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伝説の写真集『Yellows』

今や当たり前のヘアヌード写真集だが、1990年代初頭はヘア解禁に向けて世の中が揺れていた。1993年、100人の一般女性のヌードを撮影した伝説の写真集『Yellows』を生んだ写真家・五味彬氏が制作秘話を語る。まさに同作は「刻々と綴られた日本人女性の裸体の記録」である。

 * * *

『Yellows』という写真集を作ろうと思ったのは30年前のことです。1989年に長女が生まれる時に、「父親として娘に何かを残せないか」と思いました。

当時の僕は、『流行通信』や『エル・ジャポン』などファッションの第一線にいたから写真は多く撮っていました。でも、ファッション写真のポジなんか、いくらあっても時代を経たらゴミになっちゃう。娘がおばあちゃんになって「これ、ばあちゃんのお父ちゃんが撮った写真だよ」と誇れる作品を模索していました。

直接のヒントは母の言葉です。僕は実家が原宿にあって、当時母は原宿で小さな飲み屋をやっていた。ある日、自分が携わった雑誌を届けに顔を出すと、「お前、どうして外人さんの写真しか撮らないんだい? 竹下通りに行ってみなよ。今どきの女のコだって手足が長いんだしさ」と言われたんです。

日本人女性の体型の記録なら、後世に残るものだろうと思いました。子や孫の世代が「100年前の日本人はこうだったなぁ」と見返せたら面白いだろうなと。

着想を得てから、プロトタイプ版を作って各出版社に企画を売り込みました。その中で『月刊プレイボーイ』での連載の誘いを受けました。6回の連載で100人を撮影し、連載終了後に写真集にするという話でした。

しかし直立した全裸女性の正面と後ろ姿を撮影するから、当然ヘアも写る。当時男性誌でヘアヌードを掲載すればただちに発売禁止。印刷工程でモザイクを入れるのも野暮ったくて不本意なので、自分でプリントした写真のヘア部分に白いポスターカラーを塗り、そこを針で削る、粗いスクラッチのような処理を施しました。

なぜこんなやり方になったのかというと、その年(1991年)の初頭に日本初のヘアヌード写真集『篠山紀信+樋口可南子 water fruit』が発売されたばかりだったからです。前例ができたものの、ヘアはまだ黒に近いグレー。出版社としては「ヘアの全面露出は無理だが、ある程度の露出がないと販売部数に影響する」という微妙な立場にあったために、そうした工夫が必要でした。

しかし、全6回を予定した『Yellows』の連載は、2回で終了してしまいました。3回目の撮影は終えていました。理由は諸説ありますが、2回目でポスターカラーが乾燥し写真から剥離したままヘアが無修正で印刷されてしまったのが影響していると思っています(笑い)。

連載が中止された僕のところに、別の出版社から『Yellows』の写真集化が持ち上がりました。「ヘアは無修正で行く」と出版社と合意し、発売日も決まり、搬入も済ませ、あとは配本されるのを待つのみでした。しかし、発売3日前に発売中止になりました。理由は今でもハッキリしたことはよくわかりません。そしてすべてが断裁処分された。それがヘアヌード元年の1991年に起きたことでした。

すでに撮っていた53人の写真は1993年にCD-ROMに収録して『Yellows』というタイトルで発売しました(※1999年に写真集『Yellows』としてぶんか社より復刊)。すると、CD-ROMを見た風雅書房から写真集化の依頼があったのです。新たに100人を撮影して出版できたのが、『Yellows 2.0』です。

『Yellows 2.0』が発売されたのは1993年。登場する20歳前後の女性たちは、和式便所と洋式便所の出荷数が半々になった頃に生まれ育った年代でもあります。生活が多様化した時代の、女性の体型の記録として面白い時期に記録できたと思っています。

続く

以下ソース
http://www.news-postseven.com/archives/20180420_667218.html

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