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りりしい闘犬の股にぶら下がったシンボルが、オスの哀しさを漂わせる

その犬は“大・中・小”あった。
本来なら大型犬・中型犬・小型犬と呼ぶべきなのであるが、その犬は生きていない。いや、かといって死んでるわけではなく置物の犬なのだ。
しかも土佐犬で、しめ縄や化粧まわしなどを装着した、いわゆる“闘犬”ってやつなのである。

僕はこの闘犬を高知県の土産物屋で見つけ、「一体、誰が買うんだろう?」と、しばし考えた。

まずは闘犬好きな人である。本当は生きてるヤツが欲しいのだが、フツーの犬と違ってなかなか飼い慣らすのも大変に違いない。
散歩させてもこの雄姿じゃ目立ち過ぎるし、出合い頭に他の犬をかみ殺してしまうかもしれない。
仕方ない、ここは置物で我慢しておくか…そんな人である。

でも、いくら考えてもそんな人以外は買う動機が見当たらない。
こんなものが玄関先に置いてある家には決して近づかない方が賢明だ。それほど闘犬の置物と日常生活は縁遠い。
それにしても“大”は大きい。実物大とはいかないまでも、かなり生きてる感が強い。

たぶん宅配サービスもあるのだろうけど、そこまでしてほしいかというと確実に「NO」だ。
僕はいつしか土産物屋で“買う前提”で考えていることに気づいた。理由はやはり日常生活との大きなギャップだ。

僕が買わずして誰が買う!そんな使命感も芽生え始めてる。
だから“小”ではパンチがなさ過ぎるのだ。ここは間を取って“中”ってとこか。

とうとう棚から勝手に取り出しては前から後ろから眺めてみる。
その時、気付いたのだが“大・中”にはあって“小”にはないものがある。
それは金玉だ。そこはいくら鍛えようが、闘犬とてどうしようもないダラーンと伸びた金玉だ。

オス全般の哀しさは金玉にある。一番肝心なものをこのハイテク時代に皮の袋に包んで守ってる儚さ。
確実に弱点はそこだ。

僕は今、この闘犬(中)に「ペス」という名前をつけて仕事場の床にジカ置きして飼っている。

以下ソース
http://www.zakzak.co.jp/love/news/20160720/lov1607200830001-n1.htm

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