2025.2.5、#自分は発達障害持ちの大人です

昨日は体育館から帰ってきたあと、少し食べてから寝た。
一応日付は変わる前である。
それだけでも少し違うのは気持ちとしても安心ある。
いつものように仕事はできているし、朝のバスで本を読み、今日は運よく電車でも座れて、職場の最寄り駅まで本を読めた。
今はおそらく同世代の人が書いたであろう本を読んでいる。
タイムフリーで聴いている推しのラジオも昨日休みだったパーソナリティも復帰している。ああよかった。
自分自身のSNSにはプロフィールとして発達障害であることを書いている。
だがここ数年言われている「「大人の」発達障害」という言い回しにはいつも疑問に思っている。
発達障害に大人も子どももないのだが、どうして「大人の」と形容づける必要があるのだろうか。
「「発達障害の」大人」ではいけないのだろうか。発達障害なんて言われても人それぞれ違うものなのに…
自分は子どもの頃からそう言われてきたのに、なぜか「ふつう」を 当てがわれてしんどいことが多くあったのに。
それを「大人の」という言葉をつけて、さも前から言われているような言いようをされてしまうのは正直迷惑な話である。今だって正直つらいよ。
シフトの追加を申し訳なさそうに頼まれたけど、休養をして自分を休ませたいと伝えた。
発達障害がある人は疲れやすいからね。現実の複雑な状況よりも、自分のほうが大事だ。