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1923年、朝鮮半島で販売されていた「仁丹」の広告にはチマチョゴリの女性に漢字交じりのハングル表記も…

韓国では15日、1945年に日本の“植民地支配”から解放されたことを記念する「光復節」を祝うイベントが各地で行われた。元慰安婦の老女や元強制労働者らが、日本政府に謝罪と賠償を求めた。韓国では日韓併合の35年間を「人類史上類例のない過酷な植民地支配」の時代といい、「暗黒」「地獄」とさえ表現することがある。しかし、専門家は「本当に地獄だったのでしょうか?」と当時の商品広告ポスターなどから反証した。

現在の韓国の歴史教科書では、日韓併合時代に日本が韓国人の文化や言葉、民族の名前を奪ったと記述している。それに関して、日本、韓国の双方の歴史研究家が、検証を行っている。

一方、著書「300枚のユニークな広告が語る こんなに明るかった朝鮮支配」を刊行した文筆人の但馬オサム氏は広告という大衆文化から、日韓併合時代を検証する。

但馬氏は「併合時代の商品広告を見ると、当時の朝鮮の人々の暮らしぶりがよく分かります。広告は時代を映す鏡であり、その時代を生きる人が何を望み、欲していたかを知るよすがと言えるのではないでしょうか。たとえば、明日のパンに事欠く社会に、スポーツカーの広告が氾濫するわけがありません」と話す。

1923年(大正12年)の「仁丹」の広告を見ると、チマチョゴリの女性が描かれており、コピーは漢字交じりのハングル表記だ。

「韓国側がしばしば主張する『日帝は民族の文化と文字を奪った』というのがうそであることがよく分かります」と但馬氏。

また、1930年(昭和5年)の「味の素」の広告に登場するチョゴリ女性のイラストは、ショートカットに、ヒザ丈のミニのチマ(スカート)、ハイヒール、それにパラソルをさしている。これは、大正から昭和初期にかけて流行した、朝鮮女性の先端ファッションだったという。

但馬氏は「大正デモクラシーの自由な空気が半島も覆い、モガ(モダンガール)やフラッパーといった女性風俗の影響を受けた、旧来の儒教道徳に縛られない新しいタイプの女性イメージが誕生しました。彼女たちは『新女性(シニョソン)』と呼ばれ、ミニ丈のチマや洋装は新女性のシンボルだったのです」と語る。

“新女性”たちの多くが内地(日本)留学組だったという。内地の最新の流行に敏感で、あふれ返る欧米文化の吸収に貪欲だったのだろう。

「会話の中に日本語や英語を交ぜるのがファッションでした。日帝が日本語を強要したなどといいますが、日本語がオシャレでカッコよかった時代もあったのです。やがてこの新女性の中から、金一葉、金明淳といった女性解放運動(ウーマンリブ)の闘士も登場しました。繰り返します、女性解放運動が起きるほどに、自由な空気が日韓併合時代には流れていたのです」(但馬氏)

自由といえば、1926年(昭和元年)、韓国紙「中央日報」に載ったH本の広告がある。「生殖器」「性交法」「手淫」などの文字が躍っている。

但馬氏は「これが朝鮮を代表する一流新聞に載っていたというのも驚きですが、それが許容されていた時代の、おおらかで自由な雰囲気がしのばれるのではないでしょうか」と指摘している。

確かに広告を見ると、「地獄」とはかけ離れた、かなり自由な雰囲気が感じ取れる。これでも、堂々と「暗黒の植民地時代」などと言い続けているのだから、毎度のことながらあきれ返る。

以下ソース
https://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/1097656/

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