「カリスマ男の娘」として人気を博し、過去には男性なのに女優としてAVデビューを果たした大島薫。
女性の格好をしたまま暮らす“彼”だからこそ覗ける、世の中のヘンテコな部分とは?
唯一ボクが自分を情けないと思うことがある。
それは女性と一緒に繁華街を歩いているときだ。
東京に引っ越してから思うのは、繁華街にはキャッチやスカウトがやたらと多いということ。
ナンパだって昔住んでいた大阪の比ではない。
「お姉さんたちー!」
派手な髪の毛にチャラチャラとしたファッションの若い男性が声をかけてくる。
男の見た目のときなら、彼女と歩いていてこんな風に声をかけられることはなかった。
スカウトもキャッチも、男連れの女の子なんて口説いたって、断られるか、男のほうにドヤされるに決まっているのだから、最初から声なんてかけようとは思わない。
しかし、いまのボクでは話が別だ。
男性だと気付いていないか、気付いていてもこの見た目だから「男しか好きにならないタイプの人間だろう」と思われているに違いない。
「あ、大丈夫です」
そんな風にお茶を濁して断る。
「ボク男なんで」とか「彼女なんでやめてください」とか言えればどれだけ楽だろうと思う。
ボクはこの見た目で男性だと知ったときの奇異の視線を、何度も感じてきた。
ボクが他人にどれだけヘンな風に思われようが、それは一向にかまわない。
そもそも、そんな半端な覚悟で「大島薫」という活動をやってきたわけではないのは、このボク自身が一番よく知っている。
しかし、いま一緒に歩いている子については別だ。
「うわ、この子の彼氏“オカマ”かよ」
「趣味ワリィなぁ……」
ボクと一緒にいたばっかりに、そんな目線に晒されることを強いるのは、ボクが思う優しさではない。
自分のプライドのために、他人を傷付けていいはずがない。
男として女性を愛するならば、男性は「この人を守りたい」という気持ちが、大なり小なりあるはずだ。
ボクだってそう思うし、そういう行動をしようとする。
でも、実際のところ、この見た目で生きることを選んだ以上、キャッチもナンパも追い払うことができない。
それで何を持ってして《男》と呼べるのだろうか。
大島薫という存在になって、ボクは男性の自我を失ったとは思っていない。それに迷いもない。
だが、こういった場面に遭遇するとき、ふと、結局のところ男らしさというのは、見た目も含めて男らしさなのではないかと、また何度も通ってきた同じ袋小路に迷い込む。
女装のクオリティを上げるため、男性のとき鍛えていた筋肉はすべて落とした。
美を重視して歩きやすさをすてたようなヒールも履く。
スカートは足に纏わりつき、何かあってもすぐに走ったりすることもできない。
こんな状態で事件に巻き込まれたとき、ボクは果たして彼女を守れるのだろうかといつも思う。
ボクは見た目だけを女性に近付けるつもりが、実質「女性」と同じになってしまったのではないかと考える。
なにもこれは女性蔑視で言っているわけではない。
女性は女性として価値のある存在だ。
ただ単に身体の構造上、男性のほうが力があるように生まれてくるから、男性は力の面で女性を守ろうとする。
初めからボクが女性であれば、そんなところで自分の価値を求めようとはしなかっただろう
(これも女性ではないから、実際の女性がどう思うのかはわからないのだが……)。
ただ、持っていたものを失ったように感じるのは、結構ショックだ。
自分がなりたい見た目を追及していることには満足している。
しかし、好きな人を守ってあげられないことは情けない。男として、情けない。
「お姉さんたちー!」
声をかけてくる男性たち。
ボクはそんな、答えの出ない悩みを抱きながら、今日も黙って女の子の手を引く。
以下ソース
https://nikkan-spa.jp/1305976
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