あの夜の記憶を、私は今も鮮明に覚えている。あの夜、私は酒に溺れ、危険水域に引き込まれる寸前だった。
そう、私はただの酔っぱらいに落下しようとしていた。その時だった。

「オカマがさぁ、飛び降り自殺したんだってさぁ...」

どこからか呟かれた言葉に、酒場の片隅に座っていた私の心が小刻みに揺れた。
私の朦朧とした酔眼は、その言葉の深意を探ろうと酒場を彷徨ったが、言葉はすでに跡形も無く消え去っていた。
私は、幻聴を聞いたのだろうか...。 いや、その呟かれた言葉は、今、まさに水没寸前の私を踏み止まらせ、私の意識の深い風景の中にあった。
上野界隈に佇む、男娼たちの姿を甦らせた。

1980年代終り、街は、狂疾のバブルのまっただ中、浮ついた空騒ぎが雑踏を支配し、熱病に浮かされた者たちが、毒薬を一服盛られたように、涎を垂らしながら、だらしのない笑みを見せて街を徘徊していた。
そんな狂い咲きの上野の街で、ストリートに、路地に、池の端に、彼女たちは佇んでいた。 私の馴染みの酒場があった路地裏にも、彼女たちの姿はあった。

酔顔の男達がフラフラと路地に吸い込まれて来ると、スッと歩み寄っては、「お兄ちゃん、チョイと遊んでいかない」と囁いた。
彼女たちだけが持つものだろうか、理由のない奇妙な圧力があった。その方面に詳しい友人が言うには、彼女たちは、すぐ近くにある同伴喫茶に男を連れ込んで、カップルを覗いたり、時には抜いたりするという。

狂乱のバブルが崩壊した。崩壊は坂道を転がるように加速度を増し、熱病に浮かされた者たちの姿が、上野の街から消えた。
そしてまた、彼女たちも、ストリートでは、ほとんど出会うことはなくなってしまった。どこへ行ったのだろうか...。
今、不忍の池畔、下町風俗資料館(以下資料館)辺りに佇む、彼女たちの僅かな影を見る。

上野と男娼、そこに歴史がある。
江戸時代、上野には寺小姓、隣接する湯島界隈には、男色を売る少年たちの陰間茶屋が多かった。客はといえば、上野の山の寺坊主だった。
また敗戦後の上野には、地下道を中心に二千人に余る浮浪者がいた。その中には、生きるために春を売る者たちもいた。
上野の街娼は七百人、その他の淫売を含めれば千三百人の商売女、さらに女装、男装とりまぜて約百人男娼がいた。
そして、

「1948年、警視総監一行が、浮浪者の狩り込みを見学の上、夜の上野公園を巡視中、同行の報道カメラマンが、ノガミ(上野)名物"夜の男"の群れを撮ろうとランプをつけたことから、入り乱れてのケンカとなり、警視総監は殴られた上、帽子をひったくられる騒ぎ...以下略」〈朝日新聞〉

まさに、上野の森は、男娼の森でもあったのだ。

2004年初夏、生暖かい風が木々を揺すり、不忍の池の蓮の上を吹き抜け、上野の繁華街へと流れていった。
資料館脇の植え込みの石の縁に一人、年配の彼女がいた。私が近付いていくと、気付いたのか微笑んでみせた。
それから、徐に黒いストッキングをたくしあげた。

私は、一瞬たじろいだが、思い切って尋ねてみた。 「あのー、ちょっと伺いたいんです。おネエさんたちの中で、自殺した...」と、ここまで言った時、彼女の顔が僅かに強張った。
私は、慌てて名刺を差し出しながら、言葉を継いだ。

「モノカキで...、ちょっと、お話を...」

彼女は名刺に目を落とすと、しっとりと言った。

「自殺したサクラちゃんとは、私が浅草でお店をやっていた頃、あの子は他の店で働いていて、お店へ飲みに来て知り合ったの。話してみると、お互い出身が長崎で、それがきっかけ、もう二十年前の話よ。
それからサクラちゃんは、浅草のゲイバーに移って来て、そう二十の頃ね。そのあと、あの子は渋谷の道玄坂で、今ココでやってたみたいなことをやるようになって、それで、流れ流れて上野へ来たわけ。そこにあたしがいたってわけよね」

そう言うと、彼女は煙草に火をつけた。

続く

以下ソース
http://tablo.jp/culture//news002533.html

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