お寺で行う婚活「吉縁会」に、独身男女が殺到している。2010年の発足以来、静岡の本部に加え、東京、名古屋、岐阜、大分、仙台のお寺(臨済宗妙心寺派)で婚活の会が開催されてきた。発起人は、静岡県浜松市にある龍雲寺の副住職、木宮行志(きみや・こうし)さん。なぜ、結婚したくてもできない人が増えているのか。なぜ、お寺が婚活をするのか。「それでも一人より二人がいいと思います」と語る本宮さんインタビュー、【後編】をお届けする。

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─「吉縁会」には、25歳〜49歳までの男女が参加されています。年齢が上がるほど結婚は難しくなると一般には言いますが、吉縁会の婚活でもそれは感じられますか?

「若い女性がいい」と言う男性は多いですね。子供が欲しいから35歳までの女性がいいとかね。そういう人に対しては、「女性を数字で見るのはやめなさい」と説教します。まずは女性と出会うこと。その先に子供があるだろうと。もちろん子供のいる人生は楽しい。しかし、子供のいない幸せもある。養子をとってもいいんです。
一方で、女性も、年齢を重ねれば重ねるほど、「ここまで待ったのだから」という気持ちが強くなるんでしょうね。私たちの会では、婚活の最後に、気になる人に自分の連絡先を書いたカードを渡す仕組みなのですが、最も連絡先を渡さないのが40代の女性です。20代、30代は、もう少し気楽に渡すんですよ。どうかなあ? と思うくらいの人にも、とりあえず渡しておこうというふうに。40代がいちばん選んでいるんですね。

─無理に結婚しなくてもいい、という考えもあります。

婚活やめました、諦めました、という手紙をいただくことも多いですね。とはいえ、結婚したいという気持ちがあったから、婚活に来たんでしょうからね。自分の心の持ちようを少し変えてみたらどうですか、とは思いますね。
いまは、結婚のハードルがすごく高くなっているんです。結婚の入り口に多くのものを求めている。対して、離婚のハードルは下がっている。昔は逆でした。お見合いで結婚した私の祖父は、「嫁と入れ歯は慣れれば極楽」と言っていましたよ(笑)。

─どんな相手でも慣れれば上手くいくと。

貧乏だった祖父は歯を磨いたことがなく、30代で総入れ歯になったんですね。昔の入れ歯ですし、口の中にはたいへんな違和感があるわけです。けれど、受け入れて慣れてしまえば、歯は磨かなくていいし、こんなラクなことはない。奥さんも同じで、他人なのだから、異物ではあるけれど、異物だと思って過ごしていたら上手くいかない。受け入れてしまえば、寄りかかれるし、助け合えるし、一人より二人のほうがいいね、となるんです。
もちろん、一度受け入れたところで、やっぱり腹は立ちます。入れ歯だって、今日はどうも調子が悪いなという日もある。そこはどうしても我慢が必要になります。

─どこまで我慢をすべきなのか。我慢してまで結婚をする必要はない、とも思いますし、ある程度の我慢は必要とも思う。その塩梅が難しいです。

吉縁会を始めた頃、わがまま人が多いな、と感じたんです。都会で開催するほど感じました。わがまま、という印象がどこから来るかと考えたとき、一人暮らしが多いからだと気付きました。一つ屋根の下で複数人で暮らしていると、どうしたって問題が起きるんです。便座を上げるとか下げるとかささいなことで揉める。でも、自分以外の誰かとぶつかることで、人間は“カド”が取れていくんですね。
一人で自由気ままに生活していると、ぶつかる機会がなくなって、いつの間にか、カドがゴツゴツした鋭利な人間になっていく。そういう状態で、いざ他人と接すると、カドが出てるから、ぶつかるんです。やっぱり人間って、一人で立派に生きられるほどの能力はないんですね。ある人もいるかもしれないけど、それはほんの一握りの特別な人。社会や他人に生かされていないとだめなんです。

続く

以下ソース
http://www.news-postseven.com/archives/20180103_640847.html

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