で次元が違う。東京のロックアウトもあり得るし。
建物・設備の老朽化もあり、地震や自然災害への対応も懸念される。業界としてまさに正念場だね。
懐かしの女性の話ではなくて申し訳ない。鈍感な自分ですら底知れぬ恐怖感を覚え、書き込んでしまった。 >>927
シャトーペトリュス、プレジデントクラブというと、どうしても芹沢巨匠を思い出してしまう。巨匠の場合は、本当に「抜かれる」という表現がピッタリ。
自分は逆に熟女が好み。熟女で手抜きをする方は少ないような気が。中には酷い人もいるだろうけど。 >>937
感染の機会は外国との濃厚接触が一番危険で
意外とソープは衛生的で安全ということね ジーナさんが金津園から来た時は急いで行った。
金津園は宝石で吉原ではクラシックだったかな。 ソープでの性病感染だけど、ノースキン時代の頃でも
本数の中で馴染み客からの本指名の割合が多い嬢ほど、客としては安心して入れたな。
嬢にとっての不特定多数の客の割合が低くなるからね。
だから自分はフリー客の本数が多くを占める嬢は敬遠してた。
顔出しNG嬢ばかりに入っていたのもそれが理由の一つだった。
性病を染される時は、変な浮気心・助平心だして、
同店・他店にかかわらず、いつも指名してる嬢以外の他の嬢に一見客として入った時だねw >>941
驚きました。
『白夜』の早朝営業健在だったのですね。
一時期、HP無くなりませんでしたか?
以前のHPには『プレステージ』に在籍していた千草さんもいましたよね。
ここ数年、満足できなくて熊本まで行ったりしています(それでも満足できることが少ないです)。
HPを確認したのですが、90分で千尋さんが提供してくれるサービス内容ってどうでしょうか。
『シャトウペトリュウス』と被る料金体系なので気になっています。 >>943
『ラビアンローズ』在籍時の若い頃はそういう表現がピッタリでしたが、マスコミの取材に取り上げられる様になった頃から仕事内容が変わった様な気がしますね。
掲示板での酷評も散見しましたし。
還暦間近や50代に入った嬢に5万円以上払って手抜き仕事されるとかなり凹みますよ。
御客見て仕事変えるって…
店に御客がついていた時代はよかったです。
こんなことなかったですから。 日本三大ソープ(吉原ピカソ、雄琴フォーナイン、 熊本ブルーシャトー)は秘密のベールに包まれた感じだけど、
歌舞伎町のバルボラも昔から神秘的な感じがする。芸能人・アスリート御用達の店らしいし。
歌舞伎町のソープ街にはなく、ビルの一角でわかりにくい。(話題を変えてしまって失礼 m(_ _)m) >>949
日本三大ソープも今や地に落ちましたよ。
『ピカソ』の社長は回数抜こうとする御客が来ると上がり部屋で“当店は精神的にも経済的にも余裕がある方の為の店です。貴方は当店に相応しくない…”と説教をして出禁にするとか。
松嶋菜々子や鈴木京香が在籍し、ノースキンだった時代とは180度変わった様子。
雄琴の『フォーナイン』も『ピカソ』同様。
熊本の『ブルーシャトウ』は、本館・別館・麗嬢のベテラン嬢に入った場合と大差無いレベル。 >>950
そうなんですか。寂しい限りですね。上から目線で生き残れるのかな?
松嶋菜々子や鈴木京香の在籍話って本当なんですか? プロダクションと関係ありそう。
この3店ではないけど、AV女優でも気さくでサービス良い方がい流とうれしくなる。 Macだと誤変換が激しい。「いる」が「い流」になったり。スマソ!
