【AV監督】エロフェッショナル AVの流儀 ホットエンターテイメント・梶俊吾 ホストの経験を生かし日本初「ナンパもの」で一世風靡[12/11] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2018/12/11(火) 01:23:40.10ID:CAP_USER
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今も第一線で活躍し、AVの「現場」と「経営」の両方を知っている面々にその流儀を語ってもらうコチラのコーナー。今回はAVメーカー「ホットエンターテイメント」を設立し、ナンパものや素人もののジャンルを開拓した梶俊吾監督(57)に、2回にわたって語ってもらうぞ。

――昔は映画少年だったとか

「そうですね。映画監督になりたかったので、高校を卒業してから日活芸術学院に入学しました。東京・調布にある日活の撮影所の中に学校があって、そこで撮影から照明、編集、カメラの操作方法など全て学ぶことができました。でも1970年代後半から80年代にかけては日本映画が落ち目になったときだったので、『映画監督ではご飯が食えない』って思ったんですよ」

――日本映画界が斜陽産業になっていった

「そしたら仲のいい助監督から『撮影所で芽が出そうな女優がいたら、つかまえてヒモになれ』って言われて『なるほどな』と(笑い)。それでヒモのノウハウを学ぶために、新宿でホストのアルバイトを始めました。それと同じころに学校で日活ロマンポルノを撮影していて、その現場を見たとき『女の裸はカネになるぞ』と感じたんですよ。映画に比べて制作費も安いうえに儲かる。だから『女の裸で成り上がるんだ』と強く思ったんですよね」

――その後は

「ホストを辞めて『AV1本でいくぞ』と決めたのが25歳のころで、まずは個人で活動していた人と一緒に『ディレクターズシステム』という制作会社を作ったんです。AVの下請けの仕事をいっぱい取ってきて、とにかくナンパものを撮りました。ホストをやっていたのでナンパは得意でしたから。だから今思うと、日本で最初にナンパもののAVを撮ったのはボクじゃないかな」

――ナンパものの元祖ということだ

「それで街中でナンパものを撮影してたので、周りからよく言われましたよ。『梶クン、ホームビデオを担いで新宿とか渋谷にいるけど何やってるの?』って(笑い)。当時のAVはスタジオで撮影するのが当たり前だったから、外で撮るなんて考えられないことだったんですよ。だからプールで撮影していても監視員に注意されないし、海水浴場で撮っても何にも言われなかったですから」

――それで人気に火がついた

「まだ誰もやってなかったですからね。そしたら、あるプロデューサーから『新規でAVメーカーを作る』という話が来てヘッドハンティングされたんですよ。準備金として相当な額を提示されて。それまでやっていた『ディレクターズシステム』は、一緒に立ち上げた人にあげちゃいました」

――ちなみにそのメーカーは

「HRCというメーカーです。そこに移ってからは次々に撮影しては作品を発売するという感じだったんだけど、そしたら今度は他のメーカーから『梶サン、監督をやってくれませんか?』って仕事を依頼されて。それでHRCの会長と社長に許可をもらって他メーカーの作品を撮ることになりました。でも『やはりここは自分の作りたいAVを撮ろう』と思ったので、ホットエンターテイメントを設立したんです」(後編に続く)

■梶俊吾(かじ・しゅんご)
1961年12月18日、東京生まれ。
高校卒業後、日活芸術学院に入学。映画やCMなどの現場を経験。
AV監督としてデビューして以降、各メーカーで精力的に作品を撮り続け、91年3月に「ホットエンターテイメント」を設立。
来年4月にアダルト動画配信サイトをオープン予定。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/0723692/

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0002夜更かしなピンクさん2018/12/11(火) 03:56:16.44ID:b45eJHOU
ヤラセ
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