【AV監督】エロフェッショナル AVの流儀 ドキュメントの鬼才・たかつきあきら 独立後は爆乳に特化したメーカーになろうと…[01/15] [無断転載禁止]©bbspink.com
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001逢いみての… ★2019/01/15(火) 00:51:33.50ID:CAP_USER
今も第一線で活躍し、AVの「現場」と「経営」の両方を知っている面々にその流儀を語ってもらうコチラのコーナー。新年1発目はAVメーカー「シネマユニット・ガス」を設立し、数多くの爆乳・巨乳作品をリリースしてきた、たかつきあきら監督の登場だ。2回にわたって語ってもらうぞ。

――いつからAV監督を

「大学生のときに映画研究会に所属していたんですけど、そのサークルの1つ上の先輩に『宇宙企画』に入社した方がいたんですよ。そのころはまだ宇宙企画ではなくて『ハミング社』という前身の会社でしたけどね。そこで、その先輩の仕事の手伝いをするようになったのがキッカケです。大学卒業と同時にハミング社の下請けをしている制作会社に入社しました」

――当時はどんな作品を撮っていた

「監督デビュー作は今でもよく覚えています。『ビデオスキャンダル』というタイトルのビデオだったんですけど、当時は風俗の全盛期だったんですよ。そこで『歌舞伎町の風俗嬢をレポートするAVを撮らないか』ということで、実際にお店に行って取材しました。『ビデオを撮らせてもらえませんか?』って女のコに聞いたら、必ず『それって裏ビデオなの?』って言われました」

――そこから実際にお店でAV女優をスカウトすることに

「そうですね。のちに宇宙企画でデビューする竹下ゆかりは、ボクが歌舞伎町でスカウトした女のコです。お店ではエルザちゃんでしたけどね(笑い)。そのころは『AVで本番をする』というのが珍しい時代でした。竹下ゆかりみたいなカワイイ女のコが本番をするということで、みんなビックリしたんですね。だから当時1万5000円くらいのビデオがものすごく売れました」

――その後は

「26歳のころに『カンノンシネマワークス』という制作会社を立ち上げて独立しました。その当時のボクは『ドキュメントの鬼才』という印象が強かったんですよ。これは生々しいエロを撮りたいがために、ドキュメント的な仕掛けで女のコに迫ったりしていたんですね。あと、顔は少し落ちるけど女のコの背景が面白かったら撮ってみて、そのコの裏側を描いたり。ボクの名前がタイトルについた『たかつきあきらの危険な映像』というシリーズもありました」

――シネマユニット・ガスはいつから

「平成元年からです。カンノンシネマワークスの社長が倒れてしまったので、社名をシネマユニット・ガスに変更して自分が社長になりました。その後、2004年にセルのAVメーカーになりました。タイミングとしてはちょうどDVDとビデオ、どちらで販売するか迷う過渡期でした」

――作品は爆乳、巨乳ものばかり

「ボク自身、前からオッパイが好きだったんですけど、巨乳では物足りなくて爆乳ものが撮りたかったんです。それでセルになったころからオッパイに特化したメーカーになろうと決めました。そこで発掘したのが城エレン。彼女はスゴかったですよ。オッパイがNカップでしたから(笑い)。Nカップというインパクトが強くて売れたんですよ。爆乳好きにヒットしたんですね」(後編に続く)

■たかつきあきら(たかつき・あきら)1959年、東京都生まれ。大学卒業後、83年にAV監督デビュー。2年間の制作会社勤務を経て独立。89年に「シネマユニット・ガス」を設立し、以降、様々なメーカーで幅広い作品を撮り続ける。2004年、爆乳作品に特化した現在のスタイルを確立。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/0609523/

★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況