十字架☆イエス・キリスト☆復活
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「神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、
私たちは互いに交わりを保ち、 御子イエスの血はすべての罪から私たちを清めます。」
ヨハネ第一の手紙 「しかし、ある人は言うでしょう。『どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか』。 おろかな人だ。
あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないですか。 また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではありません。
麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎないのです。 ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種に
それぞれのからだをお与えになります。 すべての肉が、同じ肉なのではありません。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉があります。
天に属するからだもあれば、地に属するからだもあります。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っています。
日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光があります。また、この星とあの星との間に、栄光の差があります。
死人の復活も、また同様です。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、
弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのです。
肉のからだがあるのだから、霊のからだもあります。」 「聖書に『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりです。しかし最後のアダムは命を与える霊となりました。
最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのです。 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来ます。
この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのです。
すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるでしょう。
兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておきます。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがありません」。 「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではありません。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられます。
というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのです。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、
この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからです。 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、
聖書に書いてある言葉が成就するのです。
『死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし感謝しよう。神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わってくださったからです。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです 」。 「ヤハウェをほめたたえよ。もろもろの天からヤハウェをほめたたえよ。
もろもろの高き所でヤハウェをほめたたえよ。その天使よ、みなヤハウェをほめたたえよ。
その万軍よ、みなヤハウェをほめたたえよ。日よ、月よ、ヤハウェをほめたたえよ。
輝く星よ、みなヤハウェをほめたたえよ。いと高き天よ、天の上にある水よ、ヤハウェをほめたたえよ。
これらのものにヤハウェのみ名をほめたたえさせよ、これらはヤハウェが命じられると造られたからである。
ヤハウェはこれらをとこしえに堅く定め、越えることのできないその境を定められた。
海の獣よ、すべての淵よ、地からヤハウェをほめたたえよ。火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ、
もろもろの山、すべての丘、実を結ぶ木、すべての香柏よ、野の獣、すべての家畜、這うもの、翼ある鳥よ、
地の王たち、すべての民、君たち、地のすべてのつかさよ、若い男子、若い女子、老いた人と幼い者よ、
彼らをしてヤハウェのみ名をほめたたえさせよ。そのみ名は高く、たぐいなく、その栄光は地と天の上にあるからである。
ヤハウェはその民のために一つの角をあげられた。
これはすべての聖徒のほめたたえるもの、ヤハウェに近いイスラエルの人々のほめたたえるものである。
ヤハウェをほめたたえよ。 新約聖書ローマの信徒への手紙
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、
主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです」。 「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではありません。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられます。
というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのです。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、
この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからです。 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、
聖書に書いてある言葉が成就するのです。
『死は勝利に飲み込まれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし感謝しよう。神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わってくださったからです。
だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。
主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからです 」。 新約聖書ローマの信徒への手紙
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、
主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです」。 詩篇 第1篇
「悪しき者の計画に歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座にすわらない人はさいわいである。
このような人はヤハウェのおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う。
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、その成すところは皆栄える。悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
それゆえ、悪しき者は裁きに耐えない。罪人は正しい者の集会に立つことができない。
ヤハウェは正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる」。 詩篇136
「ヤハウェに感謝せよ、ヤハウェは恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろのヤハウェのヤハウェに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされる方に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を創造された方に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれた方に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を創造された方に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。 「神の御心によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒のみなさんへ。
わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が、 あなたがたにありますように。
わたしたちの主イエス・キリストの父なる神を賛美しよう。神はキリストにあって、
天上でもろもろの霊の祝福をもって、わたしたちを祝福し、 御前に清く傷のない者となるように、天地の創造される前から、
キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を
授けようと、御心に従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さいました。
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためです。
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、 すなわち、罪のゆるしを受けています。
神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、
御心の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに 示して下さったのです。それは、時満ちて実現されたご計画でした。
それによって、神は天地にあるものを、ことごとく、キリストにあって 一つに帰せしめようとされました」 新約聖書 コリント人への手紙
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、
わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえられたこと、
ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。
