彼は30年の長きにわたり、実に8330人もの日本人女性の外性器を撮影、緻密な観察と詳細な分析を加え、その形状や機能、性感との相関に至るまでを研究成果としてまとめた。そこに書かれた内容は、単なる医学の領域を超え、すべての女性が抱える深刻な悩みを解決する福音であるとともに、生命の誕生に関わる根源的な疑問に答えるものだった。
『日本女性の外性器』の著者であるドクターKは、外陰部という呼称を嫌った。子宮や卵巣は内性器と呼び、内陰部とは言わない。ならば、外陰部ではなく外性器としよう。性を汚らわしいものと捉えたくないという一念だった。性への偏見に立ち向かい、好奇の目で見られることも厭わなかった彼はなぜ“外性器”の研究を始めたのか。
元々形と性能に興味を持っていたドクターKは、航空工学を志すも大学受験に失敗、名門国立大学の医学部に進む。当初、将来性のある分野の免疫組織学を研究していたが、開拓精神の強い彼は、研究例の少ない外性器という“形”を根気よく集め、前代未聞の分析をしようと考える。大学卒業後、産婦人科医になったドクターKは70年代後半、地方の国立大学助教授に転身。その後、学会の会長を務めるなど性科学界の権威として活躍してきた。
1995年、30年の研究成果となる『日本女性の外性器─統計学的形態論』を出版すると、3万円という高額ながら1000部が発売1か月余りで完売。重版の1000部もすぐに売り切れ、医学書としては異例の反響を呼び2年で約8900冊が販売された。発売直後から雑誌でも大きな話題となり、男性誌のみならず女性誌でも頻繁に取り上げられ、毎週のように誌面を賑わせていた。
一方で、偏見も当初からはびこっていた。新聞広告を打とうとすると、ある新聞社は「性器の2文字がある限りダメ」と突っぱね、別の新聞社は最終的には掲載したものの、「性器を陰部に変えられないか」と渋り続けたという。
発売から3か月ほど経過すると、ある女性団体が「患者に無断で『外性器』を撮影した」と主張。版元である出版社には毎日のように抗議の電話が鳴り響いた。大学には調査委員会が設置され、最終的に訓告処分を下した。
これらの報道が一人歩きし、同書のイメージは悪化した。しかし、ドクターKは「1965年頃から約15年かけて集めたが、患者の写真は1枚もない。だいたい何らかの疾患があったら、データとしては役に立たない」と反論。写真は複数の企業のバックアップを受けて撮影した。友人や知人のツテを辿ったこともあったといい、「無断で撮ったものなど1枚もない」と自信を持って話していた。
かつて本誌も、抗議する女性団体に主張の根拠を聞いたが歯切れが悪く、大学側も「本の内容自体が訓告処分の対象ではない。教授に相談なく出版したというプロセスと、出版後の社会に対する影響があったから」と建前論に終始した。
ドクターKが「純粋な学術書である『日本女性の外性器』がマスコミで騒がれるということ自体が、日本人の性意識の低さを物語っている」と嘆いていたように、先入観ありきで批判が展開された。
続く
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20181231_829339.html
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