「ママー、さっきパパが駅前で知らないお姉さんと歩いてたけど、『ママには黙ってて』って1万円くれたから、半分こしようよ」
上の娘が高1くらいの時に、こう言ってきたことがありました。
「ふうん、どんなお姉さん?」
「浜○あゆ○に似てたー」
「そうなんだー。ありがとう。お金はいらないから、晩ごはんは、お父さんにナイショで、みんなでおいしいもの食べに行こうよ」
「マジでえ? お鮨がいいなー」
「行こう行こう」
娘たちとの関係は、当時も今も良好です。私も極妻ですから、それはそれはいろいろありましたが、家族を第一に考えてきました。
若い衆が同居していた時代には、娘たちの寝食は基本的に私の実家でさせながら、なるべく一緒にいる時間を作っていました。もちろんPTA活動もがんばりました。
でも、この時、実は「まだアユさん(仮)と付き合っとったんか!」と、はらわたは煮えくり返っておりました。
アユさんは、地元のキャバクラで有名な美人さんでした。モテるのはいいけれど、お客さん同士が彼女を取り合ってトラブルになることも珍しくありませんでした。
アユさんも内心は迷惑だったと思いますが、なんだかオッサン同士が自分を奪い合うのを面白がっているようにも見えました。
今思えば平和なお話です。実際、バブル期から90年代の半ばくらいまでは、全体的にノンビリしていました。
今は何かにつけて世知辛いですね。ただ、オットは一応「親分」といわれる身ですから、そういう低レベルの争いには関わってほしくなかったのです。
もちろん「ほかにも美人さんはいっぱいいるのに、よりによって」的なことは言いたくなかったので、放置していましたが、たまに若い衆がコッソリ言いつけてくれました。
若い衆も心配だったのだと思います。
ちなみにアユさんは、その後に自殺未遂騒動を起こして、故郷に帰られたと聞いています。モテすぎるのも大変ですね。
今どきのヤクザは、うっかりバーにも入れません。「暴力団関係者お断り」の札自体は前からありましたが、今は本当にうるさくて、通報されることもあるそうです。
が、かつての親分衆は、自分の縄張りのお店で豪快に飲むのがステイタスでした。で、お店の女の子たちの身の上話とか聞いて、真に受けるんですよ(笑)。
自称「アイドルの卵」ちゃんたちにも、しょっちゅうお小遣いをあげていましたね。
でも、これが親分というもの。いいとか悪いとかではなく、頼られたらいいところを見せなくてはなりません。
だから、平日の雨の日には若い衆をたくさん連れて飲みに行っていました。お店にとっては「いいお客さん」です。「ヤクザは困る」なんて人はいませんでしたよ。
まあシノギが回っている時はいいけれど、そうでない時もあるので、けっこう大変でしたけどね。
続く
以下ソース
http://www.cyzowoman.com/2017/10/post_156043_1.html
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