江戸時代に生まれなくて良かったゲイ
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江戸時代なんてスマホもインターネットも無いしそれどころか電気も無いのよね
あたしだったら夜が寂しくてとっくに死んでるわ 江戸時代にはゲイは居なかったのかしら?
出会いが無くて辛すぎよね? えっ、アタシは江戸時代に生まれたかったわ。陰間茶屋で荒稼ぎよ。 自分のご先祖様も代々この藩だったのであまり笑えないんだけど、薩摩藩では二才と呼ばれる年長者が、精通を迎える歳頃の少年を稚児と呼び、学問や武芸をスパルタ教育するのみならず、性の手ほどきも行い、
特にイケメン少年は夜な夜な、二才達や、他の同年代の子からも慰みものにされ続けたんだよね…。
ただ、今でも親戚が鹿児島に多いので、コロナ前までは墓参りとかで毎年訪れてたけど、薩摩隼人は美男の宝庫で、単にイケメンなだけでなく、爺さんから子供に至るまでくっきりした目鼻立ちのイケメンが多い。
幕末は戦乱に明け暮れた藩だから戦死しそうだけど、江戸時代の安定期なら薩摩に生まれてみたい気も少しあるw 今の大都市で生きる現代人が
1日に得る情報量が、
江戸時代の(江戸で?)の1年分で
平安時代の農民の一生分なんですってね。 江戸時代なんて夜は真っ暗だから全国の裸祭りが
大盛況だったでしょうね。 近代国家になる前って歯磨きってどうしてたのかしら。 衛生面も劣悪だし、当時はまだ麻酔も普及してなかったはずだから色々地獄よね まあでも、1000年後の日本人から見たら、
今の私たちだって十分原始的な生活になるわよ。
え?その時代ってガンやエイズで死んでたの?ってね。 江戸時代は、世間全体が同性愛行為に寛容だったというより
江戸時代は、男性過多に偏るような環境が多すぎた
→仕方なく男で我慢…ってのが実際のようね
しかも1780年代になると衰退していったようだし
https://bushoojapan.com/jphistory/food-jp/2023/09/08/106409/2#i 江戸時代の同性愛は、
大人の男と、15歳に満たない女性的な少年との間が主で
成人同志の同性愛は主流とは言えなかった
しかもその少年たちは、大人になる前に飽きられてポイ捨てされたり
酷い場合は15歳の元服時に殺されることも。
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00925/
江戸時代より、令和の方が
遥かにゲイには生きやすいわよ。 歯磨きは房楊枝っていう割り箸の先端を細かく割いたみたいのでやってたのよ
歯磨き粉はもちろん無いから塩でね
口腔衛生なんて今と全然違うでしょうね 処刑された犯罪者の遺体とか見せしめに飾ってあったり
今の時代の人間からすれば無理よ無理 シャワ浣もないしうんこまみれ当たり前だったんだろうな 当時はそれが庶民の娯楽だったのよ。
フランス革命でもギロチン死刑は大盛況だったっていうじゃない。 「徳川女刑罰絵巻牛裂きの刑」見ると確かに処刑を娯楽として楽しんでるわね
罪人を火あぶりにしたり蒸し焼きにしたりノコギリで少しずつ首切ったり様々 その時代に生まれてゲイライフ過ごすならいいけどタイムスリップで行って過ごすのは衛生的に絶対無理よね100%臭いもの 着物着て屋台でお寿司やソバ、天ぷらをつまんで、湯屋に行って若い男を見て楽しんで陰間茶屋で愉しんで
相撲見て屋形船に乗って〜とか、今より平均年齢も若く独身男ばっかりの江戸でたのしそうな江戸ライフだけどたのしいばかりでもないのかしらね 裕福な商家のぼんぼんに生まれればいいけど
長屋でその日暮らしの身分なんかに生まれちゃったら悲惨だわ >>24
今の時代を知ってると無理ね
外出先のトイレは町中に置いてある樽の中にしてたっての以前歴史の動画で観たけど吐くわ、無理 5だけど、薩摩でも自分のご先祖様のように武家なら生まれてみたいけど、9割を年貢に持って行かれた農民だったら嫌だな…。 >>11
江戸時代には歯ブラシのようなものはあったらしいわ 江戸の中心部や、大坂の中心部で生まれ育ってたら
それなりに楽しかっただろうけど
あたしの祖先は、
安芸藩(広島県)の、山奥のさらに山奥の集落だったのよ 相手に手紙出したりする時に歌を詠まなきゃならないなんて絶対ムリよあたし >>31
庶民は平安時代だってそんなことしないから大丈夫よ 今うちらが食ってる食事が、昔はごちそうだったのよね。 江戸って今の東京みたいに過密すぎだったみたいだけどね
喘ぎ声なんて出そうもんなら近所中から覗かれる 長屋で熊さんと八っつぁんが汗だくセックスしてるのとかもバレバレだったわけね やだ、あてくしの家って旗本だったらしいから、
身分でマウント取れるわ >>17
山芋じゃなくて黄蜀葵という植物の粉がそれ用に流通していたわよ
水や唾でのばすと粘り気が出て痒くもないのよ >>38
亀頭のこと「うり」?「つり」?っていってたの? >>40
「かり」よ
「か」は「可」という字を崩した仮名よ >>38を見ると高須センセ以前から日本にはズルムケ信仰があるのね 戦国武将たちの衆道は織田信長と前田利家・森蘭丸も有名な衆道関係であった。
他にも武田信玄と高坂昌信=春日源助(信玄は源助に対し別の小姓・弥七郎との関係を否定するラブレターを送っている)
生涯独身を貫き、美少年好きといわれた上杉謙信と寵臣の河田長親。
さらに上杉景勝と清野長範や、伊達政宗と片倉重長・只野作十郎(政宗から浮気を疑われた作十郎は疑いを晴らす為、自ら腕を刀で突き血でしたためたラブレターを送っている)
男色の趣味のなかった徳川家康が唯一その美貌に魅せられた井伊直政(徳川四天王)を寵愛し、
いつでも会えるように自邸近くに直政の屋敷を建てて通っていた。 男色っていうとすぐそうやって武士だの僧侶だの出して、
戦国や江戸時代には男色があったって言い張る人いるけど、
武士階級とか僧侶階級って、当時の日本の人口の何パーセントだったの?
そもそも武士とか僧侶自体が少数派よね? 江戸時代は町人も蔭間を買ったり小僧に手を出したりして男色していたわよ 当時はどういうタイプの少年がモテたのかしら?
道枝くんとか高橋文哉とか中学生の頃の北村匠海とか杉野遥亮とかタイムスリップしたらモテるかしら? 明治までは男色が盛んで、女を好きなもんは「軟派」と言われておったのに。
西洋の価値観に潰されるまでは当たり前だった。 生まれててもあたしなら大奥に上がって内掛けを着こなすわ >>50
なよやかな少年が人気あったぽいわ。少年たちは日に当たらないようにして、体毛を処理し、体臭が出るような食べ物も避け
白檀や麝香などを身に漂わせ備えたそうよ >>30
西へ行くほど男色度が高いけぇ、広島ならええ方じゃろう。 出会ったガチデブオジサン、
みんな鹿児島出身だったわ〜
色白大学生の頃 昭和だって40年代くらいはお風呂はシャワーはなくて、残り湯を追い焚きするのが当たり前だったわよね。
風呂無しのアパートも今よりずっと多かった。
そう考えると衛生観念なんてあやふやなもんなんだろうな、と思うわ。 >>15
まぁ、ここの男臭いのが好きなゲイよりもジャニー喜多川的な天国だったのはそうだろう
>>55
鹿児島は郷中教育で青少年同士の同性愛が義務教育で同性愛が最も盛んだからなぁ >>60
アタシ歴史の授業が大嫌いで内容が全然入って来なかったから社会科テストは地理でいつも点数稼いでたわ
地理は元々男子は得意って勝手なイメージだけど(マツコも地理結構詳しいわね)
歴史の授業中にこんな男色話織り交ぜてくれたら授業も楽しかったはずよw 歴史好きこそノンケのイメージよ
三国志好きとか徳川15代までの将軍の名前をソラで言えるとかクラスに必ず1人はいたわ
歴史オタのノンケ男子 西郷さんも美少年好きだったのよね
西郷輝彦じゃないわよ お武家さんは美少年が育った後も取り立ててくれたんだろうけど
蔭間茶屋なんかでとうがたった色子は悲惨よね
小間物屋でも開いてカタギの大人になれた釜もいるのかしら 稚児とか陰間やってた人ってゲイとは限らず基本はほぼノンケなんでしょう
金が欲しい親に売られたからそうなったわけで自分で自由に将来を選べる時代ではないもの
某グループみたいな図式なのよ 蔭間は元々は若衆歌舞伎に出てる役者を買う茶屋だったのよ
だから役者として成功できれば足抜けできたわけ
それが時代が下ると売春専門になっていき、とうのたった大若衆なんてのも店に出るようになったの
幕末ともなると自ら望んで茶屋勤めした釜もいたというわけよね >>66
肛門さまなんて書くからこれ思い出しちゃったじゃないw
https://images.app.goo.gl/kWEfAxi8osYkgB7n8
ノンケはこの錠剤飲む時ウェ〜ってなるけどチンポやケツ穴舐めてるアタシ達なら何て事ないわね 江戸時代は、恋愛感情とか性欲とか関係なく
適齢期がきたら、村や集落の中の適当な異性と婚姻するのが
みーんな当たり前だったし、みんながタイプでマトモな相手と結婚できたわけないから
男色家だからって、苦しい困ったってのは無かったと思うわ。 弥次さん喜多さんの喜多さんも元は蔭間で、テクに惚れ込んだ弥次さんが連れ出して駆け落ちしたのよね
でも旅先の女にちょっかいかけまくるバイカップルのほのぼの珍道中 生まれ変わったら家光様になって思う御分チンコ遊びしたいわ >>52
あたしは上様として長い渡り廊下をゆっくり練り歩きたいわ 河岸なんかの肉体労働者は尻端折ってケツ丸出しで働いてたのよね 太夫になって下駄を左右にひきずりながら吉原を練り歩きたいわ そして梅毒で鼻に穴が開いて、最後は頭おかしくなって死ぬのね 現代だって西暦3000年生まれの人から見たら絶対生まれたくない世界線なのよねきっと
3000年には車は空を飛び誰も労働なんかしてなくて病気も事故も無く
犯罪も100%捕まるしそもそもベーシックインカムも導入されたりして誰も生活に不満が無いから犯罪なんて起こさないし
寿命は一律120年って決まってて120歳になったら全く苦痛0で安楽死させてくれるの 西暦3000年は原始時代みたいになってるわよ
川上弘美の「おめでとう」って小説にそう書いてあったわ >>72
集落では婚姻相手=セックス相手じゃないのよね。
血が濃くなるから旅人男性を誘って夜這いして貰うの。
昔話に貧しい村なのに旅人に厚いもてなしをするシーンあるのがたまにあったでしょ。
精力つけて村の娘に夜這いしてもらうためで旅人も空気読んで応えるの。特に庄屋の家に案内された時。
夜這い依頼かと思ったら村人全員グルで金目物狙いで殺されるのも普通にあったから
ドノンケが夜這い目的で旅を続ける人はいなかったと思うけど。
70年くらい前の話だったと思うけど布教の為に旅してた牧師がある寒い国のある家に泊めて貰ったとき
家主の「妻を抱いて欲しい」の願いを宗教の問題で断ったら殺された事案あったのよ。
旅行者少ない寒い地域では血が濃くならないよう血の繋がらない子を作るのに殺気立つほど必死だったとのこと。
江戸時代の日本の集落だけでなく世界の集落でも親族同士で婚姻結ぶのが珍しくないからよその精子で子作りが普通だった地域結構あったのかも。
昔はゲイにとって旅はより危険だったって事になるわね。 街道筋ですらない辺鄙な村に一夜の宿を頼むなんて江戸時代の旅ではなかなかないわね
何目的で旅してんのかしら 江戸時代には「お伊勢参り」があったから
全国各地から伊勢に旅するってのがあったのよね
そのついでに奈良や京都にも寄って。
https://nomichi.me/isemairi/#google_vignette 当時は徒歩よねぇ
江戸から伊勢まで徒歩だとどれくらいかかるのかしら
旅行に1カ月くらい費やすのかしら >>87
お伊勢参りって、伊勢神宮にお参りするだけじゃなくて
各村でおもてなししてくれて、年頃の村娘に中出しも出来る…。
そりゃぁ行くわよね(若い男性しかダメだろうけど) >>91
若い女は宿と食事と引き換えにマンコを気軽に貸したのよ。マンコの貞操なんてなかったの。だからレイプって概念すらなかったのよ。 でも夜這いにもマンコに拒否権があったのよ
拒否られたら男は強制できないのよ >>17
僧侶がそれをやってたそうじゃない?