Google Bookに興味があるけど、契約先のメールサーバが対応していないし、変換具合も不安。
女性の話ですが、吉原にいたシャロン さんは東京や出身地から離れてネットで活動しているみたい。
ひょっとして結婚されたのかな? 彼女は親切でいい人だった。幸せに暮らしていればいいけど。 >>947
今の在籍は迎賓館早朝だよ。
白夜早朝がなくなったから、迎賓館早朝に移ったみたい。
プレイの方は、90分だと即B→M→Bの三回戦が基本だよ。 >>947
プレステージの千草嬢ねぇ、
それ以前は花園通り近くの淑苑(元センチュリー・クラブ香玉の箱)という高級店に在籍していたね。
プレステージ時代の時でもすでに結構なお歳だったから、白夜?時代では還暦を遥かに越えてたはず。
>>950
ピカソの社長って、あの山本?
気に入った嬢を休みの日でも店外に誘って飲み食いの相手させてた、あの山本?
そんな公私もわきまえない奴に、客としてそんな説教垂れて貰いたくないわな。
当時のピカソでも、待合室に気取って日経新聞や財界誌なんか置いてたけどね。
ピカソだろうが格安店だろうが、”ヤルこと” は同じなのにね。
鈴木京香は初耳ですなぁ。松嶋菜々子が言われてたのは知ってたけど。
本当?都市伝説?どっちなんだろうか。
秋元康も当時のピカソの客だったとか言われてたね。 あ、ついでにご存じなら教えてください。
いつまでその店があったかも憶えていないんだけど、
角町(すみちょう)通り沿いに「看護婦パート2」という店があったよね?
噂では嬢らが看護婦姿でちょっとSMチックな変態プレーが売りの店だったとか・・・
「パート2」というからには、他のどこかに「パート1」の店もあったのかな?
ずっと疑問のままでこの歳まで来てしまったw >>955
今まで書き込んでいた方とは別人だけど、自分の知る限りでは看護婦パート1という店があり、それ以外にナースコールという店が存在したと記憶している。
看護婦パート1には、イヴ、エリザベスというベテラン嬢がおり、AFなどハードなプレーをしてくれた。 >>956
「商社の受付嬢からソープ嬢へ-アナルのイブ・インタビュー 1」
https://www.targma.jp/vivanonlife/2015/04/post3403/
>その人は「看護婦パートU」のイブさん。
当時そのイブさんを取材した記事が本になっているんだけど、
そこには「看護婦パートU」とはっきり書かれてあるね。
当時、角町通りのオペラの正面にあって、「・・・パートU」の看板が
今でも目に焼きついているんだけど・・・ますます混乱して来て困ったw いい歳した大人が、松嶋菜々子や鈴木京香がソープに在籍していたなんて、そんなことを言う方も言う方だし、信じる方も信じる方。
何年生きてきているのか…呆れる。 シャロンは
「一度来た客にはあだ名を付けて、二度と忘れない」
って言ってたな
俺もあだ名を付けてもらったよ ピカソはだいぶ前に経営が変わったといつも指名する嬢から聞いた
昔は有名店だったが今はそうでもなく、イマイチな評判も聞くとか >>959
個人的に番号の入った会員証みたいなカードを配っていなかったっけ?
まだそのカードを持っている。ゾロ目のわかりやすい番号だった。
イブさんが居たのは看護婦パート1だと思ったけど、勘違いかな?
ミスターダンディはパート2だったけど。
こういう掲示板じゃ仕方ないけど糞レスは止めてほしいわ! あっ! 最後は>>959氏への返信ではない。申し訳ない m(_ _)m 看護婦Part1だったと思ったが自信なくなってきた…
イブさんはぽっちゃり、エリザベスさんはスリム系。
超ベテランだったが。2人ともア◯ルやったなぁ〜
僕はエリザベスさんに数回。浴槽でも激しくHした。
その前のレスでに出てきた巨匠もシャロンさんもア◯ルOK。シャロンさんには渾名つけられなかったw
まあ思い出話で盛り上がろうよ。荒しは無視・放置! >>961
>>963
ID違うのでお二人さん?
