信じられないことに、その日の午後、杏寿郎と人魚は、本当に楽しい時間を過ごした。
人魚には、本当に杏寿郎を食う気がないらしい。 
その人魚は、これまでに杏寿郎が見た、どの人魚よりも小さい体躯をしていた。
人魚は、自分はまだ成年になっていないのだと言う。
人間で言えば、中学生くらいだろうか。
そう呟く杏寿郎に、人魚はすかさず、中学生ってなんですか? と尋ねた。
 亜麻色の柔らかい髪を背に流し、翠色の瞳を輝かせる人魚は、人間についてのさまざまなことを杏寿郎に訊いてきた。
好奇心旺盛なところが自分と似ていて、杏寿郎はすぐに親近感を感じる。
 人魚は人を食べるけれど、わたしは人間と仲良くなりたいです。
そう言って悲しげな表情をする幼い人魚に、杏寿郎は名前をつけてあげた。アリエルと。
どういう意味なんですか? 不思議がる人魚に、杏寿郎は、ディズニー映画のリトル・マーメイドの物語を教えてやる。
楽しそうに話を聞く人魚を見て、杏寿郎は、人魚姫の原作者であるアンデルセンも、このような人魚に出会ったのではないかと思った。
きっと昔にも、好奇心旺盛で、人間の世界に憧れる幼い人魚がいたのだろう。





 本土に出向いた猗窩座は、銀行での簡単な用事を終えた後、スーパーで買い物を済ませた。
車に荷物を積み込んで、スーパーの前にある薬局で薬を買い、前田と共に病院へ向かう。
前田の狩猟チームにいる村田の見舞いだった。

「薬局には、なんで寄ったんや?」
「ああ、杏寿郎が風邪をひいたんだ」
「そうなんか。夏風邪はアホしかひかん言うけどな」
「はは、俺も今朝、同じことを言ってやった」
「杏寿郎とは気が合うみたいやな」
「ああ、まあ……一緒に暮らす人がいるというのも面白いな」
「せやろ。ひとりよりは二人がええねん」

 そう言った前田は、ときどき猗窩座に持ちかけてくる話を繰り返し始める。

「猗窩座。おまえ、ホンマに結婚する気はあらへんか?」
「ない」
「いつか気が変わるかもしれんやろ。そないなこと言わへんと、はよまさこと結婚せえ。あと三年だけ待って、まさこが大学を出たら連れてき。新居もなんも要らんやさかい、身一つで来たらええ」

 前田が猗窩座に自分の婿になれと言い出したのは、かなり前のことだった。 
まさこが高校生になり、猗窩座を慕う素振りを見せた頃から言い始めた冗談は、いつの間にか前田の本気になっていた。
 しかし、猗窩座に結婚するつもりは、まったくない。
さらに、その相手が結構年下であるまさこだと言うのだから、なおさらのことだ。

「前田、もうそんなこと言うな」
「なんやねん。まさこは可愛くないか?」
「可愛い。可愛いが……子どもではないか」
「なぁにが子どもや。そろそろ女になってきたやろ」
「前田、俺はまさこが中学生のときから知ってるんだ。俺がまさこを連れて行ったら、周りに泥棒野郎と言われる。前田も、大事な娘には、もっと若くていい男を見つけてやれ」
「歳なんぞ関係あるかい。おまえがどないに誠実なヤツか、わいより知っとる人間はおらへんで。まさこもおまえのことが好きやしな。ホンマに婿に来てほしゅうて言うてるんや」