若い坊主のアナルに山芋塗って、痒いからチンコで掻いてたとか。
昔ってアナルセックスに大麻も併用してたのかしら? チンコまで痒くなるじゃないの
山芋なんか使うわけないって南方熊楠がバッサリ否定してたわよ 麻はいっぱいあったけど、極東の方にやってきた麻はカンビノイド??だかが少なくで、幻覚みるのは無理だそうよ 江戸時代は真夏でも平均気温25℃だし、都会のど真ん中でも蛍が居る綺麗な川で水浴び出来たから臭くないはずよ >>96
大麻があっても、ぶりぶりのケツマン野郎にはなれなかったってことなのね。
そしたら、今の覚せい剤のほうがいいのか。 男色が特殊なことではなく
普通にあったというのが1番興味深いところ どうなのかしらね
新選組の屯所なんて隊員同士の同性愛が流行して禁止事項に加えられたんでしょ
前髪だけが相手じゃなかったのよね 前髪とはよく言ったものよね
今もゲイの間では前髪系って言葉はあるものね
体毛薄くて細身で長い前髪が少年の証なんだわ
全部江戸時代にはそういう文化?があったのね ローションはアオイ科の根っこから採ったとろとろを使うから、だいじょうぶナリヨ!?
知り合いの100歳超えの爺ちゃんの婆さんだかひい婆さんが
江戸時代生まれって聞いてなんか感慨深かったわ 二泊三日だけタイムスリップして飛脚の裸を堪能したいわ 参勤交代でかごに乗って富士山眺めたいわ
山の麓のお茶屋さんで団子をほおばるの 大名の家に生まれてたら早くお世継ぎ作れってプレッシャーすごくて大変よ
跡取りできなかったらお取り潰しだもの
嫌でも女抱かなきゃいけないわ 江戸時代って町人はおかずになるものは大したもの食べられなくて大量の米と漬物ばかりだったんでしょ
お寿司もシャリがものすごいでかかったとか
肉食べられないのは辛いわ 結局娯楽が少ないからセックスしかする事無くてそれで田舎の方は子供が出来すぎて売られたり捨てられたりして江戸の方もよその奥さんと寝るわけにも行かないから男に走るのね 江戸の長屋は壁も薄くて密集してるし隣の色んな音が筒抜けよね 庶民(地方の農民)だと、
今みたいに精製されてない藁や殻のついた
少ーしだけの玄米に、稗や粟を混ぜて
後は味噌汁と漬物だけ。大豆も少しは食べられたとか。
絶対に糖尿病とか高血圧とかなさそうよね。 一番いいのは裕福な商人、大店の娘ね
男に生まれたら跡取りのプレッシャーすごそうだけど、
女に生まれたらそういうこともないし自由にできそうだわ
金持ちの家の娘に生まれて金と権力でいい男を堪能してやるわ そもそも農民は当時の人口の9割近かったはずよ
同性愛に関する記録なんてたぶんほとんど残ってないと思うワ
武士とか町人はごくわずか、数パーセント
それで「江戸時代は男色が当たり前だった」みたいなこと言ってるの、
信じられないわ
それって、くだらない雑誌並べ立てて、それを証拠(根拠)にして、
「昭和時代はSMとヤクを使ったセックスが当たり前だった」って言ってるのと、
同じレベルに感じるわ >>119
でも男色を禁じる倫理規範な、第一に儒教、第二に仏教なのだから、社会階層が下になるにつれてその2つの倫理からは自由であったと思うわ 和式でギリ、ボットンなんて論外でウォシュレットもない地獄だから生活とか無理ね
蝿もそこら中ブンブンだろうし…TOTOは偉大だわ
そういえばバキュームカーも何年も見てないな、小学生の頃は通るたび物凄い臭いしたわ >>121
村の狭いコミュニティ内で繁殖すると血が濃くなるのが問題だったならば男色で性欲を発散させていたという可能性も無くはないわね 暑さはともかく寒いのは絶対無理だわ
あんな薄っぺらい板や土壁の家で寝るなんて想像しただけで無理 >>121
身分が下に行けば行くほど知識がなくなって、
規則や慣習にがんじがらめになっちゃうのよ
戦中の日本見れば分かるでしょ やだあたしとしたことが
笑えること書くことが信条なのに、
ひねくれたことばっかり書いてるわ
あたしの書いたこと全部嘘よ、きっと
ごめんあそばせ きれいな小姓じゃなくてごつい農民といたしてた汚れ専の武家や公家やお殿様もいたのかしら? >>127
ほぼ越中じゃないかしら
六尺は肉体労働の仕事用だと思うわ >>129
穴に頭突っ込んでごぼうを掘っていた農夫が通りすがりの侍に「おっいいケツ発見」と掘られたという小咄があったわよ 江戸時代って男色が普通の時代よね
そういう意味では羨ましいわ 一口に江戸時代といっても1600年代と1800年代後半とでは文化風俗もだいぶ違うわよね 最高権力者の徳川家光や綱吉がホモなんだから最高じゃない? 大阪の豊中市にある
「日本民家集落博物館」に行くのが好きなの
江戸時代に築造された、全国各地の民家12軒(全て当時の本物)を
1956年以降にここに集めて移築したのよ
入口の長屋門は、塩川正十郎の生家でもあるわ(一部を移築)
https://www.occh.or.jp/minka/?s=guide
豪商や豪農の家屋だから、庶民のくらしは分かりにくいけど
平日の夕方に行ったら、殆ど誰もいないし
江戸時代にTPした気分になれるわ
昔の家屋にはプライベートルームなんて無いのよ
風呂やトイレも見当たらないから、どこで入ってたのかしらね 風呂なんて近代になってからでしょ。
昭和の初めも各家庭に風呂なんてなかったわよ。 >>137
厠と風呂は敷地内の離れにあったのがほとんどでしょ
あたいの祖父が古い豪農の家で幼少期はまだ屋敷があったけど冬はトイレと風呂が遠くてつらかったわ 「けつの穴のちいせえやつだ」って江戸時代はまだ無かった? >>133
今だってそこら中でやりまくりでしょ
別に迫害されてるわけでもないし
今が一番いいわ >>140
家光や綱吉の時代に成立したという説があるわね
尻穴が小さいとお殿様を受け入れられないという意味で シラミやら南京虫がウジャウジャいそうで無理だわ
ケツマンも回虫だらけよね ヤバ種交尾したいっすと同じで、虫飼交尾たまんないっすっていうのもいたでしょうね。 あら、あたし汗だくセックスやりたいわ〜。
逞しい漁師たちが性欲解消のためにホモセックス三昧だなんて
アガるわ〜。 >>143
今の感覚ではダメなだけで当時は普通だったはずだから大丈夫よ 漁師たちは素っ裸でチンポの皮を紐で結んで漁していたのよ 鹿児島の漁師たちは小屋で共同生活しながら年少の者を掘ってチームの絆を深めたのよね 理由を書いてなかったわ
縄文時代くらい何も無い時代だったら何もかもが素晴らしくて何もかもが有り難く感じられるんじゃないかしらって
火が使えるのも幸せ、人と出会えるのも幸せ、人と会話出来るのも幸せ
どんな飯でも食うの幸せとか幸せだらけなんじゃないかしら >>151
食べ物なんて口に合わないし寝床も固くて臭くて痒くて無理だと思うわよもはやお目当ての男も猿みたいなもんでしょ >>151
ありがたいとかいう感情があるのかわからないわ
その日暮らしで大変だろうしレイプや権力争いの殺人が横行してるんじゃない? >>156
権力争いや戦争が起きたのは弥生時代からのことなのよ
縄文期の出土した骨には暴行の外傷がないのが特徴なの でも部族とか種族争いとかなかったのかしら?
縄文時代にはすでに人種も確立されていたんだろうけど 離れた土地の他の集落と交易することはあったけど
争って奪うという発想はなかったんでしょうね ネアンデンタール人とかは縄文よりもっと前なのね
その時代に生まれたら襲われて喰われそうね ホモ同士が添い遂げた、ちょっと感動する江戸時代の話があったわね >>137
姐さんありがと、面白そうだから大阪方面行った時に寄ってみるわね、覚えとかないと
地元の遺跡で縄文や弥生の頃の復元された住居しか見た事ないから、移築したリアルな住居ってのが興味深いわ
アタシもこんな寒いのにロクな暖房器具も無いすきま風だらけの部屋で生活なんて無理よ、江戸時代に生まれなくて良かったわw 動けなくなった牛と馬をたべることもあったみたいよね
隠れてだけど 絶対発展場みたいな場所はあった、と確信してるわぁ〜 四季はしっかり感じられ、海も川も澄んでいて、空気も今とは違って綺麗だったんでしょうね 真っ暗杉で、テンバでは誰もはじかれることもなくまぐわれたのでしょうね >>171
メディアミックスの項を見たらすでに二次元化してるじゃないの あらアテシ好きよ 日光江戸村に行ったとき勃起したわ 着物姿の男ってセクシーよね
とくに脚フェチにはたまんないの 母が常日頃「日本人の男はチョンマゲにすると皆今よりイケメンになれる」って言ってたんだけどそうかしら
それだけの点ではあたしも江戸時代に生まれれば良かったわ ヘンリー塚本作品が無臭でもう少しバリエーションがあるといいんだけどね
出てる役者さんも一緒だしワンパターンなのよね でも西郷さんてあちこちに2号さんがいたんでしょ
袋はデカかったのよね 日本人て割と清潔で頻繁に体拭いたり風呂に入ったりしていたから体自体は臭くなくても頻繁に洗えない着物とか下着はある程度獣臭がしたかもね >>165
うちの祖父の集落では江戸時代、氏神神社の祭りの時は近くの集落からも神輿にあたるものを担いでくれる若い男がやってきて
担ぐ日前の数日間は神社裏の小屋で女に会わないように共同生活して穢を落としていたと聞くわ。
同性を抱くのは穢にならなかったとのこと。ただ陰扱いなのでそういう行為をしたということは女がいる前ではくちにしてはいけないと成っていた。
案外陰扱いなのは日本共通の認識で文書にも残さないようにしていたのかもね。 あたし的にはスマホが無かった時代は既に江戸時代よ
インターネットが無かった時代はもはや縄文時代
あたし38だけどあたしが成人する頃には既にネット環境ってあってスマホも30ちょうどで持ったかしら
子供の頃はともかく大の大人になってからネット環境が無い人生って想像出来ないわ
待ち時間とか暇すぎて死んでるわ インターネットが縄文でスマホが江戸って例えおかしくない?何世紀かかってるのよ笑あたまわるそう >>187
一見そう思うんだけど、
かりになくなっても、1週間もすれば慣れちゃうもんよ
テレビもラジオもあるわけだし
あたし48で、10年前くらい前に、ネットだけで携帯持ってなかった時期があったんだけど、
パソコン壊れちゃって2週間くらいネット出来なかったけど、
慣れちゃってたわ 江戸時代の自分のご先祖がどんな人なのか気になるわ
昔の庶民は飢えと寒さと病で亡くなりやすいから現代人は厳しい環境下でもある程度強く生き残ってきた人達の子孫なわけよね あたしたちの先祖は確実に江戸時代にも室町時代にも平安時代にもいたのよね。 スマホもネットも身近になかった時代を一緒くたに昭和って言うのは分かるけど ひょっとしたら飢饉のときに我が子を食らって生き延びてきた人の子孫かもしれないわね 江戸〜明治初期まで男色はごくごく当たり前の文化で、むしろ今で言うところの「上級国民」のたしなみでもあったから、江戸時代に生まれてても良かったかもだわ ノンケ食いやすかったって意味で羨ましいいうなら確かにこの時代のほうがいいかも
やりやすさなら現代には敵わないけど 薩摩は武士以外には地獄のような藩だったけど(年貢9割って…)、武士でイケメンなら男色文化ではカースト上位(最上位はもちろん島津家)だから、自分も生まれてみたかったわ。
ご先祖様も、子孫の自分、親父、爺ちゃん、ひい爺ちゃん系統の顔なら、そこそこイケメンではあったんだろう。
若い頃のひい爺ちゃんは、写真でしか知らないけど、銀幕のスターのような超絶イケメンだったし。 銀板写真て修正しまくるから信用できないわ
お絵かきみたいなもの そうね
くっきり二重とか明らかに書き足してるものね 隙あらば妄想自分語りする人の文体っていつも同じなのはなぜかしら 信長様って、夜伽に蘭丸と弥助を呼んで3Pしてたのよ
信長様がウケよ 残念ね
あてくしは紅緒さんが好きな蘭丸なの
ナヨナヨしてるけどノンケなの 蘭丸って実際は柳腰の美少年ではなく屈強な肉体派だったそうだものね
信様ウケでも何ら不思議はないわ 鹿児島は確かにイケメン多いよね。
というか九州男児はホント顔が良いわ。 鹿児島ってそんなイケメンかしら
坂上二郎とかみたいな爺さんしか見たことないわ >>69
それは違うわ。近代まで、踊り子は同時に売春婦だったのよ。時代が下るどころか、最初の最初から若衆歌舞伎は売春集団だったの 鹿児島より熊本の方がシュッとしたイケメンの印象あるわ >>210
言ってること違わないんじゃない?
