2025.5.3. #政治的主張

宇多田ヒカルさんの新曲で選択的ふうふ別姓について歌詞に入れていた。自分もアップルミュージックに入れてお昼にずーっと聴いていた。
それについてとやかく言う方がいるのは分かる。日本人ってとかく黙らないし、何かとイチャモンをつけたがる、だよなぁ。
今の政治観に慣れてしまって、異と為すものや国益に沿わないものは排除するもんな。
そんな社会だもん今の日本って。だから差別やヘイト、自らより立場が下だと思ったり、いわゆる「反日」 的なものにはひどい言葉を投げていくもんな。
自分は何度も表明しているけれど、生きているだけで政治的 だと思っている。
生きている以上は無知でいられるわけもなく知らなければいけないことのほうが多い。だけど今の世の中は自らが信じたいことを信じる流れで、歴史的な事実よりも愛国的な何かが働いて自らに都合の良いものを選択し、それらを真実として取り込むほうが良いのだろう。
だから史実を事実として並べても耳を傾けないし、説明を尽くしても骨折り損なのだ。
それで恥をかくのはいったい誰なのだろうか。
自分の表現の中でも政治的主張はある。いつも書いている詩なんか特にそうだ。今はこれといってSNSではそのようなことを書くことが少なくなってきた。
おかしいと思うことにはそう書くけれど、今は考えが違うだけでクソリプが飛んでくる世の中だ。
せめて自分は間違った方向の政治的主張はしないようにしたい。