早見俊の『偉人たちの処性術』

曲直道三、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した医者です。

幼くして両親と死別し、十歳の時に仏門に入りました。
二十二歳の折に関東に下向し、足利学校に入り、名医として知られた田代三喜に医術を学びます。
四十歳で京都に戻り、還俗して医者になりました。

それからは、足利義輝、細川晴元、三好長慶、松永久秀といった京都の有力者の診察をし、更には正親町天皇の診療も行い天下一の名医の評判を得ます。
当然、織田信長が上洛すると信長に仕え、銘木、「蘭奢待」を下賜されました。

信長死後は秀吉の診察を行い、文禄三年(1594)八十八歳という高齢で亡くなりました。
医術を伝えるべく学校も設立し、多くの医者を育てました。

その曲直道三、数多の著作を残していますが回春法を記したものもあります。
基本は食と性行為の節制を説き、男女共に心身が健康でなければ性行為はうまくいかないと記しました。

注目すべきは女性の気持ちを大事にしていることです。
すなわち、女性がその気になっていないのに、無理やり性行為に及んではよいまぐわいはできないと教えているのです。
女性がその気になっている兆候として、顔が赤らむ、鼻をすする、目を閉じ舌を出して息遣いが荒くなる、玉門が暖かく潤い愛液が溢れる、足で男の腰を挟み両手で男の背中を抱き締め唇を合わせた時を挙げています。

こうした状況に応じた男の行動を教授していますが、無闇に精液を放ったり、動きを激しくしてはならないと諭してもいます。

欲望の赴くままに性行為を行ってはならず、年齢に応じた回数までも書き残しています。
二十代は三日に一度、三十代は五日に一度、四十代では七日に一度、五十代は半月に一度とした後に、六十四歳以上になったら度を越さない範囲としているのが面白いです。

二十代、三十代で性行為をやり過ぎると白髪となり、五体がやつれ、関節がこわばって腰痛となり、揚句にはあらゆる病を発症し、短命に終わるとしています。

自ら実践したのでしょうか。道三は米寿を祝うことができました。
近代まで性行為は命を縮めるものと信じられていたようです。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/9566500/

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