その中にはすでに眠った者たちもいますが、大多数はいまなお生存しています。 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れてくださったのです。 実際わたしは、神の教会を迫害したのですから、
使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです」。 詩篇第24篇 ダビデの歌
「地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とはヤハウェのものである。
ヤハウェはその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。
ヤハウェの山に登るべき者はだれか。その聖所に立つべき者はだれか。
手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、
偽って誓わない者こそ、その人である。
このような人はヤハウェから祝福をうけ、その救いの神から義をうける。
これこそ主を慕う者のやから、ヤコブの神の、み顔を求める者のやからである。〔セラ
門よ、こうべをあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましいヤハウェである。
門よ、こうべをあげよ。永遠の戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。
この栄光の王とはだれか。万軍のヤハウェ、これこそ栄光の王である」。〔セラ 新約聖書 ローマ人への手紙
「このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、
神に対して和解を得ています。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。
それだけではなく、患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるでしょう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、
彼のいのちによって救われるでしょう。
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのです 」。 詩篇
「わたしの魂よ、ヤハウェを褒め称えよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名を褒め称えよ。
わたしの魂よ、ヤハウェを褒め称えよ。ヤハウェの御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
ヤハウェはあなたの罪をことごとく赦し、病をすべて癒し、命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐れみの冠を授け、長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる」。 「愛する皆さん。 父なる神は、ずっと昔からあなたがたを選び、自分の子供にしようと、決めておられました。
そして、聖霊の働きかけにより、あなたがたの心は、イエス・キリストの血によって清められ、神様に喜ばれるものと変わったのです。
どうか、神様があなたがたを祝福し、すべての不安と恐れから、解放してくださいますように。
主イエス・キリストの父なる神こそ、すべての賞賛を受けるにふさわしい方です。
私たちは、神様の測り知れないあわれみによって、新しく生まれ変わる特権を与えられ、今では神様の家族の一員として、迎えられたのです。
キリストが死人の中から復活してくださったおかげで、私たちは永遠のいのちの希望にあふれています」
新約聖書 ペテロ第一の手紙より あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(新約聖書 ローマ人への手紙) 詩篇8
「ヤハウェ、われらのヤハウェよ、あなたのみ名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。
あなたの栄光は天の上にあり、みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。
あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。
わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少し人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、
よろずの物をその足の下におかれました。
すべての羊と牛、また野の獣、空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。
ヤハウェ、われらのヤハウェよ、あなたのみ名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう」。 新約聖書 コリント人への手紙
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによっ て 立ってきたあの福音を、 思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信 じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そし て葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現 れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者 たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわ ば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、 使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様 の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、 あなたがたは信じたのです」。 詩篇 第32篇 ダビデのマスキールの歌
「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。
ヤハウェによって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。
わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時、一日中苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。
あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。〔セラ
わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った、
『わたしのとがをヤハウェに告白しよう』と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ
このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にもその身に及ぶことはない。
あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩みを免れさせ、救いをもってわたしを囲まれる。〔セラ
わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。
あなたはさとりのない馬のようであってはならない。また騾馬のようであってはならない。
彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、あなたに従わないであろう。
悪しき者は悲しみが多い。
しかしヤハウェに信頼する者はいつくしみで囲まれる。正しき者よ、ヤハウェによって喜び楽しめ、すべて心の直き者よ、
喜びの声を高くあげよ」。 あなたの救いを確実にする聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエス・キリストは私の主ですと告白し、自分の心で、
神様はイエス・キリストを死人の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、
あなたは救われます。
人は、心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。」
(新約聖書 ローマ人への手紙) 新約聖書 コリント人への手紙
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受け入れ、それによっ て 立ってきたあの福音を、 思い出していただきたい。
あなたがたが、いい加減な気持ちで信じたりせず、わたしの宣べ伝えたとおりの御言葉を堅く信 じていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も重要なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。
すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれたこと、 そし て葬られたこと、
聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえり復活されたこと、ケパに現れ、次に、十二人に現 れてくださったことです。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。その中にはすでに眠った者 たちもいますが、
大多数はいまなお生存しています。
そののち、ヤコブに現れてくださり、次に、すべての使徒たちに現れ、 そして最後に、いわ ば、未熟児のような私の前にも現われてくださったのです。
実際わたしは、神様の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、 使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神様の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神様 の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神様からの恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、 あなたがたは信じたのです」。 新約聖書ローマの信徒への手紙
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、
主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです」。 イエス・キリストの啓示を受けたパウロは、ローマのクリスチャンたちに、次のように手紙を送っています。
「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいます。
なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、 かつ、被造物自身にも、
滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからです。
