生まれ育った場所は上伊那郡中川村。当時は人口5,000人ちょっと。中学校は村内に一つだけ。一学年60人程度。まさかのサッカー部すらない。陽キャは野球部とバレーボール部、陰キャは卓球部と陸上部、文化部は吹奏楽部しか選択肢がなかった。

都市部である伊那市と飯田市の中間に位置し、村内には塾どころか公文もない。隣接市町村にも偏差値50未満の高校しかなく、馴れ合いな雰囲気で向上心も皆無。オラこんな村嫌だの世界より少しマシな程度だ。
学年でただ1人、親の送迎で飯田市の塾に通っていた私は必然的に1番をキープした。

中川中学校から伊那北高校へは3人が進学したが、入学後は他の2人に抜かされた。(2人は現役で信州大学に合格)
天狗になるキッカケになった1番は単に塾のお陰だったようだ。