いやいや、自分のレスで逆に困惑させちゃって申し訳ない。
「看護婦パート〇」の真偽のほどは先送りということで・・・。
今、BSTBSで「にっぽん!歴史鑑定『吉原の一日〜花魁と旦那衆』」視ていましたわ。
吉原は他の悪所と違って歴史が感じられ艶っぽくてやっぱ良いですね。 江戸一通り沿いの「ラテン」「ムーラン」「王室」の前の吉原公園。
昔、あそこには「大文字楼」という当時吉原一大きな妓楼があったそうです。
今の公園の敷地はその楼の一部だそうです。
往時の「大文字楼」の建物の写真が残っているので載せておきます。
https://www.facebook.com/yoshiwaraoiran/photos/a.528443650512629/1178828805474107/?type=3&theater
「大文字楼」にいた花魁の写真も
https://www.facebook.com/yoshiwaraoiran/photos/a.528443650512629/1179366878753633/?type=3&theater
ご諸兄、興味なかったら申し訳ありません、自分はこういうの趣味なんでw >>950
松島は噂聞いたけどね、京香もですか?
でも、それは一般の客は相手にせず、特定のVIPな顧客の専用だったのでは!?
あと、セレブ面してる〇ビ婦人も相当きわどい過去持ってるて噂だけどね。 >>958
『夕月』がまだノースキンだった頃にナンバー張っていた現役嬢からも聞いているから事実ですよ。
秋元康は松嶋菜々子の本指名客でした。
松嶋菜々子を再度、陽のあたる場所に出してあげたのも秋元康です。
鈴木京香がスキャンダルなど目立たつに過ごしてきているのも『ピカソ』在籍時の太いパトロンの力でしょう。 続きです。
芸能プロダクションは、タレントやモデルとして売り出しをかけても思う様に売れなかったタレントやモデルに2択の選択を迫るそうです。
1つはプロダクションを辞めて一般人に戻る。
もう1つは政界人・財界人相手の接待要員、又は風俗店コンパニオンとして働き、売出しに掛かった経費を返納し、タレントやモデルとして生き残る。
一定の売出し経費を掛けたところで本人に聞くそうです。
この先も売出しを掛けるか、ここで止めて夢を諦めるかと。
売出しを継続する時に上記の条件を提示するそうです。
僅かでもテレビに出演したり、メジャーな出版物に掲載されたり、芸能界の華やか雰囲気を経験すると皆、条件をのんで売出し継続を希望するとか。
まぁ、殆どが高級コールガール確保や風俗店へのコンパニオン供給の罠らしいです。 >>966
◯ビ夫人は赤坂の高級クラブ・コパカバーナにいたんだよね。ドリフで有名になる前の加藤茶さんがバンドボーイで同店に出ていた時、若かりし頃の彼女と会っており、別格の美人だったとラジオで言っていた。
夫人といえば、先月亡くなったノムさんの奥さん(サッチー)も戦後すぐは進駐軍相手に色々やっていたらしいし、野球では落合夫人も噂があるね。落合元監督は東芝府中だったから府中のお店で知り合った?
府中のお店といえば、ご存知の方も多いかと思うが… >>954
千草さん、年齢はいっていましたけどサービス内容は申し分なかったですね。
少しふくよかになっていましたが…
男ってのは相手がしっかりサービスしようという姿勢で接客してくれれば超熟女相手でも勃つし、痺れる様な絶頂に達する生き物ですよ。
部屋に入ってから時計チラチラ見てお喋りで時間稼ぎとか、マットで無駄に横千流繰り返して時間稼ぎなどをされると“あぁ、今日はハズレ引いた…”って気持ちになって勃ちも鈍くなるし、絶頂に達しても気持ちよくないです。
男のデリケートな部分てこういうところだと思います。
こういうこと知っていてわざとやる嬢が今は結構いますよ。
だから、満足できないことの方が多いのです。 >>965
大きな店と言えば『大華』を御存知ないでしょうか?
