https://k-knuckles.jp/wp-content/uploads/2018/11/00481.jpg

Profile:村西とおる
1948年9月9日生まれ
福島県出身。高校卒業後、上京後バーテン、英会話セットのセールスマン、
テレビゲームリース業を経て「裏本の帝王」となるが全国指名手配となり逮捕される。
その後AV監督となって今日に至る。
前科七犯(うち米国で一犯)
これまでに3000本のAVを制作し、7000人の膝と膝の間の奥を視認してきた。顔面シャワー、駅弁の生みの親。
「昭和最後のエロ事師」を自認し「AVの帝王」と呼ばれている

戦前、父親は国鉄に勤めていました。機関士をしていました。
戦後、兵隊から復員してきた父親は国鉄には戻りませんでした。傘直しの行商人になりました。
自転車の荷台に傘直しの道具と売り物の傘を十本積んで常磐炭鉱の炭住めぐりをしました。

今日ではそんな仕事の職人の姿を見かけることはありませんが、戦後苦しかったあの頃は皆、傘が壊れると修理をして使っていました。
国鉄職員という安定していた立場を捨ててどうして父親は「行商人」の道を選んだのでしょうか。
三十四年前に父親は死にました。今となっては謎でございます。

父親は五人兄弟の長男でした。三人の弟が戦争で死にました。
自身の南方での戦場体験と三人の弟の死、という深い悲しい経験が父親に勤め人の道を捨てさせたのだ、と想像しています。

雨が降ると行商に行けなくなった父親は一日中家でゴロゴロしていました。晴れの日が続くとまた父は一日中家に閉じこもって休んでいました。
考えてみれば「雨が降っては駄目」「晴れては駄目」の傘直しの行商の商売ほどこの世でニッチもサッチもいかない仕事はないのでした。
なんでこんな絶望的な仕事をしているのだろう、と子供心に父親がとても気の毒に思えました。

が、当の父親は、我関せずの風でした。そして信じられないのですが「傘直し」という自分の仕事にプライドを持っているのでした。

酒を飲むときまって

「いいか、今に見てろよ」

と家族を前にして大口を叩きました。

「どこをどうやったら”今に見てろ”になるのよ、いい加減にしなよ」

と傍の母親が喰ってかかります。

雨や晴れの日が続いて三度のメシどころか三人の子供にジャガイモさえ食べさせるのもままならないのに、甲斐性無しの亭主のホロ酔い気分の大口叩きに母親はいたたまれない気持ちだったのでしょう。
母親が疲れ切って深くタメ息をつく姿を今でもハッキリ覚えています。

「父ちゃんなんか大嫌いだ」

二人の姉にとって父親は、軽蔑の対象以外のなにものでもありませんでした。

が、私は違いました。
父ちゃんは誰にも内緒の大金持ちになる方法を知っている、そしてその方法できっと成功するに違いない、と目を輝かせて父親の顔を見ていました。
酔うときまって

「いいか、今に見てろよ」

と自信タップリの父親の表情がとても男らしく見えて大好きでした。

ある晩、父親はグビッとコップ酒をあおって酒臭い顔を近づけてきて言いました。

「父ちゃんが金持ちになる方法を教えてやる、誰にも言うな、内緒だぞ、いいか」

私はコクリと頷きました。

「相手を喜ばせるんだよ、世の中で一番相手を喜ばせることができた人間が、一番大金持ちになれるんだ。
お前はまだ子供だから、まず友達を喜ばせろ、友達に喜んでもらえる人間になったら、必ず大人になったら大金持ちになれる、
人生はな、喜ばせごっこだ」

この時の父親の言葉が強く心に残りました。

続く

以下ソース
https://k-knuckles.jp/4/3324/2/

★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/