主人公・明智光秀(長谷川博己)の母・牧役でNHK大河ドラマ『麒麟がくる』に出演している“紫綬褒章(2019年受賞)歌手”の石川さゆり(62)。

「肌は透き通るように白く、熟女の色っぽさ、ふくよかさもよく出ています。演歌界の大御所ゆえ、演技を不安視する声が一部にありましたが、元々、連ドラも経験済みで芝居も上手。存在感抜群です。大河は『功名が辻』(2006年)以来、2回目です」(NHKドラマ関係者)

 そんな石川も、コロナ禍のご時世、“ステイホーム”を余儀なくされている。
「先の黄金週間中には、自宅の庭に根付くタケノコの成長写真を自身のオフィシャル・ウェブサイトにアップしていました。タケノコは、深夜から明け方にかけてモノ凄い勢いで成長するそうで、長女と2人でしばしの“深夜観察会”を楽しんだとか。ライトアップされたそのシルエットを、彼女は“宇宙人”と表現していました。愛車を洗うシーンもアップされていましたし、時間的に余裕があるのは明らかでした」(ワイドショー芸能デスク)

 さて、石川さゆり(本名・石川絹代)は1958年1月30日生まれの62歳。
「熊本の飽託郡(熊本市)の出身です。小学1年生の頃、島倉千代子のショーを見て感動し、歌手を志すようになったそうです」(芸能ライター・小松立志氏)

 小学校5年生の時、神奈川県横浜市へ転居。そして、中学3年生の夏休み(1972年)、『ちびっこ歌謡大会』(フジテレビ系)に友人の“代打”で参加し、見事に合格。業界大手の『ホリプロ』所属となった。
「同年秋には、早くも連ドラ『光る海』(フジテレビ系)で沖雅也の妹役を演じました。意外かもしれませんが、歌手より女優としての仕事の方が先なのです」(テレビ局関係者)

 歌手デビューは1973年3月。『かくれんぼ』というタイトルだった。
「当時のキャッチフレーズは、所属レコード会社にちなんだ『コロムビア・プリンセス』。間違いなく売れると見ていました」(芸能プロ関係者)

 しかし、石川はスグにはブレークしなかった。
「今も伝説として語り継がれている“花の中3トリオ”が彼女の前に大きく立ちはだかったのです」(芸能レポーター)

 トリオとは、桜田淳子、森昌子、山口百恵の3人。
「当初、ホリプロは、石川・森・山口の3人を自前の“ホリプロ3人娘”として売り出そうと考えていましたが、途中で計画変更。他社の桜田を入れて“花の中3トリオ”となったのです。石川がハジかれた格好となりましたが、このことが後年、石川に幸運をもたらすことになりました」(レコード関係者)

 1977年、前年に発売されたアルバムからシングルカットされた『津軽海峡・冬景色』が大ヒット。数々の賞を受賞し、念願の『紅白歌合戦』(NHK)にも初出場した。

「『津軽――』は、惚れた男を吹っ切るために旅に出た女の話。夜行列車で上野を発ち、戻りたいと揺れる心がどこで断ち切れるか…。作曲の三木たかし氏は『青函連絡船に足をかけ、本州から離れる時ではないか』と、コンコンと説いたそうです」(前出・小松氏)

 石川はそれに応えるように精一杯、情熱をぶつけて歌った。時に石川、19歳。

 続けて、『能登半島』『暖流』『沈丁花』などをヒットさせた石川は、1980年代に入っても絶好調。『天城越え』『滝の白糸』『風の盆恋歌』と順調にヒット曲を出し、日本を代表する女性演歌歌手の1人となったのだ。

「『天城越え』を歌っているときなど、実に色っぽいですね。“あえぎごえ”などと揶揄する声もあるくらいです。やはり、着物姿で歌う機会が圧倒的に多いですから、“ノーパン”という噂もあるんです。クライマックスの『天城越〜え〜』というところでは、よく眉間にシワを寄せ、半身になって腰をかがめ、足をキューッと閉じて斜目上方を見つめて歌い上げるシーンが見受けられますが、当人の“イク瞬間”ではないでしょうか。すでに“アラ還”ですが、“女は灰まで”を実証しているように思います」(前出・小松氏)

続く

以下ソース
https://wjn.jp/article/detail/6776144/

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