【歴史】廃藩置県の後に起きた都道府県の『人口獲得競争』 明暗を分けたポイントは「そこで男女が出会えるか?」だった[06/22] [無断転載禁止]©bbspink.com
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001逢いみての… ★2018/06/22(金) 00:01:35.83ID:CAP_USER
47都道府県による「人口獲得競争」は、明治5年(1872年)に人口統計がスタートした明治期に始まっていた。歴史人口学の専門家で一橋大学大学院経済学研究科教授の友部謙一氏がその背景を解説する。

 * * *

明治4年(1871年)に行なわれた廃藩置県で、それまで約300の藩に分かれていた日本列島は段階的に現在の47都道府県へと再編されていきます。その過程で各県は、地元を裕福にするための“人口争奪戦”を繰り広げました。

各県の県令(県知事たち)は人口誘致に必死でした。人口が増えれば税収も増え、豊かになる。産業が育ち、インフラ整備が整えば、また人が集まり……と好循環が生まれます。明治5年に戸籍制度による人口管理がスタートすると、「我が県の良さをアピールして、人を呼び込め!」と、県職員らに号令を掛けているかのようでした。

特に東京や大阪といった大都市では、人の出入りも多かったため、評判も飛び交い、大都市へ流れ込む流動人口をつかまえ、定着させ、あわよくば結婚・世帯形成そして子どもを誕生させようと、労働市場や結婚市場の整備も進みました。

特に成功を収めていたのが、明治6年(1873年)に「人口日本一」に輝いた愛知県です。徳川家の城下町であった尾張は『尾西織物』というブランドで知られた繊維産業の中心地でした。その後も、「求人が多い産業県」としてのアピールは、「トヨタの企業城下町」となった現在にも連なっていると言えるでしょう。

逆に明治初期から“没落”したのが新潟県です。江戸時代から北前船などで裏日本の中心として人の往来が活発でしたが、人口が増えるには経済が安定して回っていくことが必要条件。それには農村工業が根付き、米以外の特産品があることが重要です。新潟には農業以外の産業があまりなかったため、時間が経つにつれ他の大都市や工業地帯を抱える地域に追い抜かれてしまった。

何より人口増で大事なのは、幕末の江戸や明治中期の大阪のように、出生率を上げることです。若い人向けの仕事がある場所は当然、男女が出会いやすく、出生率も高くなります。こうした好循環の波に乗れるか否かは人口競争を勝ち抜く上で、今も昔も重要なポイントなのです。

以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20180621_700213.html

★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/
0002夜更かしなピンクさん2018/06/22(金) 00:09:07.55ID:iL4Rnhxv
84年前の少女たちが「今の女子高生と同じ姿」と衝撃走る(動画)
http://84yearag.yourspecialtee.com/18.jpg
0004夜更かしなピンクさん2018/06/22(金) 00:36:18.82ID:xGLg9Xa7
いまは馬鹿な政府が出生率を下げることしかしとらんが。
0005夜更かしなピンクさん2018/06/22(金) 00:38:14.65ID:6CPWJ3U+
>>3
大好きだ!
0006夜更かしなピンクさん2018/06/22(金) 00:58:15.38ID:BtYHqTHT
俺を社会から締め出して生産活動
させなかったのは日本にとって
大きな損失
0007夜更かしなピンクさん2018/06/22(金) 08:06:21.74ID:o5023/eI
鳥取島根では夜這いが盛ん
0008夜更かしなピンクさん2018/06/22(金) 09:14:48.00ID:DQBmNxun
土地制度変更が失敗というかダメなエンクロージャーごっこだった所為で近代以後戦後の農地改革まで東北日本側が偉いことになった
まあ単に西南夕飯出身者が東日本側の在地の実状おおきにガン無視して進出した所為なのも大きそうだが
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況