戸叶和男『日本奇習紀行』

 これまでも世の中にある様々な形での“奇妙な婚礼”についてご紹介してきたが、今回ご紹介する某島嶼部での婚礼の儀式は、そうした“奇妙な婚礼”のなかでも、とりわけ不可思議な内容であると言えそうな代物だ。

「まあ、よその人らからすればですね、たしかにおかしなものに思えるかもわかりませんけれども、なにせ私らはこの島を出たことがなもんでですね、それが普通だと思ってたわけです」

 同島にかつて存在していたという、その“奇妙な婚礼”についてそう語りはじめたのは、現在も当地で細々と漁師生活を続けているという佐久間源作さん(仮名・78)。佐久間さんの話によると、その昔、同島で暮らす若者たちが結婚をしようと思い立つと、なんとも不思議な行為が当たり前のように行われていたのだという。

「あのですね、まず結婚しようと思ったらですね、自分たちと同じように、結婚を考えている人らを探さねばならんのです。それで見つかりましたらね、いよいよ結婚前の儀式をやるというわけですね、はい」

 そもそもで、結婚を考えている別のカップルがいない限り、自分たちも結婚できないという時点で、既に奇習であると言わざるを得ないが、たとえ運よく、同時期に結婚しようと考えているカップルが現れたとしても、そこから先には、若者たちにとって、まさに災難としか言えない儀式が待ち受けているのだという。

「儀式の日になりましたらね、2組の新郎新婦がです、神社に集まりまして、そこで挨拶をするわけなんですね。それでもって、それが済みましたらね、今度はお互いに着ているものを脱ぎまして、相手を変えて交わらないといかんのです。それが無事に済んだら、晴れて結婚、と。そういう儀式です」

 そもそも、自分たちの意思で、ある意味、勝手気ままに結婚できる当世の我々とは違い、別の新郎新婦を探すだけでもかなりハードルが高いと言わざるをえないが、その上、新婚初夜を迎えるよりも早く、お互いのパートナーを交換しての、スワッピングじみた儀式が行われるとあっては、当の若いカップルたちからすれば、まさに災難でしかない婚礼と言える。しかしこうした奇習でさえも、当地で暮らす島民たちにとっては、“それ相応”の意味があるのだと佐久間さんは語る。

「なにせ小さい島ですし、人間も少ないもんですからね、いざというときには、それこそみんなが家族とでも言いますかね、そういう強い絆で結ばれていることが大切なんです。けれども、人間っていうものは、血の繋がりでもない限り、なかなかそういうものは生まれないんです。だから所帯を持つにあたって、まずああいうことをしてですね、そこから先の人生も、みんなで一丸となってですね、暮らしていくという。そういう意味合いが、あったように思いますね、私は」

 実際、こうした奇習の効果も手伝ってか、佐久間さんが生まれてから現在に至るまでの間に、同島では事件はおろか、島民同士のささいな諍いごとでさえも発生していないのだという。果たしてこれを「暮らしの知恵」と呼べるか否かはともかく、少なくとも同島の人々にとっては、大変意義のある儀式であったようだ。

以下ソース
https://tocana.jp/2019/01/post_19158_entry.html

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