早見俊の『偉人たちの処性術』

西郷隆盛、大久保利通と共に維新三傑に上げられる木戸孝允、幕末の頃は桂小五郎として倒幕運動に奔走していました。
現在残っている肖像写真を見ると中々の男前です。

新選組副長の土方歳三もイケメンですが、桂小五郎も負けてはいません。桂小五郎、イケメンゆえか大変にモテました。
長州藩の外交を担っていた桂は京都にあって、朝廷や他藩の志士たちと密談を重ねました。密談で使われたのは祇園の料亭です。

桂に限らず志士たちが祇園を利用したのは、祇園が祇園さんこと八坂神社の領地であったため、幕府の役人が勝手に踏み込めなかったからです。
ちなみに新選組の隊士たちは幕府官許の遊里島原で遊んでいました。逆に桂たち志士たちは島原には足を向けませんでした。
ともかく、桂は相当にモテ、後に夫人となる松子は幾松という名の芸妓でした。

元治元年(1864)長州藩は薩摩、会津連合軍と京都で戦いました。いわゆる蛤御門の変です。
長州藩は大敗を喫し、桂は命からがら逃亡します。残党狩りは熾烈を極め、桂は鴨川の河原で物乞いに成りすまして新選組などの探索の目を逃れました。
この時、幾松が決死の覚悟で握り飯を届けていたことは有名です。

やがて、桂は京都を脱出し、皿蕎麦で有名な兵庫県の出石に潜伏します。潜伏期間は八カ月に及び、荒物屋に成りすましていました。
出石にも幾松は命がけの旅をして桂と再会しました。ところが、桂、何しろモテるゆえ、出石で浮気をしており、幾松は激怒したとか。

この後、桂は幾松と共に長州に戻りました。長州に戻るまでに四国の金毘羅山を参詣しています。
長州に戻った桂は薩長同盟を成し遂げ、倒幕運動を指導し維新の元勲となりました。

明治維新後、幾松が欧米に外遊中の木戸孝允に送った手紙が残っています。
手紙には、

「お土産、たんとたんとたんと買うてきておくれやす」

なんとも可愛らしい文言ですね。

愛する人のため決死の覚悟で尽くした幾松は気丈であるばかりか、いつまでも乙女心を失わない女性であったことが窺われます。
モテ男桂が惚れたのは気丈さの下に秘めた可愛らしさかもしれません。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/5931836/

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