以前、史上最高のプレイボーイとして在原業平を紹介しました。では、史上最高のプレイガール(美女ではない)は誰でしょうか。
断定はできませんが、有力候補となるのが平安時代きっての女流歌人和泉式部です。
なにせ、娘が生まれた時、誰の子かわからないという歌を詠んだ程、セックスに奔放でした。

いくらフリーセックスの時代であったとはいえ、藤原道長も、「浮かれ女」と呼び、いい加減にせよと眉をしかめました。
道長から注意されたのは、彼女が道長の娘で一条天皇の中宮となっていた彰子に仕えていたからです。
同じく彰子に仕えていた紫式部からも、「あの人は歌はうまいがけしからぬ方」と評されました。

さて、和泉式部の性遍歴はというと最初の夫、和泉守橘道貞と離婚した後に冷泉天皇の皇子為(ため)尊(たか)親王と深い仲になりました。
この時、親から身分違いの恋だと咎められ、勘当されました。

ところが、和泉式部、勘当されたくらいではへこたれません。
為尊親王が二十六歳の若さで亡くなると弟の敦(あつ)道(みち)親王との間に子供をもうけました。

敦道親王も亡くなり、彰子の女房となったのですが、それからも奔放な性遍歴は留まるところを知らず、ある身分ある男性とは、なんと牛車の中でセックスをしたそうです。
日本史上初のカーセックスと言われています。
御簾で隠されているとはいえ、牛車を停め、周囲を憚ることなく行為に及んだのですから、「浮かれ女」の本領発揮といったところでしょうか。

そんな和泉式部も性遍歴に終止符を打ちました。道長の家来で武勇に優れていると評判の藤原保昌と再婚したのです。
保昌は和泉式部から、私の為に紫宸殿の左近の梅を手折れますかと問われ、警護に当たる北面の武士達から矢を射かけられながらも見事梅を折り、歌を添えて送りました。
和泉式部はハートを射抜かれ、保昌と結ばれたのでした。

文武両道の保昌は精力も絶倫で老いても盛ん、浮気すること度々であったそうです。
そこで、モテモテの夫を繋ぎ止めるため得意の歌を詠みました。保昌は感動し、和泉式部に惚れ直したとか。

彼女を歌に駆り立てたのはセックスだったのです。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/7144985/

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