冒頭で述べたように、正常状態では、乳腺には分泌細胞、すなわち腺房細胞は認められない。
腺房細胞は妊娠中に徐々に乳管細胞から分化するが、それが分泌を開始するには分娩というシグナルが必要不可欠だ。

いったん長い冬眠から目覚めると、乳腺腺房細胞は他の外分泌腺では不可能なすごいことをやってのける。
つまり、「おいしいミルク(母乳)」を止めどなくつくり続けるのだ。

ミルクには、カゼインやラクトアルブミンといった分解されやすい良質のタンパク質、微細なエマルジョンとなった脂肪、そして甘さの秘訣である乳糖が豊富だ。
さらに、ヌクレオチド、鉄分、カルシウムといった乳児の成長に必要なすべての栄養素がたっぷり含まれる。

大量のリゾチームやラクトフェリンや免疫グロブリンA(IgA)を含む母乳は、乳児腸管における感染防御にも大役を担う。
ミルクに含まれる母親由来のリンパ球やマクロファージが、乳児の腸管内で活躍するという報告もある。

免疫グロブリンG(IgG)が胎盤を通過できないウシやブタでは、初乳中に大量のIgGが含まれており、新生児小腸にはIgG分子を選択的に血中へ輸送する機構が存在する
(注:IgAは粘膜表面で働く抗体、IgGは体内に侵入してきた病原体を取り除く抗体)。

初乳を飲みそこなったウシやブタの新生子は、血中のIgGがゼロに近く、100%感染症で死亡するそうだ。
幸いなことに、ヒトではIgGの選択的吸収、すなわち、小腸上皮的機能を胎盤絨毛細胞が代用してくれるので、牛乳からつくった人工乳での保育が可能なのである(ヒトの母乳中にはIgGは少ない)。

余談だが、母乳を飲んだ乳児がスヤスヤと眠るのは、カゼインが分解されて生じるオピオイドペプチドのおかげであるとする説がある。
「カゾモルフィン」と命名されたこのペプチドの発見は、ミルク由来のタンパク質を生理活性ペプチドの前駆体と捉える研究の端緒となったそうだ。

ああ、偉大なる乳房!
あなたは、授乳期乳腺を標的臓器とするホルモンを、かの内分泌の指令塔である下垂体に2つも従えている。
非妊娠時の女性や男性ではその役目を論じられることすら少ない伝令役、プロラクチンとオキシトシン――。

日高氏の著書によると、オスザルの尻が赤いのは、もののついでといった意味あいのほかに、ボスザルに対する従属の表現(擬態)として「尻を向ける」行為が行われるためだそうだ。

われら男性のプロラクチンやオキシトシンは、いったい何のために産生され続けているのだろうか?
芸術的なまでに麗しき、かの乳房に対する男性たちの崇拝衝動とは無関係ですよね、きっと!?

終わり