“フェチの大御所”と言っても過言ではない睦月影郎氏が毎回、本当のフェティシズムを熱く語る本コラム。今回は、一期一会の美女への憧憬を考察する。
小学生の頃は、クラスの女の子がすれ違った時の風を吸い込んだり、月一回行く床屋のお姉さんの甘酸っぱい息が嗅げたとか、そんな些細なことでも一日中幸せであった。それはまだセックスを知る以前のことで、自分の性欲の目的が何かも分かっていない、ささやかな幸せである。
そして大人になり、人並みにセックス体験などしても、もちろんフェチ衝動というものが薄れることはなかった。それは、やはり自分で、あの女性はいつか抱ける、あの人は一生無理、ということが無意識に分かり、無理な人はせめて匂いを知りたい、という衝動に駆られるからなのだろう。
ノーマルな一般人の中には、縁のない女性には興味がない、というタイプがいる。好きになってなんぼ、という人は分かりやすくて良いのだが、好きでなくても綺麗な女性の匂いは嗅ぎたいし、もちろん出来ればセックスしたいと思うのが自然であろう。
やはり男というものは本来、少しでも多くの女性を抱きたいという気持ちがあるのは当たり前のことなのだ。原始時代は乳幼児の死亡率が高かったから、より多くの女性を孕ませなければ子孫が残らなかったのだ。
だから現代になっても、男はより多くの女性に欲情するし、抱けないならば、せめて匂いぐらいこっそり嗅ぎたいではないか。もちろん好きになるに越したことはないが、行きずりの美女というものが山ほどいる。
昔、JRの電車に灰皿があった頃、向かいに座った美女が噛んでいたガムを銀紙に包み、その灰皿に捨てて降りた。もちろん私は拾って、二度と開かれない運命だった銀紙を開いて彼女の唾液の沁み付いたガムを噛んだ。二度と会うはずのない美女の唾液を吸収する。ささやかな幸せとは、こういうものなのである。
以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/6382722/
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