0001逢いみての… ★
2020/06/28(日) 00:52:17.15ID:CAP_USER「私もね、もう村を出て何十年にもなるもんだから、今はどうなってるか分からんけどね、昔はそれなりに盛り上がったんだよ」
かつて西日本のとある地域で行われていたという“村おこし”についてそう語りはじめたのは、当地で生まれ育ったものの、現在では当地を離れ、中部地方のとある地域で余生を過ごしている西沢文雄さん(仮名・81)。西沢さんの話によれば、その昔、村の財政がひっ迫した際に、彼ら村人が「村おこし」として思い立って実行したのは、元手がほとんどかからないという、意外な裏ビジネスであったのだという。
「なにせ何かやろうにも先立つものがない村だったからね。我々に残されていたのは、もうとうの昔に畳んじまったボロい商人宿ぐらい。それでみんな、ない知恵を絞ってさ、ああいうことを思いついたっていうわけ」
もともと、観光地ではないものの、古くから、温泉だけには恵まれていたという当地。しかしそれ自体は観光の目玉になるほどのものではなく、湯治場としてブランディングしようにも、観光客を受け入れるための大規模な宿泊施設などを新たに作る元手もなかったことから、既に廃業した古臭い商人宿の浴場を手作業で改築し、「裏の風俗ビジネス」の拠点とすることを思いついたのだという。
「いやね、私らは田舎者だし、そういうのに詳しい人間もおらんかったものだからね、結局は、村の若い娘たちをそこ(※改装した廃旅館)の風呂へ入れて、裸をね、覗かせるっていう商売に行きついたの。身体を売らせるってのは難しいけども、ただ風呂に入るだけだからね。みんな協力してくれたよ」
この“覗き部屋”じみた商売をはじめた当初は、なかなか利益にはならなかったというが、その後、口コミで噂が広がる形で、近隣の観光地へとやってきた男性客が、ストリップ小屋を訪れる感覚で立ち寄るようになり、その後、評判が評判を呼ぶ形で、一時はナイトスポットとして隆盛を極めるほどになったのだという。だが、結論からいうと、彼らのそんな栄華はそう長くは続かなかった。
「戦後ね、お上が急にそういうのの取締りを厳しくやるようになってね。もともとうちらはもぐりだからさ、すぐに畳むことになっちまったというわけ。あれはホント、惜しいことをしたよ」
当局による監視と取締りが厳しくなったことを受ける形で、こうした「裏稼業」から足を洗い、再び何もない寒村となってしまったことで、西沢さんをはじめとする多くの人々が去ったというこの寒村。やはりまともな産業のない地域で、「村おこし」を成功させるのは、並大抵のことではないのかもしれない。
文・取材=戸叶和男
以下ソース
https://tocana.jp/2020/06/post_157771_entry.html
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