隻眼、隻腕の提督・ネルソンは外交官夫人・エマと不倫の末に生活を共にします。その後、ナポレオン軍とのトラファルガーの戦いで戦死しますが、英雄として称えられました。
ナポレオンに勝利した提督、ホレーショ・ネルソンはイギリスで最も尊敬される英雄の一人です。彼は常に陣頭で指揮を執り、1794年のコルシカ島カルヴィ湾包囲戦で右眼を失い、1797年のテネリフェ島サンタ・クルーズ攻略戦で右腕を失くし、隻眼、隻腕の提督となりました。
戦うために生まれてきたような男ネルソンは女性に対しても情熱的でした。十二歳で海軍に入り、二十歳の頃には艦長に昇進しました。艦長となってからは、寄港地で次々と女性たちと浮名を流します。
その内の一人、未亡人フランシスと二十九歳で結婚しました。折から海軍は緊縮財政となり、ネルソンは予備役に編入され、お陰で夫妻は静かな結婚生活を送ります。
ところが、フランス革命以降、イギリスにも戦乱が押し寄せ、三十五歳で現場に復帰しました。戦いに明け暮れる日々が続き、隻眼、隻腕となったネルソンは保養のために訪れたナポリで運命の女性と出会います。イギリスの外交官ウィリアム・ハミルトン卿夫人エマです。
エマは貧しい鍛冶屋の娘でしたが、類稀なる美貌によって数々の男たちを虜にし、ハミルトン卿夫人となっていました。ハミルトン卿は三十四歳も年上、男盛りのネルソンにエマは魅了され、二人は恋に落ちます。
ハミルトン卿は寛大にも二人の不倫を認め、三人でヨーロッパ旅行をしてイギリスに帰国。帰国するとエマはネルソンの娘を出産、ネルソンは妻と別居しました。その後、ネルソンはエマと生活を共にします。
1805年、ネルソンはトラファルガーでナポレオンの艦隊と戦います。この時、「英国は各員がその義務を果たすことを期待する」と彼が発した言葉は有名です。海戦には見事勝利しましたが、陣頭指揮に立ったネルソンは戦死、君主以外でイギリス史上初の国葬で葬られました。
一方、エマは借金にまみれ、酒に溺れて四十九歳で寂しく世を去ります。ところが、トラファルガー海戦から二百年後、2005年にレディ・エマ・ハミルトンと名付けられた薔薇が作出され、可憐な薔薇となって蘇りました。
以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/9212049/
★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/