ただの売春集団だったのが時代が下ると
とうがたっても役者としてやってけるようになるか
売春夫のまま早々に終わるか
って話でしょ 野郎っぽいイケメンは確かに多いけど、九州男児ってクズばっかよね。 >>210
若衆歌舞伎の時代は若くないと体が売れないから舞台にも出られなくなる仕組みだったのが、野郎歌舞伎になったら大人も舞台に立って芸として成立するようになったということよね
幕末の名立役がご贔屓のお座敷で「俺は芸者じゃねえんだけど」とぼやいたと逸話が残ってるから、寝るのは当たり前ではなかったのよ 家系図を業者に頼むと、かなりな割合で天皇とか貴族の子孫になるらしいけど、
本当なのかしら 贅沢は言わないわ弓削の道鏡のちよっけいでありたかったわ >>182
似た話を、体験者から聞いたことあるわ
お祭りの本番の前の数日間?1週間かは村の鎮守社かの
集会場かどこかにこもるらしいの
その場所は祭り本番が過ぎるまで女人禁制で、その体験者
が若い頃そこで半裸?でいると、村の若い衆かおっさんか
が襲ってケツ掘るという話しだった
その祭り?かでは当たり前のようだって言ってたわ
掘った相手も何人かは知ってる人だけど、祭りが終わった
ら普通の村人になるんだって
だから、似てるなあと思いました
あたしが聞いたのは20年ぐらい前だけどその時で過去形ね
1970〜80年代の話で、だんだんとその村でもなくなって
いった慣習らしい
ちなみに九州北部出身の方が話してくれた 現代人からしたら不衛生は嫌だけどアフリカに生まれ変わるくらいなら江戸でいいわね >>220
けど事実だとしたら、日常生活が大変そうだわ 自殺する若者なんていなさそうな時代ね。
学校になじめなかったりいじめを苦に自殺しちゃう子にとっては
江戸時代のほうが遥かに生きやすい時代だわ。 さすがにそれはないわよ
エタヒニンなんて人間扱いされない階級もいたのよ 感染症などで早く死ぬ子供が多かっただけで大人がみな40代で死んだってことではないのよ ゲイが60歳そこそこで死ぬってのは江戸でも現代でも大して変わんなそうだわ >>145
>逞しい漁師たちが性欲解消のためにホモセックス三昧だなんてアガるわ〜。
自民党が土建の公共事業を壊滅させたから若いドカタなんかも全然いなくなってしまった。
毎春毎春、新しいがちむちマッチョの若い土方たちが就職してきて道路工事をしてたりする、そんなのこそがあるべき姿だったのに。 >>225
ごめんあそばせ
ひかる一平の子孫でございましたわ 「世継ぎの男子さえ、こさえてくれたら
男同士でまぐわおうが結構」って時代だったりして…
弘兼憲史(ひろかね けんし、1947年ー)のどの漫画か忘れたけど
江戸時代のハンサムな少年が、剣道の達人である師匠が
実は衆道であることを知り、恐怖におののくシーンがあったわね
弘兼さんは、マンガを描いた時の感覚で表現したんだろうけど
確か最後は、その少年が師匠を斬り殺したんじゃなかったかしら そもそも、男があぶれてた時代なのよ
実際に妻を持てた男が何パーだったかな?
昭和の誰も涸れも結婚した時代とは違うの 家を継ぐ長男だけが妻をもてて次男三男はブラブラしてたのよね
うまいこと養子にしてくれる子無し家があればいいけど、それもなく婿養子にもなれないとなるとあぶれオスとしてゲイ化したりしたのかしら 次男三男はさっさと家を出て、
城下町とかで働きはじめちゃうんじゃないの?
丁稚奉公っていうのかしら
町人になったら普通に結婚できるだろうし
相手がいるかは別として >>228
そうね
西洋文化が入りデカンショ思想でフヌケにされた あたし江戸に生まれていたら大奥にあがって釜の局として上様のご寵愛を受けるの 局って女官のことだから、春日局のように上様のお世話をするのでしょう?
下のお世話ではなくて 上様ってひ弱そうだから、
勃起させるの一苦労そうだわ アテシは忍びの者になりたかったわ 早乙女貢の「忍法陽炎帳」を愛読書にしてたわ 日本昔ばなしにあやめ塚というのがるからネエさんたちにお勧めするわ やだ、あてくしは深夜番組で「くノ一忍法帖」を見てたわ
みんな非業の死を遂げるけど、
あてくしもセックス奥義で殿方とバトルしたいわ 太川陽介さんの猿飛サスケが毛深くてエロかったわ
本人談だとふんどし履く時にちん毛がはみでていたそうよ ふんどしからチン毛がはみ出すのはマナー違反なのよ
江戸時代の男は風呂屋でムダ毛処理してたのよね 江戸時代なんて、暖房もない・断熱効果のある家屋なんて無い
毎晩あったかいお風呂に入れたわけじゃないし
今よりもずっと寒かったのに、みんな生き延びたのよね。
火鉢・囲炉裏・湯たんぽ(陶器製)・あんか(行火)
温石(熱した石を布で巻いたカイロのようなもの)
意外にも「こたつ」がもう普及していた
重ね着も効果があったのかしら
https://edo-g.com/blog/2016/02/heater.html 歌舞伎役者も粋な江戸っ子の役をやる時はガバッと裾を割ってふんどし丸出しで胡座かいたりするけど、股ぐらの毛どうしてんのかしらと思ってついガン見しちゃうわ >>255
だから長屋で火事が多かったんじゃない? >>255
たしかに江戸時代って今よりも寒冷だったのよね
小氷河期みたいな? 夏は楽だったと思うわ 町人は生活で必要だろうから文字読めただろうけど、
農民って文字読めたのかしら 外国から来た人が日本人の識字率に驚いたって話あるけど 寺子屋って基本的に「町」にあったんじゃないの?
習ってる子の大半が町人の子だったんじゃない? 先生になるのに資格なんか必要なかったから誰でも寺子屋開けたのよ
そして幕府がそれを推奨したから津々浦々にあったの 数学も流行ってたらしいわ
タイムスクープハンターでやってた >>270
タイムスクープハンター良かったわね。フンドシ衆の回は伝説だし
時代考証も徹底してやっただろうし。
江戸時代は、飛脚が盗賊に襲われて殺されるとか、普通だったみたいで
番組でも、遺体をモザイクにかけてるシーンあったわ 農民の子は寺子屋なんかに行かせてもらえないわよ。
常に畑の手伝いよ 少なくとも農民は暦が読めなきゃいけないから文字は習ってたわよ >>262
江戸時代じゃなくても私の子供の頃も今より過ごしやすかったわ 昭和には真夏でも30℃超えることが稀だったなんて今となっては信じがたいわねぇ でも、飢饉があったんでしょ。食えなくなるってのも、ちょっとね〜、考え物よ。 場所にもよるんじゃない?東北はたびたび厳しかったみたいだけど 神奈川だけど、
江戸時代後期に開墾?されたあたしの地域は、
郷土資料館に資料あったから見たけど、
餓死者がすごかったわ
明治に入っても状況は変わらず、って感じ
川が少なくて畑しかできない場所だから大変だったみたい 江戸時代の農家って忙しかったのかしらね
8時間労働で、週1くらい休めたのかしら
てか、みんな町人とか武士の話しばっかりだけど、
あたしたち、農民の子孫の可能性のほうが高いのよ >>280
神奈川なら横浜馬車道そばの歴史博物館おすすめよ
新宿四谷や王子の博物館も良かったわ 徳弘正也先生のもっこり半兵衛
下品だけど面白いわよ 姐さんたちそういうとこ行ってるのね
最近社寺巡りにも興味出てるわw >>281
農家なんて休みないでしょ
枯れたら終わりよ >>283
ターちゃんの人、こんな作品つくってたのね >>285
枯れてる冬は大してやることないんじゃないの? >>287
他にも色々準備とか藁を編んで売ったりとかやむてたんでしょ
とにかくお百姓さんなんてほぼその日暮らしだろうし悠長に休んでないわよ お百姓=その日暮らしで貧しいってイメージはどうかと思うわ
保存のきく食糧を蓄えてるでしょ 年貢を米で納める制度になったから米が安定的に実らない地域の農家は地獄だったのよね
それぞれに気候風土に即した作物で納めさせればよかったのにね >>289
あんた楽観的すぎよ
年によって出来不出来があるし食物育てるって大変なのよ 農家どころかどんな仕事も盆暮れ正月以外は休みなくずっと仕事よ >>291
楽観悲観じゃなくて貧乏ってイメージがおかしいのよ 歴史の授業じゃ農家が出てくるのは飢饉とか一揆とかの話だけだから生活苦しい貧しいというイメージになるのは致し方ないわ でもさ、太平洋戦争末期の、特に沖縄あたりで暮らすのと
平凡な江戸町民として暮らすのだったら後者を選ぶわあたし
さすがに江戸時代でも飢饉時代の貧農生まれとかだったら
(悪い意味で)甲乙つけがたい選択だけど、
飢饉期の江戸時代貧農より大戦末期沖縄のほうがまだマシなのかしら…?
令和の次の時代に下級国民として生まれるのと、戦後のまだ復興しきれてない頃の昭和生まれと、
どっちがマシになるのかってのも、気分が重たくなる選択になりそうだわ >>283
グロ描写好きよねあの人
ターちゃんしか見てないけど 今も昔も平均、多数派が一番だわね
旅行で行くのは最高だけど、
沖縄は、昔も今もずっと住みたくないわぁ
江戸時代の沖縄、琉球王国なんて、
極貧だったんじゃないかしら
けど極貧で昭和になってもずっと肉食えない環境だったから、
長寿県になった、って聞いたことあるわ 江戸時代で、1日2〜3時間くらい働いて、
あとはお琴と日舞のお稽古して、
お茶屋さんであんみつ食べて、
猫と遊んで暮らせる人生が送れるのって、
どの職業かしら ええとこのいとはんに生まれてええとこのお内儀にならなあきまへんな
自由なんかあらしまへんけど 町民ならカゲマとやり放題だったから今とあまり変わらないわよ
それより武将になって衆道しまくりの方が楽しそうだわ 武将や僧侶に寵愛された稚児たちも、成長したらネコ卒業なのよ
いい年して甘えん坊でネコのままの年増釜なんて、存在は認められなかったわよ
古代ギリシアも日本の戦国時代も、その点は一緒。
それは正確には同性愛ではなく少年愛(ペドフィリア)
ただ、日本の江戸時代には、稚児と念者のオーソドックスな男色関係がある一方で、
同年齢の若い武士どうしによる恋愛の果ての心中切腹事件もあった
これは今日でいう「同性愛」に近いものだったんじゃないかしらね
ただその場合も、葉隠や男色大鑑の記述からしてタチ・ネコの立場が固定されてたとは思えないわ
ある一定の年齢を過ぎても一方的な「女役」しかやらないのは、やっぱり軽蔑されたのよ
だから最低でも「ネコ寄りリバ」じゃないと江戸時代は通用しない ただ、「東海道中膝栗毛」の弥次さんが49歳、喜多さんが29歳、
まあそれは文学上の話だけど、
町人階級では、ひょっとしたらある程度年増のネコもいたのかしらね
喜多さんがネコ役固定だったのかどうかまでは詳しく知らないけど
>>304も、もちろん全部知ったかぶりよ、念のため 盲腸程度の病気でも死ぬのよね
恐ろしいわ
虫歯の治療も出来ない
歯磨きなんて、殺菌剤もフッ素もないんだから虫歯だらけよね
引っ張って抜くしかないの
拷問よ 武家階級に生まれたら、
後継ぎになって家を存続させなきゃいけないから、
武芸そっちのけでスパルタで勉強させられそうだわ
朝から晩まで勉強して、
藩内の同世代の子弟と熾烈な出世争いするのよ、きっと 平賀源内みたいな人生ってどうかしらと思って調べたら、
とんでもない人生ね
っていうか源内さんって、変わってるっていうより、
性格に難があったっぽいわね 江戸時代以前の百姓なんて陰湿ないじめなんてなかったんでしょ?
絶対江戸時代がいいわ。 そうね木に逆さまに吊るして放置したり
肥溜めに突き落としたりする程度のカラッとしたいじめよね 人殺したところで警察機能なんてないから
犯罪天国よね。 隣りの田んぼに水が行かないように夜こっそり水路を堰き止めて枯らしたりするぐらいには陰湿だったわよ こういう深夜に目が覚めて眠れない時もインターネットなんて無かったのよ
眠れるまでこんこんとネガティブな事ぐるぐる考えるしか無かったのよね
絶対嫌だわ、あたしは今ネットがあって本当に良かった ネットが無いにも関係するけどオナニーのおかずが乏しいのがやだわ
昼間見かけたイケメン飛脚のふんどし姿を目に焼き付けて、後でそれを思い出してシコるしかないのよね?
エロ画像も動画も無限にネットで拾える今が一番いいわ エロ漫画やエロ小説はあったわよ
想像力を駆使してシコるのも乙なもんよ あたしは現代の色々な発明品を持って江戸時代に行きたいわ
車やスマホなんかを持って行って魔法使いのふりして悪代官をやっつけたいわ
そしてイケメンの罪びとを救うの 江戸時代にスマホ持っていったって電波も電気もないんだから、ほぼ何もできなくない? ファンの歌舞伎役者の「役者絵」
遊郭のお気に入り遊女「美人画」が売れたんでしょ?
完璧に似てるならまだしも、ほぼ抽象画なのに
みんなまぁ良く買ってたわね
https://www.touken-world-ukiyoe.jp/ukiyoe-introduction/actor/ 江戸時代の町銭湯は、混浴ではあったけど
ロウソクがかなり高価で、頻繁に点けられないから
夜の早い時間だと、浴場は暗かったそうね。 電気ないと夜の暗さにはびっくりするわ
そりゃ寝るしかないわね >>327
西洋みたいに写実的なのが主流だったらどうなってただろうな
歴史上の武将さんたちのリアルな肖像画が見てみたかった クネクネしたオカマ100%でも
結婚させられたのかしら…… 歴史学部がある大学に行っていたんだけど、文学部って大抵女の比率高いでしょ。
自分語り長くなるから端折るけど、ゲイの私から見ると女の反応を意識して論文書く男が多かったのよ。
文学部のゼミとかで男の考察内容とかにいちいち反論する女が一定数いたからだろうけど。
歴史学部でも男の取材結果が気に入らなくて、特に性的な面でダメ出しするのが多かったと聞いていたわ。
>>221みたいな伝聞は◯落もん野郎のホラ話だとキレる女がいそうよ。
「男子厨房に入るべからず」は平成初期では体力勝負の仕事が多かった昔に女の価値を守るためのものだと聞いていたのに
平成が終わる頃には女性差別があった証として挙げられるようになったのがいい例じゃないかしら。
某地獄研究者による男性同性愛者は地獄に落ちたらケツアナに鉄の液体に注がれるという考察も女受けを意識していたんだろうし。
日本におけるwokeの動向によっては更に成人同士の同性愛性行為の風習の歴史は埋もれたり女受けがいいように変えられていくかもね。
結局長くなったわ。ごめんなさい。 >>332
歴史なんて、後世の都合よいように
書き換えられちゃうってわけね 現代ですら公文書書き換えた人間が支持されて国葬までされちゃうからね 「日本は古来から、特に江戸時代は
全ての階層で同性愛が普及していた」と
ガセネタ言いふらせばいいわね! 古代ギリシャや古代ローマもあったわ
全てはキリストのせいよ! 古代ギリシャとキリスト教は関係ないわ
「日本では古来から、男子は成人する前に、
男女の交わりの方法を、同郷の先輩男子から、
二人きりで手ほどきを受ける慣習があった」
みたいな、ありそななさそなことを言いふらせばいいのよ 旧約聖書では創造神ヤハウェは、「男と女が結ばれるべきだ」と命令している。 東海道沿いは道が整っていたんだろうけど夜山道は危険よね
江戸ですら野良犬がウロウロしてたらしいわ 昔は情報通信どうしてたのかしら?
例えば能登半島で大地震あっても、江戸の町民に知れるのは風の便りで3ヶ月先とか? >>325
あたしも同じような事妄想したことあるけど
身元もわからない、タイムスリップしてきたと意味不明な供述
怪しまれて殺されるんじゃないかしら お茶飲みたくても湯を沸かすだけで大変な作業よね
それに江戸の庶民はお茶じゃなくて白湯飲んでたのよね
やっぱりあたしは今の時代がいいわ >>348
ドラマとかアニメでよくあるパターンよね
タイムスリップして「もうすぐ○○が起きる!」って叫んでも、
誰も聞き入れないで結局最悪の事態になるって 男の子に中出しする祭りがあったのって江戸まで?昭和にもあった? 江戸時代の「位の高い町人の」お見合い
(庶民は自由恋愛で結婚してた)
互いの性格や家柄を知り尽くした仲人がセッティングして
男女は、相手の姿だけを見て会話もしないで
結婚の最終決断をした、って言われてるわね
一説では、家柄に加え、見た目の良しあし好み以上に
合う相手か「直感で」決めてたとも言われているわ
今よりも生活での情報量がないから、当時の人達は直感が研ぎ澄まされていたのかしら
何だかスピリチュアルだわね。 てか大商人の家で一人娘とかの場合って、
お婿さんはやっぱり大商人の家の有能な息子か、
さもなきゃ旗本の次男・三男坊とかになると思うから、
娘には何の権限もなかったんじゃないかしら
嫁ぐ場合も政略結婚的に大商人やら旗本の家系の男子だろうから、
やっぱり娘に権限なかったと思うワ
婿入りする男子、お嫁にもらう男子にも権限なさそうだけど >>354
今でも北新宿の一区画でそういうお祭りがあるワ 小学生の頃時代劇の武士の真似して長い猫じゃらしをズボンの横に帯刀するようにして歩いていたら見知らぬ猫が後ろから全力で追いかけてきて必死に逃げたわ >>350
昔は大きな壺みたいなのに水汲んできてそれを飲料水にも使っていたのよね 江戸時代の北関東ってきっと寒かったでしょうね。頭の毛が薄くて寒さに弱いホマ子は長生きできなかったんじゃないかしら? >>281
8時間労働なんて甘いわ
農家って早朝から働かないといけないし、作った作物は年貢で取られるし、天災でダメになるし、生きてくために蚕なり副業もやらなきゃいけないし、冬は出稼ぎよ 江戸は職人や町人も早朝から働いてたわよ
お店だって6時くらいから開いてたのよ
夜が早いから当然よね 夜10時を過ぎると町ごとの木戸が閉まっちゃうのよね
出入りが管理されるから夜陰に紛れてハッテンするのも一苦労よ それで1日2食なのよ
1日の運動量がとんでもないの ほぼ年中無休状態で働かなきゃいけないなんて、あたしには耐えられそうもないわ 農民は、たしかに朝は早いけど
毎日昼過ぎにはやること終わってノンビリしてた、って聞いたことあるけど
米が豊作になりやすい地域の話だったのかしら?
和歌山(紀伊藩)は、地形は山が殆どだから米が採れずに
年貢取られると何もなくなって貧しいから
海産物を捕りにいく技術が発達したのよね。鯨やイルカを捕ったりして。 米に適さない地は皆そうよ
タバコの栽培したりろうそく作ったりして副業で食ってたのよ あれよね
1990年代なんて教科書的にはバブル崩壊で大企業が倒産して大量解雇者が出て、
っていう悲劇の時代だけど、
当時10〜20代だったあたくしは普通に過ごしてたのよね
江戸時代も、実際当時に戻って農家に話聞かないと分からないわね
モグタンさがしてこなきゃ こんにちは良い子の皆さん オカマ由美です!
モグタンでーす! お釜ユミになってモグタン使って江戸時代に戻ったとして、
言葉通じるのかしら
今ふと思ったわ
平安時代あたりとかだともう通じなさそうだわ 江戸市中の町人や近隣の農民なら通じるでしょ
歌舞伎の世話物なんかは翻訳なくても余裕で理解できるわ モグタン懐かしすぎるわ
今、こういうアニメないわよね
子供たちは何を見て学ぶのかしら 岡まゆみお姉さん大好きだったのに裸になっていると知ってショックだったわ 江戸時代にはおやつの種類も少なかったわよね?
プリンとじゃがりこの無い生活なんて耐えられないわ 団子、大福、羊羹、きんつば、かりんとう、カステラ
庶民も楽しめるおやつはいろいろあったと思うけど
チョコレートがないとあたしゃ無理だわ チョコは80歳ぐらいの人が大人になって若い頃初めて食べてあまりの美味しさに衝撃を受けたと言ってたわ 1797年(寛政9年) 長崎の遊女が、オランダの商人から
“しょくらあと(チョコ)”を貰い請ける
https://www.meiji.co.jp/hello-chocolate/basic/03.html
江戸時代が終わったのが1868年だし、国内生産は明治に入ってからだから
長崎の一部の金持ちとパン子しか食べられなかったのね。 今の時代からタイムスリップして江戸時代で暮らすのではなくて、江戸時代に生まれたらって事でしょ?
チョコもじゃがりこもない、知らない、存在しない世界なんだから、なくて困ったりはしないはずよ。 毛唐相手に股を開いた娼婦達って度胸あるわよね
初めてがオランダ人とかだったらガバガバね 遊女でその後オランダチンコに見初められてオランダに渡った日本マンコとかいるのかしら 向こうで妻子持ちがオナホ感覚で現地妻にするんだから連れて行かないでしょ
連れて行かれたらあっちでも更なる毛唐達に輪姦されそうね 確かオイランっていう映画だけど江戸時代っぽい時代背景で毛唐が花魁とえっちする無修正映画があったのだけど多分日本用でなぜかボカシが入っていて残念だったわ 前レスにもあったけど
田舎の農村で農作業だけやってて、都会の娯楽や馳走の情報もないから
普段の生活を不満に思うという思考すらないのよね。
年1〜2の村祭りが、生活最大の愉しみだったのかしらね。 だから白いまんまたんと食わしてやるって言われて喜んでついて行ったら男に体を売る商売
それでも慣れれば本当に白い飯食えるんだろうしそれで満足している娘もいたかもね 農家の次男三男とか娘は、町の商家に奉公に出るのが普通だったみたいね
娘が水商売ってのは、今も昔も親がダメだからそうなるのかしら
借金のカタに娘をとられるって、ドリフのコントの鉄板よね >>377
カステラなんて庶民が食えるわけないでしょ。 金平糖ひと粒とお城が同じ価値だった頃もあったのよね 裕福な家の商家が没落していい暮らしをしていた年頃の娘が売られるってこともあったらしいわね
そういう子と田舎でひもじく育った子じゃ話も合わないだろうね 刀みたいな物騒なもんブラブラぶら下げてたとか恐ろしくて仕方ないわ
野良犬や猫は殺されまくってたんだろうな >>391
幕末にはカステラも庶民のおやつだったわよ >>392
砂糖が高価だったのは江戸時代も前半の方ね
暴れん坊将軍が砂糖の国内生産を奨励したので庶民も入手しやすくなったのよ あてくしの家は越後のちりめん問屋だったから贅沢できたわ そんな、山吹色って言われても、
今すぐひねり出すのは大変でございましゅ 天保の大飢饉のときは米がないから江戸市中ではカステラやどら焼きが高騰していたにもかかわらずよく売れたのよ
まさにパンがないならケーキを食べれば状態ね 蕎麦もボソボソだったろうね
今と変わらず美味しかったものって
魚とか? 江戸じゃないけど大根飯に憧れたわ
美味しそうに感じだけど、小林綾子さんによると実際あれには毎回違う味がついていて美味しかったらしいわ 江戸東京博物館に江戸時代のお寿司の模型あったわ
かなり大きかったわ 小学校高学年とか中学生くらいの子達が都会に連れてこられて、いきなりおっさん達に毎晩やられるってどんな気分なのかしらね
歌舞伎もそんな感じで男の子が連れてこられてケツ使わされるのよね >>418
そんなことしてたのは若衆歌舞伎が禁止されるまでの20年ぐらいのことなんだけどね けどその時代時代の歌舞伎のスターみたいな人って、
小さい頃から舞台に立ってたんでしょ? 小さい頃みんなが男色されてたわけじゃないわよ
女形の可愛い子は修行と称して掘られたけどね いきなりやられるんじゃなくて事前に指導説明する使用人がいたのよ
ケツの洗い方まで教えてたらしいわ ご贔屓の太客に掘ってほしいと頼まれる役者もいたでしょうね っていうか掘る側の大人が、
元々掘られ役だったと思うから、
その人からいろいろ教わるんじゃないかしら
そのあたりは今と違いそうだわ
50歳のあてくしはずっとこの方バリネコだけど >>424
5・50のオヤジさんのケツマンコ、熟れてほぐされたケツマンコ、ハアハア 武士「何ぃ、ゲイだとぉ?切り捨て御免っ!」
ゲイ「ギャーッ」 池袋の駅そばに辻斬りの慰霊碑あるのよね
鈴ヶ森刑場跡も行ってみたいわ (2つ足である)鶏肉や鶏卵は食べてたかもしれないけど
魚も、内陸や山地では食べてなかっただろうし
あとは穀物野菜大豆だけの食事
みんなゲッソリしてて、死ぬのは早かっただろうけど
頭や気分はスッキリしてたのかもね! ウサギは「(鳥とみなして)1羽」
イノシシは「牡丹肉」
シカは「もみじ肉」
みたいに名前つけて、
4つ足動物であることを表向き避けたうえで食べてたのよ 白砂糖・小麦粉フード・アルコールも
全くといいほど食べてなかったのも
気分的なメリットはあったはずよ。 甘づらをかけてかき氷を食べてたのは平安時代からだったかす? その分食中毒とか食あたりなんかはひどかったでしょうね 江戸時代なら漢方医もいたでしょうけど、コロリとか肺病には無力だったし 江戸時代のお酒は薄かったって聞いたことあるわ
日本酒もいいとこアルコール5%くらいとか 徳川19代目がいるけどまさに狸親父って感じで家康もあんな風だったんだろうな
側室になりたいわw 家広さんに似てる議員がいた気がするけど誰だったか思い出せないわ 家広さん似のお笑い芸人がいた気がするんだけど、誰かしら 性処理がタダでできたらなんでもよかったんじゃね
江戸・大坂は男性人口が女性人口の倍近くいたから
お金ない庶民派男性は鶏姦淫よね っていうか寒かったからそんなに性欲もわかなかったんじゃないの? 冬が寒いわよね
家の作りも風通しを重視して防寒は考えてないし 小氷期だったからね
暖かい太平洋岸でも大雪が降ったのよ 冬でも薪割りばかりしてたし、女性は洗濯も炊事もしてたから
運動量が多いし筋肉質だったろうから、体感的には寒くなかったのかもね
平成初期までは、極寒の中でも
男児は半ズボンで外で遊んでたでしょ?
真冬でも半袖一枚の子も居たわよ?(学年に1人!) でも昔はそれで鼻水垂らしてる子も多かったから、やっぱ身体にはよくなかったと思うわ 昔は青っぱな垂らしてる子がたくさんいたわね
風邪をちゃんと治療せず慢性副鼻腔炎になるケースが多かったのね あたしんちクーラーなかったわよ。
扇風機だけで過ごせたもの、昭和50年代。 江戸時代、お金持ちは氷でクーラー代わりとかしてたのかしら >>463
清流がたくさんあって、水浴びする水温も低かったはずよ
町だと井戸水も冷たかったはず。 たしか水って、とくに江戸はやばかったんじゃなかったかしら
病原菌とか
そこらへんは経験則的にいろいろ対策がとられてたんじゃないの? 昭和30年ぐらいまでは、都市部でもそうだったんだろうけど
建物が少ない・低い、田んぼが多い、樹木の陰が多い、空調や車の排熱もない
アスファルトが少ない、家屋では窓や扉を開けたままで風が吹き抜けるから
暑いといっても、何とかなる暑さだったはずだし
江戸時代は、更にもっとそうだったわよね。 江戸時代は布が高級だったからレンタルもあったのよ
一応洗ってあるものらしいけどね ふんどしってレンタルされてたのよね
汚れたのは返して洗ってあるのをまた借りるのよ レンタルしていても毎日替えていたの?
くっせーふんどしの匂い嗅ぎたいわ >>137
あなた、この番組見て書き込んだのかしら?
穴場スポット!全国各地の江戸時代の建物12棟が
大阪に。当時の暮らしを体感できる「日本民家集落博物館」を徹底調査
https://www.youtube.com/watch?v=wbWqZ51viI0 江戸見聞録チャンネル
「江戸時代の暮らしと文化を身近なものに」をテーマに
動画を制作
https://www.youtube.com/@Edo-Kenbunroku 江戸時代以前の庄屋さんとか地元のお偉いさんに生まれたかったわ。
年貢おさめられない村からは15歳〜25歳までの
健康な青年を生贄に捧げるのよ。 >>476
貴女は庄屋さんやお偉いさんじゃなく生贄を喰らいにくる化け物のほうよね >>474
行ったことあるから分かるけど
日陰の角度からして、お昼過ぎに撮影してるわね
やっぱり平日だと昼間でもガラガラなのかしら
人が居ない方が江戸時代感楽しめるわよね >>476
みたいな道徳観念の無いヒトモドキは日本から出て行ってほしいわ
性暴力とか容認してる感じがものすごく気持ち悪いの🤮 昔のヨーロッパでは領主がまず花嫁を味見したそうね
どうしてなのかしら?
私権力を持っても無理やり性的なことはしないでとてもいい地主になると思うわ 権力をもつと無意味な決まりを作って下々に力を誇示したくなるバカが一定数いるということよね
中小企業の経営者に多いタイプ 江戸時代の町人が好きなの。まげ結って着物・褌みたいな。
そんな格好の男がいる某場所でハッテンアプリ噛ましてみての。バイトしませんか?って。
もう興奮したなんてものじゃなかったわ。フンゴシノヨコ 現代の便所釜や場末サウナ釜たちのように、
蚤虱馬の尿するようなところでも発展したりしていたのかしらねえ…
江戸時代の便所釜とかまぢ壮絶そうよねえ。 褌って下着というより仕事着として身をつけていたのよね。 じゃ家でくつろいでる時はブーラブラさせてたのかしら? >>490
ちょっと町から外れたら人なん誰もいないような林や森があったから
そこでやってたのよ。しかも夜は真っ暗よ。 新月の夜なんか真っ暗すぎて相手が入れ替わってたりすぐ横に死体が転がってたりしても気づかなかったのよね 蔭間茶屋が集まってたのも上野よね
多くは店舗型じゃなくデリヘル方式だったから
その頃から金をかけずに不忍池でやる手合いが多かったのねきっと いまの不忍池はそんなことできる場所ないわね
人通り多いし >>492
正しく言えば六尺褌が仕事用で越中がオフ用よね。レンタルは六尺褌が殆どだし、オフィススーツレンタルみたいなものだったの。
布が高いから、3尺で済みしかも楽だったからオフ用に丁度よくて江戸時代に流行ったらしいわ。 >>498
弁財天堂のそばに怪しげな茂みがあるわよ 越中は肉体労働しない文化人や豪商に愛用されたのよね
ホールド力は弱いけど着けるの簡単で楽なのがいいわね 小川の水や、やや土が混じった井戸水だったけど
水道代は完全無料だったのよね。飲み水は煮沸消毒しただろうし。 日本昔話は何時代の設定なのかしら
おじいさんは前期高齢者ぐらい? 昔話は元になった伝承があったり今昔物語集みたいにまとめられてたりするから時代はまちまちだと思うわ
武士や文官の服装を見ると室町や鎌倉の話が多い印象はあるわね 一休さんは書かれたのは元禄時代だけど実在したのは室町時代だったんだっけ
新右衛門さんって室町幕府に仕官していたのね そもそも江戸時代におじいさんとおばあさんだけの、
老人世帯が存在してたのか疑問だわ
あったとしてもレアなんじゃないかしら >>504
よく瓶からそのまま飲んでるわよね
それも柄杓みたいなのに直接口つけて
普段は沸かして飲んでるんでしょうけど、生で口つけて飲んだら雑菌が繁殖しそうだしヤバいわ よくある事例なら集団就職とか高度経済成長とかの時代まで待たなきゃね
レアな環境だからレアなことが起きたわけだし >>509
ガンジス河の水じゃあるまいし
せいぜいピロリ菌程度じゃないの 大腸菌=即悪ではないのよ
病原大腸菌でない大腸菌は人間のいるとこどこにでもいるのよ >>514
大腸菌はどれくらい含まれているかなのよ
多量はヤバいわ
でもそれが慣習になっていたら病気で死んでもそれはそれよね
私水道局だけど微量ならいいけどそれでもやっぱり沸かした方がいいと言うわ
昔の人は免疫があったかもだけどね 種類としては無害な大腸菌がほとんどよ
量の多寡じゃないわ
水道局の人にしちゃ乱暴な知識ね やだばれちゃった?
使わなくなった水道局施設の廃墟でホームレスしてるの
てへっ 水道局の方から来た人がよく浄水器売ってたわ
消防署の方から来た人は消火器売りに来てたし 山だらけのおかげで古来から水が豊かなのが日本のいいところよね
糞尿を肥料にするシステムも早くから発達していたから綺麗な水が供給できたのよね
工業用水や汚水を垂れ流すようになった近代の方が恐ろしいわ 江戸時代って添加物とか人工的な化学物質食べてなかったでしょ?
糞尿のニオイって現代人と違うのかしら
同じように牛とか馬も天然のもの食べてたわよね
ニオイが現代と違うのかしら ニンニクや玉ねぎなんかもまだ食べてないし、臭くなる食べ物ってせいぜいニラぐらい?
人間のうんちもウサギの糞みたいなもんだったのかしらね 善人長屋(5)「犀の子守歌」
NHKプラス
6:53まで
一応、陰間茶屋ネタ
殿様の小姓が陰間入りとか無理あるし
肝心の役者の見た目が・・・ 薩長って明治天皇を担いでクーデターしたのよね?
会津やアタシの地元の琉球や奄美は、薩長に虐げられたから今でも苦手よ
廃仏毀釈をやったのも許せないわ!
アタシが江戸時代にタイムスリップ出来たら、欧米列強の力を借りて薩長をめちゃくちゃにして割譲させるわ また今夜もこんな変な時間に目覚めてしまったわ
寂しい、せめて5chがあって良かったわ
江戸時代だったらあたし寂しさでとっくに死んでるわ >>526
見たわ一捻り加えててよい話だったわね
お殿様の牢獄を自分にも課すためにといってたから陰間落ちもまぁ無理筋ではないわよ
溝端淳平はすっかりNHKのお気に入りね 神仏分離に伴う廃仏毀釈は失策だったわね。
祖母の故郷にはそれで頭砕かれた仏像が残っているわ。
それが無ければ日本の良さ残る所がもっと多かった気はするわ。 神社に置かれた仏を無くしただけ
仏はお寺にだけあるのが正しいの
きつねやら蛇やら
あいつらご利益ありそうな物ならなんでも取り入れるから っていうか、寺に不満持ってる人たちが破壊したのよね
坊さんってその地区のお偉いさんだから、逆らえないのよね
それいいことに好き勝手やってた坊さんの寺は、
廃仏毀釈の名のもとに、地域住民に徹底的に破壊されたのよ あの印籠欲しかったわ
小学生だったから何で皆あのもんどころでハハーっとするのか不思議だったわ 春画見て思ったんだけど、
掘ってる殿方っていわゆるノンケじゃないかしら
今でいったら女装とかニューハーフとかが好きなノンケ
春画の掘られ役ってたいてい男か女か分かんない人よね
>>540は、掘られてる相手が男って分かるから、
お釜かバイって感じだろうけど
書いてある文字、どなたか現代語訳してちょうだい
あてくしにはミミズがのたうち回ってるようにしか見えないわ >>540の真ん中のは
若衆のケツに山椒の粉を塗って痒がってるとこに
唾を垂らした魔羅を突き込む
などと書いてあるわね なんが受け口っぽいし、アイライン修正で書いてない? >>539
>>540
みんな割とガチムチね
540の最初のウケの坊主かわいいわ >>546
これって誰かのおじいちゃんだっけ?
修正してるし、他の表情見たらそうでもないとおもうわ >>541
南方熊楠がダントツイケメンだと思うわ
でも慶応三年生まれだから江戸時代の人というのはやや苦しいわね ケイキ様はイケメンの扱いなのね
この人、日本を救った陰の功労者って誰も気付いてないのよね ロシア兵が日本兵にケツ掘られるのは見たことがあるわ ああそうね 日露戦争のあとだもんね(?違ってる?) 昔の人って寂しさをどう紛らわせてたのかしら
こんな時間に目が覚めて眠れない人も結構居たと思うんだけどみんなひたすらモンモンと朝を待つしか無かったのよねきっと
あたしだったら耐えられないわ >>564
常に人に囲まれる生活送ってるから、
寂しいっていう感覚がなかったんじゃないかしら
目が覚めてもすぐ横に誰かねてただろうし >>564
昼間が忙しかったから夜なんてすぐ寝ちゃったんじゃない? 寂しいという気持ちは現代の文明人特有なのかもね
現代でもアフリカ人に鬱は少ないというように 江戸市中はひとり者の男が多かったとはいえ長屋なんかすぐ壁越しにお隣さんと話ができたぐらいだものね
ご近所同士の心理的な距離もずっと近かったと思うわ お鍋の貸し借りやおかまの貸し借りなんか日常茶飯事だったでしょうね 向こう三軒両隣ってのは江戸時代に言い習わされたのよね
ちょっと出かける時なんかも声をかけ合って生存確認を欠かさなかったのよ 性に関するモラルが今とは違うから割と簡単にセックスできたでしょうしね (お隣さんへ声をかけに)
「おっ、ちょっくら出かけかてくらぁ」
「おぅさ、気をつけてな」
「その前にケツ貸してくんな 行きがけに腰軽くしたくてよ」
「おう、使っていきな、ほらよ」
「いつもわりいな」
「水臭いこと言うな 俺とお前の仲じゃねえか」 今みたいに、過剰な糖分や添加物やブルーライトに
脳や健康が犯されてはないとはいえ、
当時は、国民みんな栄養素が足りてなかったから
脳が・・・な人間も、あちこちにザラにいるもんだから
上記の人間にも寛容だった気がするわ。だってザラなんだもの。 >>398
奄美とかにサトウキビの無理な年貢を要求して地獄だったみたいね >>577
当時は人権なんて発想ないから
アレな子は事故を装って早めにシメられたりお金持ちだと座敷牢に閉じ込めたまま育てたりして
それなりに社会に迷惑をかけないように対処してたのよ 昔は鍵も無かっただろし
留守してら勝手に入られちゃうね 田舎のあまりお金のない家庭の子は学校にも通わせてもらえずに4歳くらいから農作業の手伝いさせられて、
ある程度の年齢になったら親が決めた万個と結婚させられるのよ。 >>582
学校というか、地元のお寺や神社で読み書きやそろばんとかを教えてくれる場所は
あったんじゃないのかしら。 学校なんてあったの?
寺子屋なら村にもあったでしょうけど 寺子屋は読み書きやそろばんが多少できる人なら誰でも開くことができたのよ
公的な機関の学校や学問所ではないわ ( ^^ω)江戸時代の身分制は普通に思われてるほど固定的ではなかったホマよ
( ^^ω)特に後期になるほど社会経済の流動化が進んだホマからして 平和な時代は半士半農なんてザラだったし
町人が金払って武士の身分を買うなんてこともザラだったのよね >>588
さすが300年生きてる人の言うことは違うわねw >>580
平民はどうやって金を保管してたのかしら? >>591
甕や壺に入れて床下に隠すの見聞きしたことない? 鍵のかかる押入れ箪笥みたいなものは庶民にも流通してたわよ 時代劇でそういうの見たことあるわ
すぐ見つかっちゃうわね 大事な物は油紙で包んで台所の糠床や味噌樽の中に隠すのよ >>596
肝心のお宝が小さいからスペースは十分にありそうね 財布は紐付けて首から下げておくのが安全よね
と思うけどだいたい懐に入れとくだけなのよね不用心だわ ふところ
大体着物の合わせの部分に財布やら入れておくのよね
落とさないのかしらといつも思うわ ふところとはいうけどもっと下の帯の締まってるとこに差し込むのよね
腹巻きしてれば腹巻きに挟むので、それなりに安定してはいるわ お煎餅っていつごろから庶民も食べるようになったのかしら おせんべいとして一般的になったのは明治時代ね
古くからある煎餅とは別物 緑茶も、古来から国民がみんな飲んでたイメージあるけど
江戸時代までは、飲めたのは大名貴族豪商クラスだけで
明治になって一般市民(でも金持ちだけ)
戦後になって、やっと庶民も飲めるようになったのよね 葉っぱは同じお茶の葉だけど
江戸の庶民は抹茶でも煎茶でもない
簡単に煮出しただけのものを飲んでた記録があるわ 江戸時代に蒸す製法が誕生して緑茶になるまでは茶色だったのよね >>407-408
腐れ汚マンコ、かあるいは底辺汚ホモってすぐにお下劣な下ネタに走るわよね・・・気持ち悪いわぁ🤮 >>599-600も!
汚言症みたいな感じよね、もはや。
前世は糞なのかしら? >>617
番茶は低級品といっても煎茶と同じ製法だからそれなりの値段したわ
もっと簡単に湯がいて乾かしただけの安い茶葉を使ってたのよ 知覧とか萩なんかの武家屋敷行った時、
イヤラシイこと想像しながら部屋の中見回してたわ〜 江戸東京たてもの園で豪商の立派な土蔵内部に入った時は
敷き詰められた赤い毛氈とぶっ太い梁や柱に「お仕置き部屋だわ!」と興奮したわ みんなの心の叫びは一致して(「あ〜〜〜れ〜〜〜〜」)だったのね ムッチリしたイケメンを麻縄で緊縛して座敷や土蔵に放置するのが和建築の醍醐味よ 南蛮趣味の和洋折衷型の座敷のほうがエロスを感じるわ 〜じゃのう、という語尾で話す老人は何時代のどの地域にいたの
現代でもどこかにいるの? >>626
細川非自民連立政権の時に細川総理がよく、揉めてた案件の決断する発表会見が深夜によくあって、連立組んでた社会党の村山富市委員長が、「よくよく夜中に騒ぐ男じゃのおぉ〜」って言ってたわね
村山の爺さん、確か大分出身 >>626
今でもおじいさん役とか〜じゃとかいうけどそんな人聞いたことないわよね
広島とか岡山あたりでは、じゃ、とかじゃのうっていうからもしかしたら爺さんキャラは桃太郎が機嫌なのかしら 来月で100歳よ
ひいお爺様あたりが江戸時代の生まれかしらね。 >>632
ひいまでいかないでしょ
明治大正が短かったから 生きてれば111歳になるうちの祖父が大正元年生まれだったわ 徳川慶喜の孫がつい5〜6年前まで生きてたんだものねえ
江戸って意外と遠くなかったんだわ 梅毒はあっという間に南米からヨーロッパ経由でニホンに来たのよね >>635
徳川家って、御三家以外に、
徳川慶喜家ってのもあるのね
勉強になるわぁ あたしも梅になったから人のこと言えないわねぇ
抗生物質があって良かったわ 江戸の町民からしたら
徳川宗家なんて、現実味なかったわよね
迂闊に近寄ったら、無礼討ちされそう >>645
峰子先生だし、しかも肉体の門だから昭和だし 江戸時代の写真って基本的に写真館へ出向いて撮影するんだろうけど
町娘が町の中でおっぱい出してる写真見たことあるから、一応は出張カメラマンは居たわけよね
野郎の全裸写真はどこに隠してるのやら世に1枚も出てこないのが悔しいわ >>650
そうよ!
キャンディキャンディサクマのココキャンディ!! >>646
維新後に無爵だったけれど徳川宗家から独立して徳川慶喜家を創設して爵位を得たのよ ケイキ様って公爵じゃないの?
家督譲った後自身の家を興したんでしょ、たぶん
てか、ケイキ様、絶倫系よね、きっと >>653
家督を譲る前に独立して爵位をもらってるわよ 宗家のままでは爵位が貰えないから
自分が獲って子孫に残したかったのよね 慶喜公は自転車乗り回して美人に見とれて激突したのよね >>656
わたしきれいな顔の子供だったから江戸時代に生きていたらきっと歌舞伎小屋に売られていたわ
うちは割と裕福だったけど、ミーハーな家族だから平気で売り渡しそう なぜそのレスを>>656にしようと思ったのかしら気の毒に あそっか、
爵位は個人に授けられるけど、家系?に引き継がれるから、
慶喜は宗家に面倒見てもらってたけど、
形式的に新しく家を興したのね
爵位は一家系に一つ、みたいな感じなのね
勉強になったわ
ありがとう、お釜モグタン達 50年後に核戦争が起こって人類が滅亡したんだけど、
東南アジアの首長族だけ生き残って繁栄したのよ
ジョンタイターがそう言ってた 輪っかを嵌めていって長くするのよね
あの輪っかはずしたら自力では支えられなくて首が折れるらしいわ 首が折れるのはデマよ
実際に外して生活した例が複数あるけど折れた人はいないのよ ググると輪っかを外した画像出てくるけど
首が長いと確かに不思議と美人なように見えるもんだわね クルクルバビンチョパペッピポ
ヒヤヒヤドキッチョのモーグタン!
改めて見ると
どういう意味かわけわかんないわ 江戸時代に生まれたくはないけど一時的にタイムスリップして町人同士のゲイSEXを体験してみたいとは思うわ
実際どういう手順でどんな風にまぐわっていたのか本当のことを知りたいわ ゲイが差別されるっていうより、
男とやる=女とできない、みたいな感じで、見下されそうだわ
差別よりもっと厄介な感じ
農家の長男と、次男三男にすごい差があるのと似た感じの見下され方 若衆とやるのは文化人のたしなみだったのが、だんだんと庶民にも広がったのよ
野郎同士でやるとなるとまた違ったのかもしれないけどね 同性愛は基本的に武士や町人や文化人のいた「町」の文化だろうけど
町と農村にどれだけ距離があったかよね
今みたいに町に行って用事済ませて帰ってきてが数時間できなかった時代、
町と農村にどれだけ文化とか価値観に距離があったかってところが重要よね 江戸の人はよく歩いたから、たとえば多摩から江戸なんてのは頻繁に農民が往復してたのよね
そもそも江戸という都市自体が今の東京23区よりずっと小さかったわけだし、周りはすぐ村だらけだしね つまり江戸から絵草紙や黄表紙本を買って帰るなんてのはざらにあったことだと思うのよ
近郊の村なら文化度も高かったのではないかしら 蔭間の発祥の地は上方よ
大坂の文化的発展も看過できないわ 農家の人が個人の遊びで江戸に行くなんてほぼ無理でしょ
農作物や藁でつくった商品を売りに行った帰りとか、年に何回か青年団でまとまって遊びに行くとかそんなのかしらね
その時に男色できるのかしら?
あとは性に目覚めたくらいの少年たちで大人に隠れて抜きあいするとかあるかもね
親のまぐわいを見ていただろうから真似してみたいわよ 作物や商品を売りに行くなら月1〜季節ごとぐらいには上京したんでしょうから、ここぞとばかりにはっちゃけたとしても不思議はないわね 町は女が不足することないから逆と思うわ
男は家を継ぐ必要があって長男は親元から離れられなくて、女は町のお金持ちへ嫁いでくというか売られるのが普通の時代よ
残ってるのが男ばかりの村のが圧倒的に多かったし、女過疎に陥った村のが同性愛に走りやすいはずなのよ理屈上は
寿命は平均50前後だから、全然ちんちん元気な独身男が行き遅れとしてごろごろ放置されてたのよ
だから裸祭りだのちんぽこ祭りだのが残ってるんでしょう >>681
江戸は地方から来た労働者だらけだから常に女が不足していたのよ
庶民文化が花開いた1700年代で4:1の割合、市民が定着して女が増えた幕末期で3:2ぐらいで男が多いわよ 街に行っても土臭い男じゃモテなかったかしらね
金も持っていないだろうし
でも男同士なら金もかからないかもしれないし、ホモに捨てるところはないっていうから江戸で遊んだ農家の独り身もいたのかしら モテない男は家畜で用を足していたみたいだし、ホモがフェラするって言ったら喜んでさせるかしらね あら、今は女のほうが多いのね
どうしてこういう違いが生まれるのかしら
不思議ね 女の方がちょこっと多いもんなのよね文化人類学的にいうと 文化人類学的にもし女が常に多い、ってことなら、
もしかしたら江戸時代とかそれ以前は、女は役に立たないから、とか
初めての子が女だと縁起が良くないから、とか
そんな理由で生まれてすぐ殺されたりしてたのかしら >>688
江戸に女が少ないってのは、日本全体でなく江戸市中の話よ 地方労働者ならなおさら結婚は望んでないし複数の男が1人の女体を共有できるんだから女が少なくても問題ないわ
村は子どもとお歯黒しか居ないから女居てもやれないのよ「お前の嫁貸してくれ頼む先っちょだけ」とか出来ないもの なるほどね
だから私たちがタイムスリップしてご奉仕する必要があるわけよ しゃぶらせてって申し出たら簡単にやらせてくれそうよね >>691
なんで年頃の娘はいないことになってんの
夜這いの風習はどこいったのよ >>693
江戸っ子はそういう卑屈なのは嫌いよ
「面倒言わずにオイラの口かケツ使って一発抜いていきなっ」
こう来なくちゃ 昔の日本は同性愛にも寛容だったってよく聞くわね
案外みんな普通にホモセックスしてたんじゃないかしら?
今みたいに娯楽もない時代だったし >>698
竹宮恵子みたいなバカ腐マンコもそうだけど、
ワレメって「ホモセックス」()って言葉好きねえ >>694
江戸時代は12〜14歳ぐらいで嫁ぐのよ
18ぐらいでも行き遅れとしてそのまま尼さんになる人が多いわ
性的に色気が出るような年頃の娘はとっくに既婚者だし、夜這いは近親やロリの専売特許なのよ >>681
> だから裸祭りだのちんぽこ祭りだのが残ってるんでしょう
大っぴらにホモセックスできるのが祭りなのね。 キリスト教が入ってきたせいで同性愛が迫害されたのよね >>681
愛知県の田県神社のチンポコ祭りももうすぐ開催よ 女のいない男だらけの村では裸祭りを性欲のはけ口にしてたのね。 >>701
極端すぎよあんた
そんな初潮も来ない年で嫁いでんのは上級国民の皆さんばかりよ
16〜18才の独身娘は当たり前にいたわ 若い娘は売られるのよ、それこそ10歳行かないぐらいから、
女郎街道まっしぐらよ。 なんで全員売られる前提なのよ
村に若い女いなくなっちゃうじゃないw
よほど貧しい家か凶作続きの時かでなきゃホイホイ売らないわよ あたしも江戸時代以前の村祭り(裸祭り)に参加したいわ〜。
村中の男とセックスできるなんて夢のようなシチュエーションじゃない? 15でねえやは嫁に行きって歌詞があるものねえ
嫁に行くって言うか売られてったんでしょうねえ >>709
この人だれで何してんのかしら?
あき竹城? >>712
でもみんな畑仕事してたから、いい体はしてたでしょう? >>714
この人アホすぎない?
ばあや、うばや、ねえや…
自分のお姉さんなら「ねえや」なんて呼ばないわ?
