日本語でも“ワル”にはカッコイイという意味合いも含まれているが、英語のバダス(Badass)にもクールでカッコイイや“ヤバイ”などの意味がある。そして、あるエキスパートは、孤独を愛し実際に孤独な生活を送る人物は、ちょっとヤバイ“ワル”であると力説している。
カラオケや焼肉など“おひとりさま”に対応した店などがわりと増えてきたが、それでも基本的には一人で活動する人は多少は気の毒な目で見られているかもしれない。そして孤独な生活を“余儀なく”されているという言い方があるように、孤独な生活は当人にとっても不本意な生活であるという印象を与えるかもしれない。
社会心理学者のベラ・デパウロ氏(ちなみに女性)は64歳の今日まで一度も結婚をしたことがない。デパウロ氏のライフワークはまさに独身と孤独についての研究で、これまでにも多くの著作を世に出している。
そしてデパウロ氏は、孤独な時間を過ごせる者こそが力強くポジティブな存在であるということを説明している。孤独な独身者は“ワル”で“バダス”であるというのだ。
独りで過ごすことについて話す際に最も重要なトピックのひとつは独身生活である。
映画でも小説でもラブソングでも、基本的にすべてのストーリーは“特別な存在”を見つけ出して結ばれることにある。最愛の人と寄り添い運命を共にすることが真の幸福であると定義されているのだ。そして、このことが孤独への恐怖と嫌悪を醸成する。しかし、こうした孤独へのネガティブなイメージが人々の選択の幅を狭めているということだ。
カナダ・トロント大学の研究チームが2013年に発表した研究では、孤立への恐れが強い者は往々にして妥協した選択を行っていることが報告されている。
研究チームは既婚者35人、独身者236人、パートナーがいる独身者177人の計448人が参加した実験を7通り行い、人々の間に孤立を恐れる気持ちがあり、これが妥協した選択を行う要因になることを突き止めている。つまり孤立を避けるために付き合う相手を選ぶとなれば、ほどほどのところで手を打っているのである。
これは愛着スタイルの中で“不安型”の人々によくあらわれる現象で、それだけ強く孤立を恐れているのだ。
一方、デパウロ氏は“真の独り者”はまったく孤立を恐れず、むしろ一人で過ごせる時間をかけがえのないものととらえているのだと解説している。
“真の独り者”は神経症的症状や不安障害に陥ったりすることはなく、一人で過ごす時間に幸福をみいだし、妥協して人とつき合うようなことはしないという。“真の独り者”の幸福は他者に左右されるものではないのだ。
また孤立を恐れない者は拒絶される体験にも動じずに、感情を害することもほとんどないということだ。そしてロマンチックな関係を持っていたにしても、彼らの自尊心が関係の維持のために揺らぐことはない。さらにこれらの人々は、グループや関係性に帰属する必要性を強く感じないので、孤独を感じたり落ち込む可能性も低い。
デパウロ氏によれば、心の開放性と外向性、誠実性、神経症的傾向の低さがひとつになって孤立を恐れない人物が出来上がるという。そしてこの人物はクールで“バダス”なのだ。
もちろん人は一人では生きていけないものだが、依存しあう関係や甘えあう関係に浸っていては成長もできない。無理して孤独になっても意味はないと思うが、周囲に流されず孤立を恐れない気持ちを心のどこかに持っていたいものだ。
以下ソース
https://tocana.jp/2018/09/post_18001_entry.html
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