0580名無しさん@ピンキー
2024/09/24(火) 22:26:21.32ID:tSDbbmYL猫を見つけたならば追いかけ回し、何処かに隠れるまで追い込んでから包囲して投石し、倒れたならば足で踏みつけ押さえ込み、勝利の余韻に浸ってから解放する。
このルーティンを確立した俺たちは何度かまた猫を見つける度にこの遊びを繰り返した。
何回目からか初手からの投石を解禁したのだが、そうすると難易度が格段に下がった。
その結果、俺達は一日での最高討伐数を求めるようになった。
毎回確殺のダメージを与えるわけでは無いので最高で七回遊んでくれたタフな猫もいた。
その頃になると俺はこの友人たちから少しずつ距離を取り始めた。
親がうるさくて塾に行かなければならなくなった、そんな言い訳で少しずつ距離を取りやがてごくたまにしか彼らと遊ぶことはなくなった。
塾に通い始めたのは本当の話だが、それには俺の復讐の為の次の計画も含まれていた。
その次の計画についてはまた改めて別の機会に語ることにするとして、何故俺が猫遊びの味を覚えた友人たちから距離を置いたかを語ってこの話を終えようと思う。
小4になりクラス替えがあった。
そこから友人グループを形成するにあたり、俺が誰を友人にするか選別していたことは前に少し話したかと思う。
彼らに共通することは3つほどある。
一つ目は猫を飼っていないこと、これは前に話したと思う。
二つ目の理由は彼らは過去に何度も友人と喧嘩を繰り返したりの理由でやや嫌われ気味だったこと、彼らに猫と遊ぶ適性を俺が感じていたということ。
三つ目は両親が共働きであったり片親であったりの理由で「鍵っ子」であること、大体の場合において彼らは家に帰りたがらない。帰ったとしてもどうせ一人きりだからだ。必然的に遅くまで遊べる友人を必要としていくことになる。
例えこの先この仲間から俺が消えたとしても彼らは今と同じ仲間同士で遊び続ける。
だが、今までは色々な新しい遊びを提供し続けていた俺がいたから彼らは常に新鮮な遊びを体験出来ていた。
では俺が居なくなったら?、彼らは過去の遊びを繰り返すしかなくなる。
その過去の遊びの中で最も仲間との結束を感じられ、知恵を絞ったり工夫したりと努力し、勝利することの高揚感を得られる遊び、少年◯ャ◯◯でいうところの「友情・努力・勝利」(笑)を一番感じられるのが、俺が彼らに最後に提供した遊び、猫との遊びだ。
もう俺が何もしなくとも彼らは飽きるまで、それかもっと大人になりもっと楽しいことを知るまで同じ遊びを何度も繰り返すだろう。
その後の彼らは前に少し話した通りどんどんと猫との遊びの内容をエスカレートさせ、やがて歯止めが効かなくなっていった。
それからだいぶ後になってからクラスメートの外飼いの猫に手を出してしまったことが発覚したことがある。
学校でも少し問題にされてクラス会が開かれたりしたが、猫の糞害に悩まされている家庭の子供たちに俺が根回しをして、猫の虐待の問題から猫の外飼いの話の是非についての話にすり替えることに成功した。
俺はあくまでも中立という立場に見られる立ち位置を確保していたので交通事故死の話や猫エイズの話など猫の外飼いによる弊害の話を語っておいた。
結局、かつての友人たちが飼い主にその場で一度謝罪するという処分ともいえないような処分で決着した。
俺としても虐待に至る経緯などを根掘り葉掘りと掘り返されては困るので助かったのは事実だ。
そのクラス会の後で久しぶりに彼らと話したが、皆一様に対した罰にならなくて良かったと笑い合った。
その時に色々とその後の戦果の話などを聞いて知ったのが、前に話した猫サカの話だった。
最後に、彼らが手を出した外飼いの猫とはかつて俺が猫に触れないということを思い知らされた、かつての友人の家の飼い猫だったことを付け加えてこの話は終わる。
「友人たちが猫を殺した日」
おわり
※この話はフィクションです。