私が遊び始めた時期、ギリギリ存在していた様なのですが、利用しないうちに取り壊されてしまった様です。
写真も残っていない様でどんな外観だったのか見てみたいのすが… >>967
自分自身で確認してない伝聞を事実って簡単に書くなよ。ガキか? >>972
金貸し中心に事業を行っている元〇〇〇の人物と付き合いあってそちらからも聞いている。
パーティー券買わされて出席したら吉原の中心人物もいましたしね。
駆け出しのタレント・モデルがカクテルやドリンクのサーバー係やっていましたよ。
今は娘にバトンタッチした人気占い師が新婚間もない格闘家を一晩2千万で買った話しも聞きました。 >>973
現在とは社会の考え方が異なる昔の話だし、信じるか信じないかを含めてそれぞれの判断、ということでいいじゃないですか?
ちなみに、確かもうひとり、歌手で女優の今〇某の噂もありましたよね。私は一切真偽を知りうる立場じゃなかったですけど。 >>970
954です。レスかたじけない。
自分もプレステージ時代の千草さんには何度かお世話してもらった。
そう、まさしく彼女はあなたの言うような人だった。
仕事も出来て人柄も良くて、熟女だったけど入ってて全然抵抗なかったね。
この店では、突然閉店したヒルトンから移動して来た
前店でNo1だった南條さんにも引き続きお世話になっていました。
自分も、若くても仕事の出来ない嬢よりも、熟女でも仕事の出来る嬢を選んで入ってたね。 >>971
「大華」、憶えているよ。京町通り沿いにあった。
何度かこの店の前を行き来したことがあるからね。
建物(二階建てだったか?)・前庭・木の門柱・板塀、その時はまだそのまま残っていたね。
赤線廃止後に建物を転用して格安のトルコ?ソープ?店として営業してたらしいけど、
その時まだ営業していたかすでに廃業していたかは定かではないな。
今から思うと、営業していたら入っておくんだったな、と後悔しているよ。
壊された後、「ロイヤルプラザ浅草」という大きなマンションが建っている。
写真見つからないから、漫画の一コマに描かれているのを貼っておくよ。イメージだけでもね。
https://twitter.com/yuukakubu/status/858201245143650304/photo/2 >>976の(続き)
「吉原酔狂ぐらし」(吉村平吉)著 の一節に「大華」の記述があるから抜粋しておくよ。
>とくに「大華」は、遊郭時代には ”大籬(おおまがき)” と呼ばれた超A級店だったのだが、
>その風趣ある建物の外郭と環境をそのままに内部だけを改築してトルコにしたという、
>いかにも吉原らしい店だった。
この著者の吉村氏とは、その後2回ほど吉原の中で偶然すれ違ったことがあるよ。
この人、吉原が好きで吉原の中に住んでいたからね。
いかにも粋な風流人という感じの人だったね。 >>958
鈴木京香は大学時代からデビューしてたし、大学もはっきりしてるから、少なくとも??原には在籍不可だね。 >>975
丁寧なレス有難うございます。
南條さん…懐かしい!
