多くの人にとって、死は恐ろしいものだろう。だが、日頃から死に接している仏教僧はどうなのだろうか? すべては無常であり、自己は幻想だと語る仏教僧らは死を恐れていないはずだろう。

意識高い系海外メディア「Big Think」(27日付)によると、米・アリゾナ大学のショーン・ニコラス教授率いる研究チームは、仏教僧は死の恐怖を克服し、利他的であるという予想の下、インドのチベット僧院で修行している仏教僧数百人にアンケート調査を実施。その驚愕の結果が、科学ジャーナル「Cognitive Science」に公開された。なんと、比較対象となった、出家していないチベット人、インドのヒンドゥー教徒、クリスチャンと無宗教のアメリカ人に比べても、仏教僧が最も強く死の恐怖を感じており、利他的な精神も最低だったことが判明したのだ!

アメリカ人の対象者はオンラインで実験に臨んだが、他の集団はそれぞれの言語に完璧に翻訳された用紙で回答した。実験に参加したチベット仏教僧は、インドのビャルクッペやムンドッドの僧院で修行している難民チベット人だ。研究チームは、30人の仏教学者に仏教の教義に照らして最適な回答を聞いていた。

質問の2つは、「自己の連続性と永続性」に関するものだった。事前の予想通り、「過去から未来へ続く自己」(連続した自己)という考えに最も否定的だったのは仏教僧だった。アメリカ人の場合、キリスト教徒であろうとなかろうと、自己の連続性を信じている人が多く、他の集団に関しても、出家していないチベット人も含めて、半々に収まったという。時間を通じて存続する「核となる自己」(永遠の自己)、つまり魂のようなものに対しても同様の結果だったそうだ。

では、死の恐怖はどうだろうか? 仏教学者らは、仏教徒ならば、無我の教義で死の恐怖を克服するだろうと考えた。しかし、予想に反し、死の恐怖を最も強く感じていたのは仏教僧だったのだ。“死の訓練”に長けているはずの仏教徒が一般人よりも死を恐れているとはなんとも不思議ではないだろうか?

驚きはこれだけではない。利他的な行為についても予想外すぎる結果が出たのだ。質問内容は、「寿命を延ばすことができるピルがある。自分に使えば半年寿命を延ばせるが、他人に使えばその人の寿命を5年延ばすことができる。自分に使うか、他人に使うか?」というものだ。その結果、実に72%の仏教僧が自分のためにピルを使うことを選んだのだ。一方、自分に使うと答えた無宗教のアメリカ人は31.2%にとどまった。

研究チームの米・ペンシルベニア大学ニーナ・ストローミンガーは、「これまでのキャリアで最も奇妙で期待を裏切る結果」と評すなど、予想外の結果に研究チームも驚きを隠せない様子だ。

研究チームは、このような結果になった1つの可能性として、自己という幻想を克服することは簡単ではなく、修行中の仏教僧はまだ強く自己にとらわれているのだと分析している。また、仏教では完全な涅槃は死によって成就すると考えているため、魂の永遠性を語るキリスト教よりも、強く自己の消失を感じているのかもしれないという。これに関連して「Big Think」は、研究者らが実験に参加した修行僧の瞑想レベルを考慮していないことを指摘。熟練した瞑想修業者で同じテストをすることを提案している。

ここで編集部独自の考察を加えておこう。まず、仏教僧が死を恐怖していることについて。これは「Big Think」が指摘するように瞑想の熟達度という点も重要だが、他の側面から解釈することも可能だ。まず仏教の開祖であるゴーダマ・ブッダが出家を決意した理由は何だっただろうか? 出家前のブッダは、生老病死という避けられない苦しみが世界に存在することにまず慄いたのだった。そのため、ブッダは解脱後に教えを説いた際に「不死の門は開かれた」と語ったのだ。仏教を生んだのは他ならぬ死への恐怖だった。死への恐怖がなければ、解脱を目指す必要もないだろう。

続く

以下ソース
http://tocana.jp/2018/03/post_16177_entry.html

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