戸叶和男『日本奇習紀行』

本能寺の変を引き起こしたことで知られる戦国武将・明智光秀の重臣、斎藤利三の娘として生まれた福は、長じて、のちに徳川幕府の三代将軍となる徳川家光の乳母となり、幕末まで続く「大奥」の礎を築いた人物としてその名を歴史に残している。こうしたことからもわかるように、かつて日本においては、「乳母」という立場が、極めて重要な役割を担っていたのである。

「昔だって、みんながみんな、乳母がいるわけではなかったと思いますけれどもね、このあたりじゃ、必ず母親とは別に、乳母を立てる習わしがあったんですよ」

自身が生まれ育った西日本のとある地域に存在していたという、極めて特殊なタイプの乳母制度についてそう語るのは、今なお当地で暮らしている山中敬三さん(仮名・87)。山中さんの話によれば、当地における「乳母」たちは、母親の代わりに子供の面倒を見たり、母乳を分け与えるといった役割だけでなく、なんとも不可思議な役目も負うことになっていたのだという。

「まあ、平たく言えば“性の手ほどき”をするという役割です。女児ならば口頭で教える形なのですが、男児の場合は“実技”も教える。おかしな話と思われるかもしれませんが、このあたりじゃそれが当たり前のことになっていたんです」

たしかに、乳母を「母親の代理」として捉えるのであれば、性教育もまた、その役割の1つと言えるのかもしれないが、それが「実技」を伴うものとなれば話は別。今の時代ならば、差し詰め「通報事案」になってしまうことうけあいだ。

「みんな、色気づく頃になると、自分の中にある性を意識するとでも申しましょうか、おかしくなる時期があるでしょう? そういう頃合いを見計らってですね、乳母は男児の“お相手”になる、と。私の場合もそうでしたが、このあたりの男たちはですね、大抵の場合、乳母が“最初の人”になるんですよ」

“その日”が来た少年たちは、古の時代における「元服の儀式」になぞらえるかのように、家族総出でお祝いすると、その日の晩、乳母の手引きによって、人生で初めて“女体の神秘”に触れることとなるのだという。そこで一通りの内容が把握できると、晴れて大人の仲間入りを果たせるのだそうだ。

「とにかく、乳母というのは特殊な存在でしてね、大人になってからも、それこそ死ぬまで面倒見ることになっているんです。もしかすると、そうした意味合いがまず最初にあって、そこからああいう儀式が生まれたんじゃないでしょうか」

少年少女たちに性の手ほどきをするという目的に加え、老後の“看取り”まで含めた支え合いの観点から、こうした奇習が生まれたと推測する山中さん。その真相は定かではないものの、仮にそうだとするならば、当地におけるこの特殊な乳母制度は、ある意味、理にかなった風習であるといえるのかもしれない。

以下ソース
http://tocana.jp/2018/06/post_17135_entry.html

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