阿部 十郎(あべ じゅうろう、天保8年8月22日(1837年9月21日) - 明治40年(1907年)1月6日)は、新選組隊士、御陵衛士、赤報隊隊士。
諱は隆明。別姓高野。維新後は諱をとって阿部 隆明と称した。また名簿類に見える阿部慎蔵、阿部信次郎も同一人物とされる。
阿部が史談会で語ったとされる
「沖田総司、これがまあ勇の一番弟子で、なかなかよく仕いました。その次は斎藤一と申します。
それから是は流派が違いますが、永倉新八という者がおりました。この者は沖田よりもちと稽古が進んでおりました。」
という談話は、新撰組最強はだれか、という話題の際に「1に永倉、2に沖田、3に斎藤」としてよく引き合いに出される。