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っています。
それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、
すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいます。
わたしたちは、この望みによって救われているのです。
しかし、目に見える望みは望みではありません。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があるでしょうか。 「もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのです。」
御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さいます。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからです。
そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、
神の御旨にかなうとりなしをして下さるからです。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っています。
神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さいました。
それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためでした。
そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのです 」 「それでは、これらの事について、なんと言いましょうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得るでしょうか。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあるでしょうか。
だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのですか。神は彼らを義とされるのです。 だれが、わたしたちを罪に定めるのですか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのですか。患難ですか、苦悩ですか、迫害、飢え、裸ですか、危難ですか、剣ですか。
『わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている』
と書いてあるとおりです。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがあります。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません」。 新約聖書 コリント人への手紙
「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。
もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っていれば、この福音によって救われます。
わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことでした。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、
わたしたちの罪のために死なれたこと、 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえられたこと、
ケパに現れ、次に、十二人に現れてくださったことです。 そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れてくださいました。
その中にはすでに眠った者たちもいますが、大多数はいまなお生存しています。 そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れてくださったのです。 実際わたしは、神の教会を迫害したのですから、
使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者です。
しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ています。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、
むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきました。
しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みです。
とにかく、わたしにせよ彼らにせよ、そのように、わたしたちは宣べ伝えており、そのように、あなたがたは信じたのです」。 詩篇136
「ヤハウェに感謝せよ、ヤハウェは恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろのヤハウェのヤハウェに感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
ただひとり大いなるくすしきみわざをなされる方に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
知恵をもって天を創造された方に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
地を水の上に敷かれた方に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
大いなる光を創造された方に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。 詩篇第117篇
「もろもろの国よ、ヤハウェをほめたたえよ。
もろもろの民よ、ヤハウェをたたえまつれ。
われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。
ヤハウェのまことはとこしえに絶えることがない。
ヤハウェをほめたたえよ」。 新約聖書 ローマ人への手紙
「わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して和解を得ています。
わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、
そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいます。
それだけではなく、患難をも喜んでいます。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、
錬達は希望を生み出すことを、知っているからです。
そして、希望は失望に終ることはありません。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さいました。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるかもしれません。
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるでしょう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、
彼のいのちによって救われるでしょう。
そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのです 」。 イエス・キリストの啓示を受けたパウロは、ローマのクリスチャンたちにこう手紙に記しています。
「「信仰による義は、こう言っています、『あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言ってはならない』。
それは、キリストを引き降ろすことです。
また、『だれが底知れぬ所に下るであろうかと言ってはならない』。
それは、キリストを死人の中から引き上げることです。
では、なんと言っているでしょうか。『言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある』。
この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の御言葉です。
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中から
イエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからです。
聖書は、『すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない』と言っています。
ユダヤ人とギリシヤ人との差別はありません。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を
豊かに恵んで下さるからです。
なぜなら、『主の御名を呼び求める者は、すべて救われる』と書いてあるからです 」。 ★★毎年8月6日と9日は、 広島・長崎の原爆記念日です★ ★
☆正常なキリスト教徒だけが、下の設問に返答してみなさい。
《設問》
「神は大愛である」というのなら、何故ナザレのイエスは
自らの弟子であるキリスト教徒が広島・長崎で、非戦闘員の無差別大量殺人という
世界史上稀なる凶悪な戦争犯罪を引き起こすのを
制止しなかったのですか?
何故ナザレのイエスは無力なのですか?
AMEN 詩篇150
「ヤハウェをほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。
その力のあらわれる大空でヤハウェをほめたたえよ。その大能のはたらきのゆえにヤハウェをほめたたえよ。
そのすぐれて大いなることのゆえにヤハウェをほめたたえよ。
ラッパの声をもってヤハウェをほめたたえよ。立琴と琴とをもってヤハウェをほめたたえよ。
鼓と踊りとをもってヤハウェをほめたたえよ。緒琴と笛とをもってヤハウェをほめたたえよ。
音の高いシンバルをもってヤハウェをほめたたえよ。
鳴りひびくシンバルをもってヤハウェをほめたたえよ。息のあるすべてのものにヤハウェをほめたたえさせよ。
ヤハウェをほめたたえよ」。 永遠のいのちを持つ神の子供になるための聖書に基づく信仰告白
「自分の口でイエスキリストは私の主ですと告白し、
自分の心の中で、神様はイエスキリストを死人の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われます。
人は心で信じることによって、神様から正しい者と認められ、
その信仰を告白することによって救いを確実なものとするからです。」 ___
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||. (・ω・`| タダイマ
||oと. U|
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||/彡 ̄ ガチャ ∧_∧
(-ω- ) オヤスミ
ノ U
O_ Oノ スターグループって全国にお店があるから派生したら展開早そうだよな! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています