母の日である。実家の母とは疎遠となり、今は青木家の誰と も連絡は取っていない。
誰かが亡くなったとしても伝えられることはないとさえ思う。自分も今はもう天涯孤独な部分が多くを占めているのだから、家のことについてはもう考えることはない。
今さら行ったところで自分のことを知らない親類が「あの人誰?」と言われて蔑みを受けるのならば、自分はここで生きていくしかないんだから。
それでも日曜天国の本日のテーマの投稿で笑っているのだ。心のどこかでは母のことを想っているのだろうか。
パートナー氏の誕生日である。互いに仕事をしているから、カレンダー通りである自分とシフトで働く彼と休みが合うことはあまりない。
来た頃よりも会話は少なくなったし、ときに彼の欲に付き合うこともある。こういうことを求められるために生活をしているわけではないけれど、ときおり自分が折れているときに見せるやさしさに負けてしまう。
自分の誕生日についてここ数年何もないのに、おめでとうのメッセージを送ったら「何かちょうだい」だって、どうすればいいのか。
そういえばビッグサイトで文フリだったね。たった今双子のライオン堂のBASEで胎動短歌6を買ったよ。
平和島だったら気軽に行けるのにと思いつつ、創作者としての自分はダメだし、行けば行くほど作れていない自分に虚しさを感じるし、旧知の人に逢えるのはいいことでも、その中に自分が入れていないことに情けなさを思う。
今は何を作ってもダメだとしか思えないし、自分が作るのだからいいのではと思うものの、どこかで許せない自分がいるのかもしれない。