この度ご紹介するのも、性的欲求を持つとも持たないともいえない「デミセクシャル」と呼ばれる新たに発見されたセクシャリティだ。
オンライン俗語辞典「Urban Dictionary」によると、デミセクシャル(demisexual、半性愛)とは、性愛者(sexual)と無性愛者(asexual)の中間(demi)にある性的アイデンティティだという。
2008年ごろ、アセクシャルコミュニティ「The Asexual Visibility and Education Network」がその存在を指摘して以来、欧米で徐々に認知されてきたそうだ。
デミセクシャルの人は、しばしば、他者に対して性欲や恋愛感情を抱かない、いわゆる「Aセク」(無性愛者、asexual)と同一視されてきたが、半性愛と呼ばれるように、完全な無性愛というわけではなく、時には強い性的欲求を持つという。
ただ、男女関係なく他者との強い心理的繋がりを感じない限り、相手に対し性的欲求が生じないということだ。
つまり、基本的には性欲を持たないが、心理的繋がりを感じるトリガーが引かれることで、性的欲求が生じるという。
だが、これは極めて“普通”ではないだろうか?
むしろ、とっかえひっかえ誰とでも寝るような人物の方が“異常”であり、社会的には愛情と性的欲求は重ねあうべきだと思われているのではないだろうか?
一体、デミセクシャルのどこが“普通”ではないのだろうか?
自らをデミセクシャルと自認する匿名の人物が、「The Asexual Visibility and Education Network」に、デミセクシャルを他人に理解してもらうことの難しさを語っている。
(8月28日付の英紙「Daily Mail」から引用)
「私が自分のセクシャリティがどのように記述されるか知ったのは、つい最近(先月ぐらい)です」
「ここ1年半〜2年の間、私は自分がバイセクシャルかアセクシャルではないかと思っていましたが、どちらもしっくり来ませんでした。それに、5年ほど異性との関係を続けており、性自認と実際のセクシャリティが噛み合っていなかったのです」
「最大の心配事は、親しい友人が私のセクシャリティを理解してくれていないのではないかという点です。つまり、会った人と誰とでも寝ることを嫌うのは普通のことだと思われ、デミセクシャルを正しく理解してもらえないのではないかという恐れなのです」
一見して、“普通”とされているヘテロセクシャル(異性愛)とデミセクシャルは変わらないように見えてしまうが、会った人と誰でも寝ることは嫌いだが、性欲が生じることもある(普通)と、会った人と誰でも寝ることは嫌いであるのは性欲が湧かないから(デミセクシャル)というように、根底にあるものは全く別物だということだ。
そして、この見かけ上の類似がデミセクシャルの人々を苦しめることにもなっている。
たとえば、「Urban Dictionary」に掲載されている2人の人物の会話は、この人物の恐れを的確に表現している。
A「私はデミセクシャルなんだ」
B「何それ?」
A「相手と強い繋がりを感じないと、性的欲求を感じることができない人のこと」
B「それはラベル付きの単なるヘテロだろ。君は自分を特別に見せたいんだな。それに、君が正しくて、そんなセクシャリティが本当にあるとして、君は全ての異性愛者がビッチだと言うわけ?」
A「性的欲求を感じることができないことと、誰とでも寝ようと思わないことは違うよ……。少し考えてから喋って」
続く
以下ソース
http://tocana.jp/2017/08/post_14309_entry.html
★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/