2月、2020年に迫った東京オリンピックなどの国家的イベントに水を差すことを避けるかのように、かなり強引なタイミングで「結婚の延期」が発表された秋篠宮眞子さまと小室圭氏。その裏事情については週刊誌などが臆測も交えつつ面白おかしく書き立てているが、小室家の借金問題をはじめ、父君と祖父君が自殺されていること、また小室氏自身の職業・年収・転職歴など、さまざまな角度から話題になるトピックが多いことは確かである。そもそも「開かれた皇室」という今上陛下の思し召しのもとでは、それらを隠し立てすること自体いかがなものかというような意見もあるだろう。

皇族のご結婚に際して、そのお相手に対する取材攻勢はこれまでも凄まじいものがあった。記憶に新しいところでは、高円宮典子さま(現・千家典子さん)と千家国麿氏、そして紀宮清子内親王(現・黒田清子さん)と黒田慶樹氏のご結婚など。もちろん、その時にもかなりのネガティブなネタはあったと漏れ伝わるが、基本的に表に出ることはなかった。しかし今回は、小室さんにまつわる前述のような情報が次々と週刊誌に報じられている状況だ。2人は今後どうなってしまうのか? 今回の「結婚の延期」がどのような結末を迎えることになるか、過去の歴史を紐解きながら考えてみよう。

―時は幕末、ペリー来航の直前のこと。孝明天皇に呼ばれた有栖川宮熾仁親王(たるひとしんのう、当時17歳)は、皇女和宮(当時5歳)との婚姻の話を持ち掛けられる。突然のことだった。基本的には、天皇からの提案を親王が断るなどあるはずもない。ところが、熾仁親王は「まだ5歳の和宮の婚姻を決めるのはあまりにも早すぎる」と考え、2人はあくまでも天皇が許可を与えた“カップル”となることを選んだのである。その後、この2人は京の都でも評判の仲の良いカップルになったという。

日本において、古来より“理想の妻”像は『源氏物語』の紫上(むらさきのうえ)、もしくは『伊勢物語』の第23段「筒井筒(つついづつ)」に記されていると考えられてきた。「筒井筒」には、幼馴染の男女がほぼ同じ環境で育ち、互いに何も話さなくてもお互いの心がわかる夫婦になるが描かれている。一方の紫上は、幼い頃に光源氏に引き取られ(拉致されたという方が適切だが)、そのまま自分好みの女性に育てられた揚げ句、妻にされてしまう。そして、江戸時代まではそれが“理想の妻”ということになっていた。いずれにしても、紫上にしろ「筒井筒」にしろ“あれこれ言わなくても自分のことを察してくれる”関係が男女双方にとって居心地が良いということになっていたのだ。つまり、熾仁親王と皇女和宮は、そのような関係を体現していたのだ。

しかしその後、このカップルの関係は時代の荒波に揉まれることになる。ペリー来航、日米修好通商条約をめぐる朝廷と幕府の対立、安政の大獄――と日本は大きく動いていく。そして「桜田門外の変」(1860年3月24日)によって大老・井伊直弼という支柱を失った幕府は「公武合体」を打ち出すとともに、まだ独身で若かった十四代将軍・徳川家茂に皇女和宮の降嫁(皇女が皇族以外の男性に嫁ぐこと)を願い出たのである。

続く

以下ソース
http://tocana.jp/2018/03/post_16289_entry.html

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