>>656
これは難しい問題だなーといつも思っています。もう何年来も…ファンの間で論争の火種になっているようですし。

尼子さんご自身が腐女子かそうでないか、はっきり述べていないのですからなんとも言いようがないですね。ですから、私の推測を書いてみます。

尼子さんは、腐女子ではない、と思います。

最近あえてつどいレポなどを読んで考えたのですが、尼子さんが作った稚児設定はどうも、いわゆる”やおい”や”BL”というよりも、昔から存在する男色(衆道?)の意味合いで使っているように感じました。

BLと男色は同じのようでいて、実際はかなり違う、というか別物くらいに考えるべき…だと、ある本で読みました。
BLはあくまで腐女子(あるいは腐男子)の空想の中にしか存在しえないものですので。尼子さんが”歴史的事実”を非常に重んじることは以前からよく知られていることです。


なので、腐女子ではないな、と思ったのです。ただ、腐女子ではないからこそ逆にタチが悪い(失礼ですが)のだと思います。
イベントやお祭り騒ぎが好きな性格だと自己紹介しているくらいですから、なんでも盛り上がることを取りいれて行く、という方針を取っているように見えます。

加えて、昨今のアニメ・漫画業界は業績不振を打開するため、イベントを次々に企画するようになりました。
ミュ化、実写映画化、グッズの販売などの様々な企画が増え、作者さんが持つ決定権が急に大きくなりました。

もちろん今までも尼子さんのカリスマ性によってこの作品は高い価値を持っていたし、読者も魅力を感じていたと思うのですが、そろそろ作者と読者の関係を相対化するべきじゃないか、と思います。

腐女子でない人やイベントに乗り切れない人はどうしても蚊帳の外で、居場所がないな、と。

わたしはこのように、ちょっと斜めの視点から考えてしまうのですが、他の方はどのような考えをお持ちでしょうか。特に現役で腐女子の方の意見もあればいいなと思っています。


〈補足〉
読者の意見を取り入れることは、作者と読者を相対化させるためには実際のところほとんど効果が無いようです。むしろどの意見を取り入れるかについて作者の決定権が増すだけで、読者の側は振り回されるばかりになります。