日々流される性犯罪関係の報道のせいで、「隙があったのではないか」など、なんらかの理由で被害者をバッシングする光景は、もはや日常茶飯事となってしまった。
例えば、元TOKIOの山口達也氏が女子高生に対する強制わいせつ容疑で書類送検されたことが発覚したとき、被害にあった女子高生に対して一部では「ハニートラップ」「部屋まで行っておいて被害者面されても」などといった批判がSNSなどに投稿されていた。山口敬之氏からレイプされたことを告発した伊藤詩織氏も、電通時代にクリエイターの岸勇希氏からセクシュアルハラスメント・パワーハラスメントを受けていたと告発したはあちゅう氏も、福田淳一元財務事務次官のセクハラを告発した女性社員もそうだ。みな、同じように被害者バッシングを受けていた。
福田元財務事務次官のセクハラ問題以降、被害者バッシングの際に「ハニトラ説」が持ち出されることが頻出しているが、「夜道を歩いていたのが悪い」「部屋までついていったのが悪い」「抵抗すれば防げたはずだ」といった、被害者が「自衛しなかったこと」を咎めるパターンのバッシングも根強いものだ。
今月14日、東京都町田市の路上で背後から女性に抱きつき、わいせつな行為をした林和彦容疑者が逮捕されたことが報道された。林容疑者は「両胸をわしづかみにしたところ、抵抗されたので無我夢中で顔面を何度も殴った」と容疑を認めているという(両胸をわしづかみ抵抗され、顔殴る 男逮捕)。
『あさイチ!』放送当時、「『死ぬ気で抵抗すれば防げる』のではなく『死ぬ気で抵抗すれば殺される』性暴力の実情」を書いた高橋ユキさんは、記事の中で、激しく抵抗した被害者が殺害された事件を複数紹介している。
性暴力被害は、被害にあえば「最後まで抵抗すれば防げたはずだ」「抵抗しなかったということは同意したということだ」とバッシングされ、抵抗すれば暴行を受けるか、殺害されるかもしれないということになる。バッシングを行う人びとは、いったい被害者がどのように振る舞えば満足するというのだろうか。
そもそも、どこにいようと、なにをしていようと、被害者が大人であろうと子どもであろうと、どんな性別であろうと、暴力は暴力であって、被害者を咎めるのはお門違いだ。その上、ほとんどが「レイプ神話」のような、根拠のない偏見に基づいている(「レイプ神話」については、山本ぽてとさんの「『見知らぬ人に襲われる』『加害者は家庭環境に問題がある』セカンドレイプを横行させる『レイプ神話』のでたらめ」を参照)。
ここ数年のうちに、私たちは様々な性暴力報道を目の当たりにしてきた。おそらく被害数が急増しているのではない。これまで多くの人々が声を上げることができず、そして声を上げても黙殺されてきたのだろう。「問題ない」と無知・無関心を開き直り、被害者バッシングに興じるのではなく、受け止められずにいたことを反省し、学び直していくことこそが必要なのではないか。
以下ソース
http://wezz-y.com/archives/54774
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