しかも、「三木が15歳になった時に嫁に行ったということなのである」の根拠もなし
素直に読めば、自分を負っていたねえやは突然嫁いで居なくなったのだから、15はねえやの歳だわよ あたしも「赤とんぼ」はねえやを懐かしんでる詩だと思ってたけど違うのね。
ってか詞書でもないと本編だけじゃ母親を偲んでの詩なんて分かりっこないわよね。 蔭間に売られた子って10歳くらいから自分で棒突っ込んで訓練して店主の竿で講習受けたりしていたのよね
すげーわ
今なら小5くらいよ でも昭和も40年代ぐらいまでは10代って大人っぽかったわよね
山口百恵17歳の映像なんて落ち着きすぎてびびるし
25ともなるとおじさんおばさんの風格だったわ
現代みたいに40過ぎても前髪だのマッシュルームだの若ぶってる歴史の方が浅いのよ >>722
お小遣い貯めて千歳あめ買ってそれで練習したらしいわ >>725
寺尾聰なんてルビーの指輪時点で30代だものねw >>724
なるほど
姐やは子守の女中さんのことだったのね
女中から嫁に行ったってことは、玉の輿?なのかしら >>728
おしんみたいな奉公人よ。
貧乏小作人の娘が口減らしとして半ば売られて来たのよ。 あまりにも時代が早く移ろいすぎて、100年前の歌詞の行間も読めなくなってきてるのね… 赤とんぼって奉公人の子守りのねえやが嫁に行っていつの日か連絡も途絶えた、赤とんぼを見ていると思い出す、それも懐かしい思い出ってことでしょ
違うの? >>95
南方熊楠ってそっちにも通暁してたの?
ちな、熊楠タイプだわ 当時の男たちの大半はいい体してたでしょうね
タイムスリップしてエロ画像で釣って臭いチンポしゃぶりまくりたいわ >>729
口減らしって、、
産まなきゃいいのにね 子だくさんだったんでしょ
あたしの親の時代ですら7人や8人兄弟がいるとか珍しくなかったわ しかも長男(長女)と末っ子で年が20歳とか離れてるのよね >>732
男色研究家の岩田準一との大量の男色考察書簡が書籍化してるわ
ちなあたしの愛蔵書よ しかも昔の名前の付け方っていい加減で
特に女は人権もないような名前
ハツが最初の子供
トメが最後の子供
みたいな ステ
なんて良くて奉公
最悪◯◯す気満々の名前ね
怖いわw 「捨」みたいな言葉を付けるのは、
子どもで死ぬことが多いから、
悪霊やら死神やらに「殺す価値のない子」、
みたいなことを伝えるためって聞いたことあるワ もっとシンプルに一度捨てた(=死なせた)気で育てると健康に育つから、という説もあるわね >>746
アイヌもそうだって聞いたわ 手塚せんせいの「シュマリ」にも「ポンション(小さなウンコ)」「ションタク(ウンコの塊)」だったかしら、出てきたわ 子供が悪魔に魅入られないように酷い幼名を付ける文化はアイヌやモンゴルにもあるのよね
他の国にもあるのかも 秀吉と淀君の幼くして亡くなった第一子も捨(棄)だったわね 秀頼も幼名は拾(ひろい)だったわね。
天下人の跡取り息子なんて雲上人の話はともかく
庶民の子供は産まれて育てられれば恩の字で、
·お返しした
·鰍掬いにやった
·お地蔵様の弟子にした
みたいな事が日常的に行われていた模様。 いやだわ武家ごときを雲上人だなんて
無教養を晒しなさんな 今月、豊洲市場の横に
江戸時代の町並み風の商業施設が出来たのね。
東京湾を一望できる24h温泉施設も。
https://www.youtube.com/watch?v=5hO3zX5oSn4
https://www.toyosu-senkyakubanrai.jp/
大阪住みのアタシが、いま東京に行っても
何も楽しめるもの無いでしょ、って思ってたけど
万葉俱楽部の温泉には行ってみたいわ。ついでに江戸風の施設寄って。 >>753
成り上がり貴族の子どもなんて雲上人でも天上人でもないわよw >>755
ひゃだ
楽しそう
どうせなら着物以外立ち入り禁止にしてほわ 男が多かった江戸では、鯉の口をオナホ代わりに使ってたのよ ヤギは農村部よね江戸市中では飼えないわ
こんにゃく使い始めたのも江戸時代よね 春画ではエイにつっこんでたわ
エイの表情が面白いの 昔船乗りはエイを釣ったら毒針を切り落としてオナホールしたって聞いたことあるけど日本だったかしら? >>771
イケメンね
ホモならチンポ乾く暇ないわ >>771
オナホネタの話題になると頻出する絵よね
「アレサもっと奥を突いておくれ
それ又いくよ」とエイもよがっているのよ エイって毒があるんでしょ?
外人で命落とした人いなかったかしら
エイとセクロス中に命落とした殿方もいらっしゃったのかしら こういうネタなのに、バカみたいに信じて命落とした人もいそうだわね 鯉・エイ・山羊相手に自慰をやるなら
「男の」肛門や口の方がマシでしょうに
アタシらが女とやるぐらいならエイの方がマシって事なのかしら エイの性器は人間のマンコに似てるのみならず極上名器だそうだから男の肛門でやるよりイイんじゃないかしらね けどそれはアナルを使ったことないノンケの証言でしょ?
お釜のアナル使ったらハマるかもだわ
お釜なら尺八もしてくれるし 人間の肛門の中にはビラビラついてないし全面に吸い付いて離れないなんてこともないから、やってみなくても違う物だとわかるわよ エイの毒って尻尾かなんかについている棘よね?
それさえ引っこ抜いたり避けたりしたら大丈夫なんじゃない?
だけど男ののけつまんの方が締め具合調節できるし気持ちいいと思うわ 腐膣さんの幻想を砕くようでアレだけど男のけつの中ってそこまで気持ちよくないわよ
肛門が狭いだけで中は広々だし腹圧で上手く締められる人も限られてるし
タチが快感を得るのは物理よりも視覚的精神的な部分が大きいわ ブス侍が農村に繰り出して
堀り捨て御免とかやってたのかしら? 菊千代みたいな侍にならあたし喜んで掘り捨てられるわ 昔の人はイソギンチャクをオナホにしてたって聞いた事あるけど
日本の磯に居るやつは大きくて2〜3cmぐらいだしネタよね そういえば学生時代、
隠れキリシタンの研究してる先生の授業うけたわ
今でも隠れキリシタンの子孫が信仰を守ってるって
地下組織ってわけじゃないけど 天草に行ったとき、車から降りてあぜ道を散策してたの。そしたら教会の鐘がなって畑を耕してた農夫さんが手を止め、頭をうなだれていらっしゃったの。ミレーの世界みたいだったわ >>784
九州にワケノシンノスって磯巾着がいるのよ
若者の尻の穴って意味らしいわ
https://i.imgur.com/uBLYEI6.jpeg >>788
関係ないけど武田信玄がそういう子を好きだったみたいね >>789
これの真ん中のが尻穴っぽいわ
九州男はここに入れたのかしら アタクシのおめこの方が大きくて安心したわ
イソギンチャク風情に負けてたまるもんですか! 海水の中だともう少し大きいのよ
水から上げるとピラビラが引っ込むし全体も縮むの
エラスティックな材質だからチンポ入れるとフィット感あるのかも? 海のなかでそういうことするとチンチンヒリヒリしそうで痛そうだわ >>797
いくら大きくても岩に貼りついてるんだしうっかり腰振ったら海綿体折れそうで怖いわ
同じ海中ならナマコを前後にぐちゅぐちゅしたほうが良さげじゃない さすがに岩にくっつけたまま使わないでしょ
「わけやぬき」という道具でこそぎ取るそうよ
なんか道具の名前もエロイわね ビラビラが出てるビフォーと引っ込めたアフターを見ると
ちょっとつっこんでみたくなる気持ちも分かるかも
https://imgur.com/a/wx9AUKc イソギンチャクって触手に毒があるんでしょ
チンポだとちょっとした刺激になるくらいなのかしら 魚を取るための毒であって人間の体には害は無いみたいよ ふざけてるかと思えば意外と真面目で勉強になる良スレだわ 寝屋子制度が気になるわ
誰か15歳に化けて潜入調査してらっしゃいな >>812
やだわあんた
性犯罪じゃなくて、
多感な時期の、大人の男になるための通過儀礼っていうのよ 楢山節考で後家に迎えたあき竹城ちゃんと緒形拳が初日に激しく交わるんだけど、母親のスミ子が70だし息子の年齢考えても拳も40過ぎよね
昔の40過ぎってまだあんなに激しいSEXしてたのかしら 楢山節考って確か左とん平のオナニーシーンで抜いた覚えがあるわ⋯
コンニャクってどれくらい昔からあったのかしら?
今あるシリコン製のオナホに最も近い天然素材ってコンニャクだと思うんだけどw
アメリカ人ってハロウィンのカボチャをオナホにするのよね。
相変わらず狂ってるわねアメリカンw こんにゃくって縄文時代からあったというのが定説らしいけど
庶民が日常的に食べるようになったのは江戸時代よね
高貴なお方は平安時代とかからオナホにしてたかもしれないけど またこんな時間に目が覚めてしまったわ
インターネットが無い時代だったらクヨクヨ考え事して死にたくなって耐えられなかったわ 江戸時代に自○とか無かっただろうねw 自決はあったけど 江戸時代の頃のヨーロッパ、ドイツでは自殺が流行したのよ
若い男女の自殺 江戸時代ってチンコやマンコのことなんて言ってたのかしら? またこんな時間に目覚めよ
暇で寂しくてインターネットがあって本当に良かった
でも春だからもう夜明けもすぐで前よりは辛くないわ
と思ったらやっぱり昔は時計なんて無い訳だから今何時か分からなくてやっぱり長い夜を悶々としてたのかもね ふと牛肉食ってて思ったけど、
日本に牛っていたのかしら
豚はたぶんいなかったわよね
牛は馬みたいに運搬役かしら 牛は農業に使うからいたわよ
食用じゃないから怪我をしたり引退した馬を隠れて食べたりしていたわ
牛肉は山の中の冷たい場所とかに保存していたの お盆にご先祖を牛と馬が送り迎えするぐらいに身近だったわよね 醍醐は奈良時代にはあった
牛乳の加工品ってこと以外
今では製法も分からないらしいけど >>843
鶏や猪や熊も食べてただろうけどクジラは割とポピュラーだったみたいよ
もちろん地域によるだろうけど 一般的に肉食わなかった日本人でも山暮らしなら熊や鹿、猪を普通に狩って食ってたし、海なら鯨やイルカ食ってたんじゃない? 時計がなかったし、時間に対してものすごーくルーズだったみたいね。
明治になって外人が呆れたらしいわ。 >>849
今より粒が小さくて、もみ殻が多く混じってるし、バサバサしてるけど
お米のそのものの味が濃そうだわ。 芦雪展見てきたわ
江戸時代って思ったよりすごい時代よね >>849
中国とか韓国あたりの米は日本みたいに品種改良されてないそうだから昔の米みたいな感じじゃないかしら? 白まんまが食いたくて女郎に身を落とすとかすごい世の中ね
東北はそれだけひもじかったのね >>852
>画家・長沢芦雪(1754 – 1799)展
あーん!終わってるのね(去年12月)
去年秋にここいったら休館状態だったのよ
https://www.youtube.com/watch?v=Hkp3vrsKGgE 江戸時代の人たちも戦国時代に生まれなくて良かったわなんて思ってたかもね >>856
博多に来なさい
大宰府にある九州国立博物館で
今やってるわ そりゃ庶民は当然思ってたでしょ
寝ても覚めても戦ばっかやってんの無理よ でも腕っぷしだけで城持ち大名にもなれたんでしょ
一生百姓より夢があるわ 昔の人は死が今より近く中あったから戦で一旗あげようとか思っていたかもね
私には槍持って戦いに行くなんて無理だわ 追剥とか山賊が普通にいたんでしょ、しかも近代的な警察なんてないから
人殺しほうだい、犯罪し放題なのが中世よ。
庶民はたまったもんじゃないわ。 兵農分離される前の農民なんて
戦に参加したり落武者狩ったりして
稼いでいたのでは?
犯罪し放題とか言うけど相手も武装してるのだから
迂闊にてを出せないわね >>863
山椒太夫に人買いの話は出てくるし、恩讐の彼方にでは山賊まがいの話が出てくるわね。
>>864
八つ墓村の世界ね 刀で人を殺すってのがアタシにはなかなか理解出来ないわ、毎回一撃で絶命ってあり得ないだろうし、血まみれになるまで何度も斬り合ったりするのかしら?
