0001逢いみての… ★
2020/05/06(水) 01:32:58.21ID:CAP_USERふかわは「人々の余裕を奪っている一因に、 朝から晩までスマホやテレビをつければコロナのことを扱っている」「朝から晩までということに漠然とした不安として受け取っている人も少なくない」「例えば『ひるおび!』がコロナを扱わなくなるというときが来るとしたら、それはどういう状況なのか」と質問したのだ。
おそらくふかわは、ただの文句のようになってしまってはいけないと考え、回答しやすいように「新型コロナ報道が止む基準」という質問にしたのだろう。
しかしそれはそれで、一般的に聴けば「新型コロナが終息した時が報道が終息するときだ」と思って当然。その点、この質問を重く受け止め丁寧に回答し、ふかわのコメントに注目させた司会の恵俊彰は、むしろ評価されるべきだ。
ただふかわの質問が非常に深い意味を持つこともまた確かだと思われる。どの情報をとっても新型コロナの話をしている状況では、新型コロナへの不安は人々が意識する以上に強くなり、社会に対し影を落とすのは当然のことだ。
またそれ以上の意義も見出すことができる。ジェンダー論などで重要な見地となる構築主義やあるいは哲学上の構成主義などの発想をふまえた視点だ。
すなわちそれは、言葉を紡いで構成される社会的な人々の意識こそが現実をつくるという発想である。問題そのものが実際にあるというよりも、問題とは「何が問題と考えるか」によってつくられるということだ。
実際に新型コロナは日本でも昨年末からある程度蔓延していたのではないかとも言われている。新型コロナ問題は2月頃から騒がれたが、それまでは今とは全く違う日常が営まれていたし、新型コロナに罹っていたとしてもただの風邪として扱われていたことになるのだ。
新型コロナ問題に限らず、あらゆる問題がワイドショーでとりあげられるかどうかに大きく影響を受ける。その影響力は政府をも動かすわけで最も強大な権力と言っても過言でない。だからこそ現在はSNSの存在が重要で、最強の権力たるマスコミに対し抵抗できる重要な権力となる。
SNSでは新型コロナに対しても様々な主張や議論がなされている一方で、緊急事態宣言が出された後からはテレビ報道では一気に新型コロナに対し深刻な報道へと一変し、議論の多様さは失われた。
政府とマスコミが一体となっているならば、それに対抗するSNSということで構図は単純になるが、もともとの緊急事態宣言への躊躇や現在の特定警戒13都道府県以外での自粛緩和と、政府はマスコミの自粛一辺倒の傾向からは一定程度独立して動きたい意向がみてとれる。
この現状は表では新型コロナへの警戒を強め、裏では自粛緩和を望むというようなまるで日本人的な表層と深層、本音と建前の構造かのようになっているのだ。
表層言論や建前論が世の中の空気を支配する状況と言えば、戦争や日本を悪く言えば「非国民」と非難された戦時中を想起させる。
ワイドショーは無難な選択として自粛を強調する流れをつくっただろう。しかし一斉に自粛の強調へと足並みを揃えたことで自らつくり上げた恐怖を強調する自粛以外の意見が言えない空気に押しつぶされているのだ。
だからこそふかわは新型コロナ報道に自縄自縛となり、周りへの影響も極めて大きいテレビ報道に対し疑問を投げかけたのだろう。
(文/メディア評論家・宮室 信洋)
以下ソース
https://sirabee.com/2020/05/05/20162319016/
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