大正12年、文部省は女学生の性教育に反対であり、生理衛生で教えられる範囲以上の知識を教えた場合は厳重に処罰すると通達したのです。
そして、性欲の害から子供を守るために、学生が読む図書の検閲が始まります。
教育現場は有害とされた自然主義文学や雑誌、新聞の取り締まりを実施して、「女性に性欲はない」「子供の手淫は有害」といった、今となっては馬鹿げた論説を作り上げたのです。
性別アイデンティティを構築し、男性による性支配を基盤とする近代国家を構築するための「性的欲望の装置」が完成しました。
――以後、性教育において教育界と医学界は断絶し、性教育から医学的な要素を排除するようになりました。男子学生はひたすらに禁欲すべきとの価値観を強要し、自慰もSEXも厳しく禁じられるようになりました。
一方、女子性教育に関しては、処女の貞操保護を目的に掲げた性教育論に傾倒し、結婚するまで処女でいることを強要しました。この辺の弊害が未だにあちこちに残っているように思えますね。
その後、昭和初期に行われた変態性欲の抹殺は、焚書とか発禁なんて生易しいレベルではありません。関係者が次々と殺害されているのです。
『変態性欲の研究』で名を馳せた羽太鋭治博士は、昭和3年の年末に医師法違反としては極めて珍しい、医師としての品位保持義務に違反した罪状で逮捕されました。警察で厳しい尋問の後に脳に障害を負ったというのですが、体が不自由になったなんて……一体何があったのか。拷問か暴行でもあったのでしょう……。
脳に傷害を負って不自由な生活を強いられることになった羽太鋭治博士は、翌年、昭和4年8月31日に自殺します。少なくとも筆者は、この他に日本で医師が品位保持義務違反で逮捕された話を聞いたことがありません。
昭和4年3月5日には、性教育論を提唱した衆議院議員の山本宣治が右翼に刺されて死亡しました。大正11年に日本語の手淫に代わる英語のオナニーの日本語訳として『自慰』という言葉を広めた人物です。
刺した右翼の男は正当防衛で無罪を主張、警視庁も殺されたのは左翼の変態性欲者だから当然と言わんばかりの態度で、犯人を擁護する対応を取りました。
しかし、東京地裁は独自の現場検証を行い、警視庁の発表を否定し殺人罪で実刑を宣告、殺人犯を擁護したことに対して内務省が警視庁に対して厳重警告を行うほどの異常事態にまで発展したのです。
犯人は実刑をくらいましたが、異例の模範囚扱いで刑期の半分で出所、その後は右翼の仲間に「変態性欲者を殺したのだから無罪で十万円と良い身分が貰える筈だったのに刑務所にぶちこまれてしまった」と話しています。しばらくは日雇いなどの仕事をしていましたが、精神病院に強制入院となり死亡しています。
大正時代ならセーフ、昭和になったらアウトという基準の変化がなぜ起こったのか、教育界の陰謀を疑わずにいられません。
その後、軍国教育に傾倒していった日本がどうなったのか……皆さんご存じの通りです。
以下ソース
https://tocana.jp/2018/11/post_18895_entry.html
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