とにかく現場は血飛沫で酷い事になってそう。
リアルに銃で人が死ぬ動画は数々見てきたけど、刀で斬り殺される映像って無いわよね? サムライって日本人の4%程度だったみたいね
ほとんど農民じゃないのw 不思議ね
毎日見に来てしまうスレだわ
傘張り浪人をたぶらかして…ロマンがつきないの >>869
食い詰め浪人に金をちらつかせて泣く泣く相手をさせるのね。 そういえば、履いた褌を預かって洗ったり管理する職業があったのよね… >>872
「乱世は褥にあったというわけじゃなあ?」ブヒヒ
ズシャアアッ >>874
貧乏人が祭の時とかに借りたくらいで
普段は褌もしてなかったみたいよ
褌そのものも賃料も結構高かった 江戸時代のふんどしは仕事着みたいなもんよ
肉体労働者はみんな尻端折ってふんどしのケツを見せていたわ >>878
農業の人は祭りとか特別な日以外は褌でなく股引みたいなのはいていたようよ。 >>879
股引きのほうが縫製難しいからにわかに信じがたい話だわ 江戸時代でもチンポ丸出しで表を歩いたら
しょっ引かれるのかしら? 緊急逮捕でしょっ引いて手近に縛るものがない時は犯人のふんどしを解いて縛ったのよね >>887
与太郎だと思われて避けられるだけじゃない? 町人の女はおっぱいボローンとほうり出してお給仕するなんて当たり前だったのよね
チンポブラブラ程度では驚きもしなかったかもね マンコはいろんな呼び名あったけど観音様や弁天様やら
チンコはなんかあったのかしら へのこ、珍宝、魔羅、陰茎
あたりが当時の本や浮世絵によく出てくるわね 春画に見られるような超デカマラ願望って一体何だったのかしらね?
ゲイだったら無理なく理解出来るし、ノンケでもデカマラ願望があるのはわかるけど、
あそこまで大きくする必要ある?w AI画でもありえないデカマラとかあるから
今も昔も同じなのでは 春画マニアじゃないからよくわかんないけど、普通サイズの春画もあるのかしら?
確かに今2次元モノが好きな人ってあんな願望ありそうね⋯
ちょっと検索してみたんだけど春画の画像って小さくてよく見えないのばっかりよね、まあポルノ枠だから当たり前だけどw デカ願望というよりズーム機能なんじゃないかしらね
肝心な部分にフォーカスしてるからデカく描いてるのよ 池坊短大出身のお嬢様のあてくしが教えてさし上げますわ
あれは大首絵という手法を、チソチソに採用しているのでございまするわ
浮世絵の歌舞伎役者の顔、デカいでございましょ
あれは顔が命だから、わざとでかく描いておりますの
チソチソも春画では命でございましょ、そういことでございまするの 紙が高価だったし、刷り物だと版木作るのも大変で、全体を大きく出来ないからせめて極部だけでもよりリアルに感じられる様に異様なデフォルメするに至ったんじゃないかしらね?
我々には異様でも、ポルノ的価値としては特別珍奇な表現方法ではなかったんじゃないかしら? ってリロードせずに書いてたら同じ意見がもう沢山書かれてたわ 他は決まりきったデフォルメ線画なのにチンポに浮き出る血管とかマンコのビラビラとかだけやけにリアルに描き込んでるわねデカすぎるけど ボカシよりリアルが良いに決まってるでしょ
昔もそうだったのよ なんで昔の日本は全て同じ作者が描いたかのような浮世絵デザインしか無いのよ
ザビエルだけが写実でリアルなのに、他の日本人は偉人ですらも落書きみたいなデフォルメ漫画なのはどうして
もしかして日本の歴史や文化財って大半が捏造された架空のものだったりするのかしら そういう技法なのよ絵は記号の集積なの
技法だっていくつも流派があって見比べれば特徴の違いがわかるわ 浮世絵デザインだけじゃないわよ
円山応挙や伊藤若冲なんか写実的かつ独創的な構図でも有名だわ 植物や動物はリアルに描けるのに人間の顔だけ極端に記号化して広まったってのは不思議ね
尾形光琳のスケッチした写実な婦人像とかあってもよさそうなもんだわ 日本人でも大昔から緻密でリアルなデッサンが出来る人はゴマンといたと思うわ。
浮世絵師でもデッサンさせるとキチンと描ける人が当然ほとんどだろうし。
問題は油絵みたいに作品の保存が出来なかった事ね。 きちんとしたデッサンで緻密に描き込んでる人物画も数少ないけど存在するわよ
椿椿山の『大橋淡雅像』なんて明治期の作と言われても信じてしまうわ そういえば浮世絵に限らず、歴代将軍の肖像画とかもイマイチ変なのばっかりじゃない? リアリティがない、人形を模写したような⋯
リアルな描写って当時は好まれなかったのかしら? 古代日本では実在の人物を描くのはタブーとされていたから
記号として画一的に描く技法が受け継がれたという説があるわね 昔の絵画や大切な書類はどうやって保管してきたのかしら
空襲や地震で消失してしまったもののほうが多いわよね 平安と江戸の2回も鎖国したし、
絵を含めた海外文化が日本に広まることを江戸幕府が認めなかったから、
写実的な描き方とか遠近法とかそういう技法が日本に定着しなかったのよ でもそれでは植物や動物は写実的に描けたのにという部分の説明がつかないのよね それはそういう絵画技法を中国(清など)が持っていて、
それを江戸以前からいろいろなかたちで輸入、吸収してきたからよ
浮世絵はあれだけど、掛け軸とかでは人物画でも中国画の影響が出てるわよ エロ画は何でなんなにオドロオロシイんだ?
エロを超えてグロ ってことは、海外文化が広まることを認めなかったのではなく西洋文化のみを否定していたということだわね 唐の時代の中国には緻密に描き込んでデッサン力も高い人物画がたくさんあるわ
そちらを採用せずにシンプルにデフォルメした手法のほうを取り込んで発展させているのは意図的なのでしょう 版画だって幕末頃にはかなり繊細な線描や暈しを再現できたのだから
筆で描いた絵と違うのは消費目的か美術品として価値が高いかの違いだけよね >>921
江戸以降は中国とも当然鎖国してるわよ
けど室町、安土桃山と中国画の技法を輸入・吸収してるから、
江戸で鎖国してもそれが消えることがなかった、ってだけよ てかあんたちこんなとこで情報収集してないで調べなさいよ
こんな美術史の基礎的こと、
調べればどっかに転がってんでしょうよ、きっと >>928
写実的な人物画手法は唐の時代にすでにあったのになぜ日本では取り入れなかったのか?という議論は美術史的にも答えが出てないんだわよ 鎖国してても中国の文物は相変わらず輸入されてたわ
明画は日本人のテイストには合わなくて、あまり流行らなかったけどね
江戸も中期になると西洋画の影響も出てくるわ
平賀源内の西洋婦人図が日本初の油絵だったはず 人の姿を写し描いてはいけない、ただし聖人や偉人は記号的に描けばOK、という古来の意識が根底にあったという説は納得できるわ
時代がうんとくだっても浮世絵の歌舞伎役や美人者は似顔ではなく記号の集まりだし
写真が入ってきたら魂が抜かれると恐れたように、人の姿をありのまま写しとることに畏怖の念があったのではないかしら あら変なとこに美人を挿入しちゃったわ
歌舞伎役者や美人は、ね 薩摩藩の島津久光の写真がちょっとあたしに似てるの
ふてくされてご機嫌斜めな感じなやつ >>934
似顔絵師が描いたのも写実ではないなく記号だわよ >>935
あたいの学生時代の友人は高杉晋作の有名な写真にそっくりだったわ >>935
まあ!それじゃ天皇陛下にも似てらっしゃるのね 免許証の写真が久光っぽかったの
実物はもっとイケメンなはずなのに いまの皇族の独特の顔貌は久邇宮から入ってきたものよね
島津に醜形なしといわれていたのに
あんなことになってしまってさ そこそこ勢いあって謎なスレね
何故かつい開いてしまうのよ 明治になると身体の等身が劇的に良くなるんだけど、男も女も当時の日本人にはあり得ないくらい良すぎるのよね、多分西洋人体型に変換しちゃってるのかも、アニメキャラみたいに。
でも顔は相変わらず浮世絵風なのよねw そこが妙にマッチしててアタシは好きだけど。
https://i.imgur.com/IE7GEws.jpeg それは違うどす
鳥居清長をご照覧あれ
小顔美人図は江戸からの伝統どすえ でも鳥居派の絵師みなが小顔長身なわけじゃないし
歌川派は大顔の美人画も多いわ
そういう画風もあったというだけのことじゃないかしら 江戸の美人は色黒瓜実顔 ですらっと長身
小股の切れ上がったのが粋だったのよ
ちなみに小股ってのは鼠蹊部だとか内股だとかいう解説が近ごろ多いけど
大学では足袋の親指と人差し指のあいだの部分だと教わったわよ >>947
ありゃ、あたひカカトって習ってわ カカトがキュッと締まったのが、スマートで、しかもマンコの締まりを連想させるから、って アキレス腱がキュッと引き締まってる、という説も確かにあるわ
あとうなじの生え際が整ってて首が長いという説も >>944
和服の時はあまり意識しないけど軍服は等身低いちんちくりんには似合わないものね
絵の中だけはサマになるように描いたのね 日光江戸村か太秦映画村行ったら、江戸の格好した男達に輪姦してもらえるかしら? 忍者って巨根じゃないとだめだったのよね くノ一とか大奥とか美少年お殿様とかを虜にするために デカきゃいいと思ってんのはゲイばかりなのよ
美少年やおぼこ娘にとっちゃ巨根は凶器でしかないわ
イチモツはそこそこの大きさで技巧派なのが肝心よ なんか江戸時代って男娼や禿のほとんどが幼少期からガバガバになってる可能性もあるわよね?
なにしろ児童福祉法とか無いんだからw タバコとかお酒ってどうだったのかしら
何歳ころから初めて男女比とかどうだったのかしら
18歳とか20歳とかそんなルールないわよね?
っていうか童貞はどれくらいで捨てたのかしら >>957
禿はすぐに性技を仕込まれたわけじゃないし、12〜3歳で結婚させられた子ども達もすぐセックスしたわけじゃないのよ
体が出来るまで待つという最低限のモラルはあったの
もちろんそんな倫理を物ともしない輩は今も昔も一定数いるけど おなごは初潮が来てからという分かりやすく目安があるからともかく、おのこは精通があってからなんて縛りがあったのかしらねぇ
ケツアナさえあればガキのチンポなんてどうでもよかったんじゃ?という気がするわ 今も昔も毛の生えてない男の子のチンチン、
いじるのが好きな男はいるものよ
あたくしもいじられないように気をつけなきゃ 稚児も蔭間も14〜16才が最上級といわれていたから
精通してることは重要なファクターだったんじゃないかしらね
誰しも好みの子が射精するとこは見たいもんよね 江戸時代の童貞卒業の相手って、
近所のおばさんとかなんでしょ?
たぶん慣習、暗黙の了解、っていう名のもとの強制よね、きっと
江戸時代に生まれなくてよかったわ 昨日、楢山節考見たけど清川虹子みたいな婆さんとしか出来ないなんて嫌だわ >>964
童貞卒業する前に、初ガマ割られるのよ?たくましい兄貴分や公家の若さま、殿様の涼し気な嫡子のお相手するのよ ふんどし祝いという気持ち悪い風習があったそうよ。日本は変態の国ね。
以下↓ネトウヨという汚物が火病起こしてhissiとか張り付けるでしょうねw気持ち悪っ🤮↓ ふんどし祝い、イケメンの褌姿を見るチャンスよね
いいわー
気持ち悪いなんて、万個なんじゃない? >>970
ちょっとお待ちよ車屋さんだわ?!?!
イケメンがそんなゴロゴロ転がってるものですか! ふんどしを匂ってみたいけど、実際はものすごく臭いわよね >>964
石女認定された女がいれば筆下ろし担当されたのよね。
担当にされた石女は女の扱いを教えるという誇りを感じていたらしいわ。
筆下ろしする時は赤褌をつける風習がある集落もあったとの事よ。 >>974
あ〜〜れ〜〜は、代官とか殿さまとかじゃない? 旗本退屈男になって遊興の限りを尽くしたいわぁ
アタシが将軍様ならショタ禁止のお触れを出すわ 旗本の次男三男って、セックスできたのかしら
家的には子どもつくられたらたまったもんじゃないから、
風俗行くのも禁止してそうだわ 百地丹波くノ一は一人前になるために師匠に犯されるのよ🥹
そしてお仕事も殿方に色仕掛けするだけ
あなたにぴったりね! >>981
でも、同サロネトウヨに代表される右翼は障碍者差別的なレスばっかりしてるのよ
あなたに叱ってほしいわ。「こらっ!この害虫ネトウヨ!!」ってねw >>985
「強い」くノ一って書いたでしょ!
弄ぶ側よっ戦闘では草薙素子バリのアクションできるのよ! 江戸時代って同性愛には寛容よ。
裸祭りは男同士で交尾するためにできたイベントだからね 同性愛というより少年愛に寛容だったのよね
大人の野郎同士で交尾ってどのぐらいあったのかしら 裸祭りはだいぶ前から穢れから離れるというわね
マンコとのセックスは禁止とか
溜めまくって男とのまぐあいを楽しむ意味もあるのね
まあマンコが穢らわしい存在っていうことは昔から変わらないわね でも同じ村でそんなことになって次の日から普通に付き合えるの?
男女より男男の方が粘着しそうだから仲良い時はいいけど、仲悪くなったら最悪よ 寿命が今と違って短いしお気楽かつ刹那的に生きたんじゃないかすら このスレッドは1000を超えました。
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