いったい、どういう基準で成績をつければよいのか。全国の小学校で頭を悩ます教師が増えている。この春から「道徳の時間」が、国語・算数・理科・社会などと同じ「教科」になったからだ。

これは、教科書会社にとって大きなビジネスチャンスとなり、全国の自治体で採択してもらい売上を伸ばそうとして話題を振りまいた。

東京書籍では文部科学省の検定意見を受けて、「パン屋」を「和菓子屋」に変えて話題に。下町ボブスレーを教材として取り上げた教育出版では、安倍首相が映っている写真を使い、採択する自治体を増やすための作戦ではないかと批判された。今年に入り実際の下町ボブスレーは、冬季五輪不採用など数々の醜態でニュースになったが、このアイデアを考えた人は、どうしているのだろうか。

そんな「道徳の時間」も、3学期制の小学校ではいよいよ1学期の通知表の時期に差し掛かりて、どんな形で評価をすればいいのか教師たちは頭を悩ませているのだ。

「もともと道徳というのは、あらかじめ決まった答えを与えるものではありません。古くから教材に使われてきた『星野君の二塁打』なんて、どちらが正しいか、大人になってからも結論はでないでしょう」(教科書会社社員)

『星野君の二塁打』は、少年野球をテーマにした教材。星野君は監督の送りバントのサインに対して、打てそうな気がして、これを無視。二塁打を打ってチームを選手権大会出場へ導く。

だが、監督は「いくら結果がよかったからといって、約束を破ったことには変わりはないんだ」と星野君をとがめて、大会への出場禁止を言い渡すというもの。

これについて、強権的なこの監督を無能と見るか、指示に従わなかった星野君を糾弾するか結論は出ない。

現在、小学校で利用されている教科書も多かれ少なかれ、同様に結論を示さないものばかり。それを成績として評価するのは、困難なことだ。

「文部科学省や教科書会社もやりっ放しではありません。授業の態度や感想の記述などさまざまな評価の指針を示しています。ただ、教科がひとつ増えたわけですから、負担が増えたのは確かです」(都内の教員)

多くで採用される通知表での評価方法は、数値ではなく文章によるもの。要は、通知表の科目成績欄と共についている学校での生活態度の記述欄が、もうひとつ増えるような形が想定できる。

担任教師の客観的という名の主観に基づく評価が繰り返されることになりそうな道徳の教科化。そんなものを真正面からクラスの人数分書くなんてことが、本当に可能なのか。

以下ソース
http://www.cyzo.com/2018/07/post_168432_entry.html

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