高級店で若いハズレ嬢を引くことが多くなり、馬鹿馬鹿しくなって大衆店のベテラン嬢遊びにシフトしていった頃です。
あの料金であのサービス内容。
今ではないですよね。
人は図々しい生き物でリーズナブルな料金でイイ思いするとそこから上には手を出さなくなる傾向があります。
特に高級店でハズレ引き続けたりすると。
南雲グループの店、川野プロデュース店に行っても御客を見て仕事を変える嬢が多く、がっかりです。
ネットの情報で馬鹿な御客が沢山来るから本物の仕事は昔からの太い御客以外には提供しないという嬢が非常に多い。 >>976
ご親切なレス有難うございます。
添付頂いた画像は『風俗魂』のものですね。
『風俗魂』は全巻読みまして、御紹介のページでこんな店あったっけな?っとなりました。
当時、写真資料を見つけようと様々調べたのですが、写真資料を入手することはできませんでした。
板塀があったのは記憶にあるんですよね。
建物が先に解体されて板塀だけ暫く残っていたのかと。 >>977
私は『クラブエンジョイ』(国際ロータリー)の待合室で吉村氏に会ったことがあります。
ハンチング帽を被って洒落た感じでした。 >>975
書き忘れましたが、マネージャーの中鉢さんは業界をよく知っていて御客とのコミュニケーションや営業が素晴らしかったですね。
大衆店遊びでも御客を満足させて帰す(返す)という今の店にはいないよくできたスタッフでした。 >>981
巨乳の羽川嬢がデビューしたのがこの「クラブエンジョイ」。
当時、待合室にお茶なんか出してくれる接客係のボーイならぬ若いレディーがいてね。
こっちは客として身の置きどころがないというか、バツが悪い思いというか・・・困惑したよw
「お客さんから『貴方には入れるの?』なんてよく聞かれるんですよ」なんて、
その子苦笑しながら言ってたのを思い出すよ。
吉村平吉さんとは、京町通りから一本入った路地上ですれ違ったのが1回目、
仲の町通の情報喫茶「あなば」でこれまた偶々隣の席に座っていたのが2回目の出会いだったかな。
ママとにこやかに会話しながら女の子掲載のアルバムなんか見ていたっけ。
それがとても様子が良くてね、全然いやらしい感じがなかった。
人柄だね。自分もあんな風に粋に老いたいね、無理だろうけどw 伽羅の南野さん、色白の妖艶な顔立ちで声も艶っぽかったが、親切な女性だった
(金津園から来た南野陽子さん、サントノーレの南野さんとは別人)。
仕事もできたし、接客応対も品があって丁寧。締め付けと肉付きもよかった。
その後、ミロワールに移籍して秋山と名乗ったけど、その後の消息は不明。
出身地は東日本大震災で被害の出た地域だけど、大丈夫だったのかな? >>983
いその・えいたろう氏著『風俗アダルト情報源 裏情報篇』より以下、吉村氏の紹介と吉村氏の言葉です。
“早稲田大学卒のインテリポン引きとして新橋界隈では名の知れた人物だった”
“遊びでは、金は木戸銭だよ
いけないのは、買ったんだっていう傲りの気持ちだ
有難く公平、平等の精神でお付き合いすればいいのに客になるとふんぞり返って偉ぶるのはよくないよ
オレは金払ってるんだ、これがいけないやね
男の値打ちを下げますよ”
“遊びも芸も消えモノ
何にも残らないからステキなんだ
一生懸命に汗かいて、みんなその消えモノに打ち込む
女遊びも一緒、瞬間芸ですよ
でも、その瞬間に狂い、燃えるそこに「粋」の精神が備わってネ
夏の花火みたいにパッと燃えておしまい”
晩年はアパートでの孤独死で、死後、経過してから発見された様ですね。 >>983
羽川嬢ですが、『伽羅』の姉妹店『王室』の売れっ子ですよね?
『サンタモニカ』が『グッドワイフ』になる直前に入店し、今はSFGの『ソレイユ』に在籍している様です。
残念なのは昔のお仕事ぶりは無い様子。
南雲グループ店や川野プロデュース店に在籍する有名嬢もそうですがね。
何となくわかるのは、男も女も自分の老いを自覚するのって客観的には写真であり、自覚するのは体力の低下や体形・体重の変化ではないかと思います。
ただ、現役の時は自覚しつつもまだ若いと思う感覚があるのが多数ではないでかと。
だから、高級店の手取りでないと仕事をしないという意識があるのではないかと思います。
しかしながら、買う側からすれば昔の若さやスタイルとは変化があるのだから見合った料金にして欲しいと思うわけですよね。 >>967
すぐに人の話を信じてしまって騙されやすい人っていう自覚ありませんか?
雄弁ですけどしっかりと裏を取ってます?
ソープ嬢の話を真に受けてるだけじゃないですか?
有名人の実名出していますが本当に大丈夫ですか?
間違いなく事実と受け取っていいですね?
大丈夫ですね?
回答お願いします。 >>967
どうした?
有名人を実名出して語ってるんだから責任もって答えないと
>>988
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