今も第一線で活躍し、AVの「現場」と「経営」の両方を知っている面々にその流儀を語ってもらうコチラのコーナー。今回ご登場いただくのは、自身の名を冠にしたAVメーカー「溜池ゴロー」を設立し、美熟女ブームを巻き起こした溜池ゴロー監督(54)だ。前編、後編と2回に分けてお届けしよう。

――AV監督になった経緯

「大学時代に『シネマ研究会』に所属していて自主映画を撮っていました。卒業当時(1986年)、大手企業が引く手あまたのバブルの時代で、周りの友人たちは就職していくんですよ。でもボクは映画監督になりたかったので、就職活動は全くしませんでした」

――そのまま就職しないで大学卒業

「その後、映像系のバイトをしながらテレビ局のドラマや映画の助監督をしていました。それがボクの20代ですね。それはそれでいい勉強にもなったんですけど、30歳からは助監督ではなくて、絶対に“監督”をやりたかったんですよね」

――30歳になろうとしたときに転機を迎えたと

「それで学生時代からお世話になっていたTOHJIRO監督(AVメーカー『ドグマ』の設立者)に『AVでも何でもいいんで監督をやりたいんです』と相談しました。その当時、TOHJIRO監督はレンタルビデオ界のエースでしたから。そしたらいろんなAVメーカーから『若い世代の監督を探している』って聞かされてたみたいで。そういう経緯があって、『マックス・エー』のプロデューサーを紹介してもらいました」

――ちなみに溜池ゴローという名前の由来は

「これはあの加藤鷹さんが名付け親なんです。当時、TOHJIRO監督の事務所が東京・溜池にあったんですけど、『ここさ、溜池にあるから“溜池ゴロー”ってどう?』って言うワケですよ。ボクは『イヤですよ〜。“肥溜め”みたいじゃないですか。スカトロ監督じゃないんだから』って言っても全然聞き入れてくれなくて(笑い)。しかも鷹さんは周りのスタッフたちに言いふらすんですよね。なので、そのまま監督名に定着しちゃいました(笑い)」

――監督デビュー作

「30歳になって4、5か月たったときに、マックス・エーで大人気女優だった水沢早紀ちゃんの作品を撮ることになりました。売れっ子単体女優の美少女を『どう撮ってもいい』と言われたんですよ。カラミもそうですが、特にドラマの部分をこだわりました。魔界からやってきた小悪魔役の早紀ちゃんに、人間界の男は平本一穂、チョコボール向井、そして加藤鷹の3人ですよ。男優陣も豪華に揃えました」

――レジェンド男優が揃い踏み

「しかも小悪魔になる前の早紀ちゃんが、人間界で『自殺した有名アイドル歌手』という設定で、岡田有希子をモチーフにしたんです。それでPV風にアイドルが歌って終わるシーンを撮って。こういう台本を2週間くらいかけて作成して、撮影や編集も夜中まで時間をかけてやりました」

――その後は人気単体女優を撮り続けた

「そうですね。いっぱい撮らせてもらいましたね。あの時期は楽しくてしょうがなかったです。ドラマものもやりましたし、ハメ撮りもしていました。監督になってから4年くらいたったころですかね。(AV系の雑誌)オレンジ通信の監督賞を史上最短で受賞したんですよ。それで燃え尽きたというか、レンタルからセルの業界に飛び込みたくなったんですよね」

■溜池ゴロー(ためいけ・ごろー)
1964年、大阪府生まれ。
明治大学卒業後、テレビ、映画業界で活躍。
30歳のときにAV監督デビュー。
その後、美熟女ブームを巻き起こし、2006年に自身の名を冠にしたAVメーカー「溜池ゴロー」を設立。
現在はセミナー講師、作家など幅広く活動中。

以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/3275443/

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